山本 一清 院長の独自取材記事
山本外科医院
(福岡市博多区/吉塚駅)
最終更新日:2025/02/12

戦前、戦中、戦後と壮絶な時代を生き抜いてきた山本一清院長が、50年以上前に開院した「山本外科医院」。92歳を迎える今もなお、現役で診療にあたる山本院長の姿は、足取りも軽く健康そのもの。息子の山本公正副院長とともに地域の健康を支え続けている。幼少期に中国で暮らした経験があることから中国語ができ、英語にも対応できるため、近隣で働く外国人や日本語学校に通う留学生たちも来院しているという。また、早い段階から、デイケアなど、時代を見据えた環境の構築にも取り組んできた。的確な診断をもとに、リハビリテーション、薬、注射、漢方薬などを駆使し、多種多様な痛みや症状の改善をめざす。「どの疾患においても予防が重要です」と、力を込める山本院長に、これまでの人生から、現在の診療に至るまでじっくりと話を聞いた。
(取材日2024年11月20日)
開院から50年以上。戦争も経験した92歳の現役医師
開院されたのは1970年だそうですね。

最初はここからすぐ近くの場所で開院しまして、20数年前にこちらへ移転しました。開院当時は今と違い有床診療所として稼働していましたので、虫垂炎や胃潰瘍といった消化器疾患を主軸に、救急車の受け入れや手術なども行っていました。その頃は、今のように診療科が細分化されていない時代。いわゆる町医者は何でも診るのが当たり前でした。外来も今より患者さんが多かったですし、入院患者さんも含め、夜も救急対応に追われる日々。とにかく忙しかったですね。私が医師になったのは、軍医をしていた父の影響があります。小学校1年くらいから中学1年までは中国で暮らしました。戦時中でしたから、ロシア兵に銃を突きつけられたこともありましたし、B29の爆弾がすぐ近くで落とされたことも。命を失ってもおかしくない場面が何度もあったわけですが、医師となり、90歳を過ぎた今も診療を続けられている。そのことに、大きな意味を感じますね。
壮絶な日々を経験し、帰国されたのはいつだったのですか?
中学の時に福岡へ戻ってきました。当時の修猷館中学校、福岡高等学校を経て、久留米大学の医学部へ進学。その後は九州大学の第一外科に入局し、キャリアを重ね、1968年に医学博士の学位を取得しました。研究は心臓血管に関する分野でしたので、臨床は幅広く行っていましたね。その後、浜の町病院などでの勤務を経て開院。今は外科も臓器別に分かれていますが、当時は満遍なく診ていましたから、開院してからもそのスタイルは変わりませんでした。子どもからお年寄りの方まで多くの患者さんが来院され、それこそ転倒によるケガや頭の打撲、腹痛、胃痛など、さまざまな方が来院されましたね。中でも消化器系の患者さんが多かったです。当時はバリウム検査が主流でしたが、大学病院時代は胃カメラによる検査も担当し、胃潰瘍や胃がんの手術もしておりましたので、開院後も消化器系の疾患の診療には力を入れていました。
この辺りは学校も多いエリアですね。

ええ、長いこと吉塚中学校の学校医をしておりました。当時健診で診ていた子どもたちが、今は自分の子どもや孫を連れて来てくれます。それから、昔は警察に依頼されて死体検案も担当していました。夜中にたたき起こされたこともあります(笑)。本当に何でもやっていましたね。その頃はベビーブームで子どもが多い時代。その子たちが団塊の世代の次に控えていることを考えても、高齢者が激増するのは避けられません。そういったことも踏まえ、デイケアなど、時代を見据えた取り組みも行ってまいりました。交通事故に遭われた方のリハビリにも対応したり、現在副院長を務めている息子が10年ほど前から整形外科の診療を行っていますので、外科は私、整形外科は副院長というように、分担しています。今年92歳になりますが、今も簡単な縫合などはできますよ。なお、診療においては、副院長の整形外科が主となりました。
痛みには、リハビリ・薬・注射で改善を行う
整形外科の主訴で多いものは何ですか?

やはり痛みですね。肩、腰、手、足の痛みなど全般を診ています。膝など関節の痛みもそうですし、外傷、交通事故による痛み、あと小・中・高生はスポーツによる捻挫や骨折も多いです。その中でも特に副院長は膝を専門に研鑽を積んでいますので、変形性膝関節症など膝に関する疾患でお悩みの方も多くいらっしゃいます。手術には適した時期というものがありますが、それを逃した方も少なくありません。その場合はいかに疼痛をコントロールしていくかが大事。薬や注射、サポーターの活用、リハビリなど、できるだけ手術をしない治療でカバーしていきます。このように、痛みに関しては、薬、注射、リハビリを軸に改善を試みるのが基本。それから漢方薬も取り入れています。
内科領域の疾患をお持ちの方も診られていると伺いました。
心臓血管分野の臨床も行ってまいりましたので、循環器など内科的な疾患は私が担当しております。高齢になると、心臓の異常や高血圧、高脂血症、糖尿病など複数の疾患を持っている方が多くなってきますので、薬でコントロールを図っていきます。この周辺にお住まいの方は小さな頃から知っていますので、だいたいのことは把握できています。あえて聞かずとも、生活環境や食生活も踏まえた上でアドバイスできるのは、長年この地域で診療を続けてきたからこそですね。
診療する上で大事にされていることは何ですか?

当たり前のことですが、自分がやれることはきっちりやる。そこはぶれずにやってきました。患者さんは、何とかしてほしいと困って来られているわけですからね。ただ、私も高齢になりましたから、無理だけはしないようにしています。そこは副院長がうまくカバーしてくれていますので、安心して任せていますよ。幸い人脈を生かしたパイプがたくさんありますので、対応できない症状は専門の診療所と連携しています。近隣にはさまざまな診療科のクリニックや大きな病院もありますのでね。
今後は予防にも注力し、東洋医学も取り入れた診療を
また、診療では「予防」にも注力されているとか。

年を重ねるごとに筋力や骨密度はどうしても減少していきますので、筋肉量や骨量を増やしていくためにリハビリや運動をすることが大事です。いくつになっても筋力をつけることは可能です。転倒による骨折で寝たきりになる方も少なくありませんが、そのようなリスクを回避するためにも体力づくりに励むことが大切です。継続しなければ、すぐに元に戻ってしまいますのでね。患者さんの意欲への働きかけもしっかり行いたいと思っています。女性は閉経後に骨密度が減少しやすいので、骨粗しょう症予防のために骨密度検査をお勧めしています。また、先ほど漢方薬の話もしましたが、副院長は東洋医学についても学びを深めているところですので、西洋医学だけでなく東洋医学的なアプローチもうまく取り入れた診療を行っていけたらと考えています。
今もなお、向上心を持って診療に取り組まれる姿は90代とは思えないほど。その若さの秘訣は何でしょう?
趣味で写真を撮ったりしていますが、何となく生きてきたらこの年になっていました(笑)。妻も83歳で元気ですし、今年ダイヤモンド婚を迎えます。結婚して60年。おかげさまで、耳もまだ問題なくしっかり聞こえますし、手も自由に動きます。認知症も出ていないので診療を続けていますが、この辺りで私より年上の先生はいませんからね。いつまで続けていけるか。近隣の先生方にはずいぶんと助けていただきました。予期せぬ事態で子宮外妊娠の患者さんの手術をお願いされた際は、産婦人科の先生が駆けつけてくれましたし、とにかく近隣の先生方には感謝しかありません。残念ながらお亡くなりになる方も年々増え、その先生方の意志も受け継ぎ、地域に貢献していかなくてはと思いながら頑張っています。
最後に、読者へのメッセージをお願いします。

すぐそばの商店街も昔は活気がありにぎわっていましたが、時代の流れでしょうね、今は閑散とした状態。これも高齢化の波が押し寄せてきた影響が少なからずあるのではないかと思います。その一方で、近くに日本語学校もあることから外国人の患者さんが増えてきました。幸い中国語や英語である程度意思疎通が図れるのと、非常勤で来てくださっている医師も英語が堪能ですので対応しています。健康診断やワクチン接種なども担当していますよ。100歳までできるかわかりませんが、もう少し頑張ってみようと思っています(笑)。