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南外科泌尿器科

南外科泌尿器科

南孝明院長、南健副院長
頼れるドクター掲載中

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町工場が多く存在し、世界に誇る技術を持つ工場も多い東向島。東京スカイツリーを間近に臨み、東武伊勢崎線の同駅から徒歩6分の場所に「南外科泌尿器科」は位置している。著名な建築家の設計による同院の洗練された外観は、まるで美術館のようだ。院内は植物が多く緑に富んでいる。都会的でありながら、親しみと落ち着きを感じる空間は、患者も緊張をせずに順番を待つことができるだろう。現在の建物は平成9年に建てられたものだが、クリニック自体は昭和27年に南孝明院長の父で先代の院長がこの地に開院し、以来62年が経つ。南家は、江戸時代三池藩立花家の御典医を代々務めた家柄で、孝明院長が12代目、息子の南健副院長が13代目にあたるそうだ。孝明院長は泌尿器科医として多くの実績を持ち、これまで同院には近隣の住民はもちろん、日本各地から患者が訪れる。健副院長は聖マリアンナ医科大学病院で皮膚科医として13年勤務したのち、同院に勤務。大学病院時代の患者が今も健副院長を慕って来院してくるという人柄は、診察室から漏れる患者の笑い声からもうかがえる。信頼の厚い孝明院長、健副院長親子に、医師としてのポリシーから、家族仲の良い南家のプライベートまでさまざまなことを伺ってきた。
(取材日2014年7月28日)

江戸時代から脈々と受け継がれる、医師の家系

―先代の院長が東向島にクリニックを開院された経緯を教えてください。

【孝明院長】前院長である父は、慈恵医科大学の泌尿器科の教授でしたが、教授になる前に青砥にある同大学病院の外科部長を務めていました。当時、この近隣の患者さんの手術は、内科の先生方の依頼で父が行っていました。このため内科の先生方から「いなくなっては困る。自分たちが保証人になるから診療所を作ってほしい」と言われ、ここに「南外科」という小さな診療所を作りました。それが昭和27年のことです。父は大学に定年まで勤めていたので、普段は若い先生に診察を頼んで、手術がある時は夜間に父が行うというスタイルで診療所を細々と続けていました。その後、昭和57年に私が大学を辞めて診療所を継いで、「南外科泌尿器科」として新たに診療所を始めました。開院から60年以上経つので、患者さんも3代目、4代目が多くなってきましたね。

―お二人とも医師を志していたのでしょうか?

【孝明院長】小学校の文集に、医師になる夢を書いています。父方は江戸時代から代々続く医師の家系で、三池藩立花家の御典医を務めていました。ただ父には「医師になるな。こんなつらい職業はないぞ」と言われていましたね。でも私には医師以外になるという考えはなく、父がアメリカに留学している間に受験をしてしまいました。父は何も言いませんでしたが、私が医師になって喜んでくれていたと思います。
【健副院長】医師になろうと特に意識したことはありませんが、親戚一同が医師ですから、それ以外の世界を知らないというのもあるかもしれませんね。医師家系ですから、歌舞伎役者ではありませんが、近いものがあるかもしれません。もちろん尊敬できない仕事であれば継ぐことはなかったのですが、父や祖父の姿を見て育ち、尊敬できる仕事だと思ったのでこの世界に入りました。

―院長が泌尿器科を専門とした理由を教えてください。

【孝明院長】泌尿器科は外科、内科と区別されるものではなく、尿路の内科的、外科的疾患の両方を兼ねています。子どもの頃から手先が器用で何かを作るのが好きだったこともあって、手術は好きなのですが、泌尿器科のそういった部分に、一般外科より魅力を感じました。父が泌尿器科の教授でしたから、父からの影響も大きいですね。ただインターンで聖路加国際病院や、国立病院、がんセンター、アメリカの病院にも勤務して、他の科目に触れる機会も多々ありましたが、やはり泌尿器科に一番魅力を感じていますね。

―副院長が皮膚科を専門とした理由を教えてください。

【健副院長】皮膚科は症状が目に見えていますから、患者さんにとって、悩ましい病気のひとつでもあると思います。クイズのようなもので、その場で考えて治療をすると、消えてなくなります。非常に治療の結果がわかりやすいですね。患者さんが、よくなったことを実感しやすい科ですから、医師も共感しやすい点が魅力のひとつです。また、聖マリアンナ医科大学皮膚科の前教授である溝口昌子先生が僕の恩師で、その影響も大きいですね。実は父の従兄弟の奥さんにあたる方なんです。一方で、父からは「泌尿器科医にはなるな」と言われていました。それは、個人の病院で外科手術をすることの難しさ、厳しさを、父が何より実感していたからこその言葉です。ただ、僕自信、手術には興味がありましたので、内科ではなく外科的手技のある皮膚科を選択しました。



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