医療法人敬生会 フジモト眼科

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藤本 雅彦院長

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近鉄南大阪線・針中野駅から高架沿いに南へ2分ほど歩くと、実物大に近いキリンのフィギュアが出迎えてくれた。その足元にはシマウマをモチーフにしたベンチもある。2017年で開院から30周年を迎えた「フジモト眼科」は日帰り手術に力を入れており、4人の医師が常勤している。「病院の玄関に行くことをためらわせる『痛い』『怖い』というネガティブなイメージをなくし、手遅れという事態を防ぎたい」という藤本雅彦院長が心がけるのは気軽に受診できる環境づくり。キリン像の設置も、その一環だ。「明るく、やさしく、前向きに」をモットーに来院へのハードルを下げようと努める藤本院長に、診察時の工夫や、その背景にある思いなどについて聞いた。
(取材日2017年10月19日)

銀行員から眼科の医師に転身した父の遺志を継ぐ

―2015年に院長に就任されたのですね。

院長としては4代目になります。初代は父の隆生(たかお)です。父は大阪大学工学部を卒業後、いったん大手銀行に勤めていました。ところが、結婚後に阪大医学部に入学し32歳で眼科の医師になって7年後の1987年に当院を開業いたしました。当時、白内障手術は入院が普通でした。お年寄りが多い地域なのに、近くには手術をする眼科の医療施設もあまりなくて術後の通院も不便でした。そのため地域への貢献も考えて日帰り手術をするために開業した、と聞いています。でもそれも5年です。44歳で腎臓がんで亡くなりました。私はまだ高校2年生。母は薬科大を卒業していましたが、父の代わりはできません。父の母校の阪大の眼科学教室の紹介で多くの先生方にサポートしていただいている間に私が眼科の医師になって後を継ぎました。

―小さい頃から医師を志していたのですか?

小学校のときは野球が好きで毎日のように暗くなるまで練習していまして「野球選手か、眼科の医師になる」と言っていました。父が亡くなって医師ではない母が診療所を運営する苦労も目の当たりにして医師になる決意が固まりました。ひとつ下に妹がいまして彼女は歯科医師です。「羽目を外してはいけない」と言いますよね。母はそれにかけて「『歯目(はめ)』を外してはいけないので、子どもは歯医者と目医者にした」と笑います。私には小学生の息子が2人いますが、彼らにとっては祖父となる初代院長の遺志を引き継いで地域に貢献できる医師になってもらいたいと思っています。

―院長に就任されるまでは?

医学部を卒業してから阪大の眼科学教室に入局し、大阪労災病院や大手前病院などで勤務してから2008年4月に当院の副院長になりました。大学を卒業して臨床の現場に出た当初は「眼科ってこんなに忙しいんだ」と驚きました。それは想像以上で、緊急手術は毎日のようにありましたし、終電がなくなって病院に隣接した宿舎で寝泊まりすることは珍しくなかったです。そして当院で働き始めてからは、さらに経営に関わらないといけないうえ、スタッフ管理や採用面接もあって診察以上にやることが多くて驚きました。でも「お父さんに脳腫瘍を見つけてもらったのですよ」と話される患者さまもいらっしゃり、大病院よりも患者さまとの距離感が近くて、やりがいを感じています。

記事更新日:2017/11/06

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