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堀尾 靜 理事長の独自取材記事

堀尾医院

(碧南市/新川町駅)

最終更新日:2023/03/22

堀尾靜理事長 堀尾医院 main

石門に掲げられた木の看板には、「堀尾医院」と縦書きの文字。名鉄三河線新川町駅から歩いて4分ほどの住宅地に立つ同院は、70年以上の歴史あるクリニックだ。門扉からは、小川を渡って入り口へと続く。1947年に初代院長が開業した当時からある緑豊かな庭には四季折々の花が咲き、患者を出迎えている。1994年に理事長の堀尾 靜先生が継承してからは、この庭でチャリティーイベントを定期的に開催。地域住民との交流の場ともなっている大切な庭だそうだ。「診療を続ける中で、病院医療だけではない、生活の中の医療の大切さに目が向くようになりました」と話す堀尾理事長。とことん患者に寄り添うその姿勢は、地域住民にとって頼もしいものだろう。「私は人の幸せがうれしいんです」と笑う堀尾理事長に、地域医療にかける思いを聞いた。

(取材日2022年11月24日)

白衣を脱いで地域交流するのも医療

こちらのクリニックを継承された経緯をお聞かせください。

堀尾靜理事長 堀尾医院1

父は復員後安城に住んでいたのですが、1947年にここで開業することになりした。その後、父が倒れた後は母が後を継いだのですが、その時母はなんと88歳だったんです。この母というのがすごい人で、90歳の時にくも膜下出血で倒れて1ヵ月間くらい意識不明だったのですが、その後意識が回復して94歳まで診療を続けていたんですよ。母のところに長年通っている患者さんも多くて、患者さんたちにお茶を出してみんなでそれを飲んだりしていましたね。いろいろな考え方があると思いますが、私はそういうのも地域医療のかたちの一つかなと思います。その後、いったんは閉めようと思ったのですが、地域の方の要望もあって1994年にクリニックを新しく建て替えて私が継ぐことになりました。

建て替えるにあたってこだわった点はありますか?

山が好きだった父が、自然に近い形を意識して造った庭は、今も手入れをしながら大切に守っています。敷地内を通っている小さな川は、もともとは下水だったのですが今はきれいになって、庭の一部になって溶け込んでいます。患者さんの中にはこの雰囲気がほっと落ち着くと言ってくださる方も多いですね。建物は、友人に設計してもらったのですが、待合室はみんなが集えるような居心地の良い造りにしてもらいました。クリニックの待合室というのはコミュニティーの場としても大きな意味を持っていると私は考えています。一つの地域の交流の場として、開かれているほうが良いと思うのです。例えば、壁に飾られている絵も、地域交流の中で知り合った仲間が、季節に合わせて毎月変えてくださっているんですよ。そういう交流というのが大切だと思いますね。

地域の方々とのつながりを大切にされているのですね。

堀尾靜理事長 堀尾医院2

クリニック継承前は、西尾市民病院の外科に勤務していましたが、日々の診療の中で感じたのは、手術をして薬を出すだけが医療ではないということです。白衣を脱いで市井の生活に入り、一人の生活者として見る医療を大事にしたいと思うようになりました。市民に開かれた病院づくりという命題のもと、院長にお願いして、納涼大会を開いたりもしました。そこでの優しい時間が患者さんに与える影響を実感していたので、当院でも「桜の木の下コンサート」というチャリティーイベントを行うようになったんです。出演者や運営を手伝ってくださる方は皆ボランティア。屋台などもたくさん出て、多い時には約500人の方が見に来てくださいます。収益金はネパールの震災見舞いや国内の福祉施設、海外の紛争地や被災地で活動する医療団体などに寄付をし、ネパールには私が現地まで足を運んで届けています。大勢の方々がサポートしてくださって本当にありがたいですね。

「生活の中の医療」を診療ポリシーに

患者層についてお聞かせいただけますか?

堀尾靜理事長 堀尾医院3

私が継承した当初から比べると、28年たった今はずいぶん変わってきて、今は3世代でみえる患者さんが多いです。これは開業医となって気づいたことなのですが、かかりつけ医というものには成り立ちがあって、例えば遠くの病院に行くことが難しい近隣のおばあさんが来院して、その方がそのクリニックを気にいると今度はおじいさんを連れてきます。そして、おじいさんが安心するとその息子や娘、孫を連れて来るようになるんです。そこにしか通えない人たちがまず来て、そこで得た印象がその家庭の中で広がっていってかかりつけ医というかたちが成り立っていくのだなと感じています。それから、開院したばかりの頃と今とでは、圧倒的に認知症の方が増えているということも実感としてありますね。認知症は本人だけでなく、家族も職場も、地域も巻き込んでいくもの。そういう患者さんが増えていく日本の社会というのは、深刻な課題を抱えていると思います。

そういった認知症の方も含め、先生は在宅医療に力を入れていらっしゃるそうですね。

外科の医師だった頃、末期がんの方と接することが多く、家で過ごしたいという終末期の方々をなんとかサポートしたいと考えた時に、必然的に在宅医療という選択肢になったのです。それが今につながって、高齢の方に向けた在宅医療の提供につながっているのだと思います。私の診療ポリシーとして「生活の中の医療」ということがあるんですが、患者さんというのは病気を抱えている人である一方で、生活をしている市井の生活者です。その部分を大前提にした医療の関わりが必要で、その方の生活スタイルや置かれている状況などを考慮して診療することが大切です。特に在宅医療は、生活の中で医療の選択をしていくわけですから、一人ひとり異なる事例に対して、それぞれに合った医療を提供していく必要がありますね。2年前からは、息子の建太が中心となって在宅医療を行っています。

どんな思いで在宅医療に取り組まれているのですか?

堀尾靜理事長 堀尾医院4

息子も専門は外科でしたが、緩和ケアが必要とされる人に行き届いていない現状を目の当たりにし、緩和ケア医療の経験を積んできました。私も息子も、大切にするのは患者さんの人生観や価値観。たとえ飲み込むことができない状態だとしても、好きだったものを口にしたいという患者さんの望みを何らかのかたちでかなえられるよう力を尽くしています。命の管理だけでなく、生きる喜びを失わないよう手助けすることも、私たちの役目です。

言葉の感性を磨き、患者との距離を縮めていく

診療の際に大切にしていることは何ですか?

堀尾靜理事長 堀尾医院5

言葉ですね。言葉によって相手との距離というのは随分変わってきます。私は外科の医師でしたから、手術の説明をする時もがんの告知の時も、言葉にはとても気を使ってきました。大切なのは「良い言葉をかけよう」と考えるよりも、「その人にとって避けるべき言葉は何か」を考えること。そういう言葉の選択というか、感性は年を取っても意識するように心がけています。言葉というのは知識ではなく体験ですから、若い医師たちには常々「とにかく街へ出て行きなさい」ということを伝えています。患者さんというのは基本的に一般の生活を送っているわけですから、医療の言葉だけを使っていてはコミュニケーションが成立しないんです。例えばがんの告知や、生命力について患者さんに語る時には、生活に根差した言葉でないと相手に届きません。ですから、言葉の訓練をするためにも、街へ出て日常の生活を体験するということが大切だと思っています。

東洋医学も積極的に取り入れているそうですね。

もともと東洋医学について興味があって、実際に漢方なども診療に取り入れています。僕の医療を一言で言い表すとしたら、「ホリスティック(全体性)」だと思っています。開業医や町のかかりつけ医と呼ばれる立場にいると、「治った、治らない」というよりもその人の幸せが重要なんです。最後に患者さんが「これで良かった」と思えることが大切だと思っています。

最後に、今後の展望と読者へのメッセージをお願いします。

堀尾靜理事長 堀尾医院6

これからの日本というのは、多死社会を迎えるといわれています。亡くなる方が増えていきますから、そうした状況の中では在宅での看取りというものがとても大切になってきます。安心して看取りの選択ができるように制度を充実させていき、一人ひとりの患者さんに合わせた医療サービスを提供していくことができたら理想的ですね。そして患者さんには、救急病院や大きな病院をコンビニ感覚で利用するのではなく、かかりつけ医を持つことをお勧めします。信頼できるかかりつけ医を持つことが、患者さんにとっても地域にとっても大切なことだと思います。

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