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田渕 勝彦 院長の独自取材記事

田渕内科医院

(松山市/南町駅)

最終更新日:2021/10/12

田渕勝彦院長 田渕内科医院 main

愛媛県県民文化会館から約400m南、閑静な住宅街にある「田渕内科医院」。50年以上にわたり、道後エリアを中心に地域医療を支えてきたクリニックだ。現在診療を行っている2代目院長の田渕勝彦先生は、広い医療知識と豊かな治療経験を持つ日本内科学会認定の総合内科専門医。感染症やアレルギー性疾患、生活習慣病など身近な疾患の治療をはじめ、健康不安の相談、在宅医療など、幅広く対応している。クリニックでの診療に関して、また東京での勤務医時代やアメリカ留学での経験についても話を聞いた。一つ一つの質問に対して明快に答え、専門的な内容をとてもわかりやすく説明してくれる姿は、地域の人から信頼される人柄と診療スタイルを物語っていた。

(取材日2020年6月24日)

心の距離が近い地元で身近な医師として治療を行う

田渕内科医院は開院から50年以上とお聞きしました。

田渕勝彦院長 田渕内科医院1

そうですね。私の父が1963年に開院いたしましたから、もう57年ですね。祖父は香川県で開業医をしておりましたが、父は何かの縁で松山のクリニックや松山赤十字病院で勤務医をしていました。松山赤十字病院での勤めを辞めたのち、この地で開業しました。父が病気で倒れ、私が松山に戻り当院を継いだのは1998年ですから、私が診療をするようになってからでも20年以上になります。

後を継ぐというお気持ちはずっとおありだったのでしょうか。

東京慈恵会医科大学に進学した際は、「いずれは愛媛に帰るんだろうな」と思ってはいました。医師免許を取得後、東京国立第二病院(現・東京医療センター)で研修医をし、後期研修を受け、そのまま東京国立第二病院に就職したんですよ。就職してからは、愛媛に帰ることをあまり考えなくなっていました。新しいことをいろいろ学べて非常に楽しかったですし、仕事にもやりがいを感じていましたからね。愛媛に帰ることを考えるようになったのは、阪神淡路大震災の時でした。厚生労働省の救護班の医師として神戸の長田小学校へ行き、東京弁ではなく関西弁で診療をしたところ、しっくりきたというか、気持ちの距離の近さを感じたんですよ。そのときに「愛媛で診療をしたいな」という思いは生まれていたのですが、松山に戻って来た直接のきっかけは、父が病気で倒れたからでした。

どのような患者さんが多いのでしょうか。

田渕勝彦院長 田渕内科医院2

特殊な医療を提供しているわけではなく、よくある疾患、身近な病気を中心に診療しています。主訴ということで言えば、本当にさまざまです。風邪の症状、おなかの調子が悪い、体調がすぐれないといった症状を訴えて来院される患者さんや、アレルギー性の鼻炎や、糖尿病、高血圧、高脂血症などの生活習慣病の治療などに通って来られる患者さん、睡眠障害に悩んでおられる方など、幅広いです。当院の周辺に住んでおられる方の来院がほとんどで、中には父の代からの患者さんもおられますし、代々ご家族で来てくださっていたりもします。近くに愛媛大学と松山大学があるので、大学生の患者さんもおられます。

アメリカで学んだ総合内科や生命倫理学を生かした診療

クリニックの特徴をお聞かせください。

田渕勝彦院長 田渕内科医院3

よくある疾患を中心に幅広く治療を行っています。患者さんの健康問題に対して、身近なアクセスを提供し、健康に関する不安を払拭することを第一に考え、患者さんの意思を尊重しながら、適切なアドバイスを提供します。つまり、地域の人にとって身近であることと、特定の分野の病気を専門的にというのではなく、さまざまな症状に対して広く診る、というのが特徴です。専門的な検査や治療が必要だと診断した場合は、総合病院などに適切な橋渡しを行います。在宅医療にも対応しています。まだそれほど多くはありませんけれども、ご希望に応じて看取りまで診させていただいています。

先生のご専門分野についてお話をしていただけますか。

勤務医時代は血液内科が専門分野でしたが、現在は総合診療内科ですね。東京国立第二病院の血液内科に勤務していた時代には、血液のがんの治療や骨髄移植などに取り組んでいました。総合診療内科の方に進んだのは、師と仰いでいる先生に憧れ、一部の狭い領域だけでなく、もっと総合的に人を診たいと考えるようになったからです。ちょうど厚生労働省が総合診療内科を立ち上げようとしているときで、そこから米国ジョージタウン大学の総合診療内科に留学し、2年間の講習を受けました。総合診療内科を一言では説明できませんが、いわゆる「病気」という視点だけでなく、倫理的視点、社会的視点など多角的に疾病を捉えて治療していく診療科と考えています。

留学中に医療経済学や生命倫理学についても学ばれたそうですね。

田渕勝彦院長 田渕内科医院4

はい。私がアメリカで学んでいた頃は生命倫理がどんなふうに現実社会で応用されるかはうまく想像できなかったし、当時はアメリカから持ち帰った生命倫理の考え方が日本には通じないというか、合わなかったですね。だんだん日本でも生命倫理が発展してきて受け入れられるようになってきて、その最たるものが、厚生労働省が言っている「人生会議」。人生会議とは、人生の最終段階について事前に自分の意思を確認し、家族と話し合い、代理決定者を決めて、もし自分の意識がなくなったとしても自分の望みに沿った選択ができるようにしておくというものです。生命倫理を学んだことで患者さんへのアプローチの仕方は変わったと思います。医療のプロとして最善と思われる提案はするけれども、患者さんの意思を最大限にくみ取ることも大事に考えるようにしています。

地域医療を支えるクリニックの院長として心がけておられるのはどのようなことですか。

風邪や生活習慣病などありふれた病気の治療を行い、万が一、その方に高度な医療が必要な状況が訪れた際には、専門家へ紹介するという「かかりつけ医」としての役割を果たすということです。もちろん、当院でできるレベルの治療はしっかり行います。ほとんどの方は、ありふれた病気やそれに伴う不安から受診されます。患者さんの話をよく聞き、わかりやすく説明をし、適切な医療を行い、不安を取り除いてあげることが大事です。ただ、患者さんが本当は何を心配していて、それを取り除くにはどうすればいいかを見つけるのは、医師を何年やっていても難しいですね。

診療ができ、地域住民の役に立てることがうれしい

仕事のやりがいをどういったところに感じていますか。

田渕勝彦院長 田渕内科医院5

診療ができていることが幸せです。代々、病院に来てくださっているご家族がいたり、大きな病気の兆候を早めにとらえ、総合病院におつなぎして、治療を終えた患者さんが当院に帰ってきてくれたり。そういったことにやりがいを感じます。勤務医時代に担当した白血病の患者さんの中に現在でも元気でおられる方がいます。今も年賀状のやりとりなどのお付き合いが続いていて、ある時、当時小学生だった息子さんが、仕事で松山に来た際に、当院に立ち寄ってくださったんですよ。「いつかお会いしたいと思っていました」と言ってくださったのは本当にうれしかったですね。

子どもの頃から医師になると決めておられてたのでしょうか。

周りから「医師の道へ」と言われていましたからね。本当はコンピューターの分野に興味があり、理工学部に進学したかったんですよ。医学部に進んでメディカルエンジニアになろうか、と考えたりしていました。勤務医時代、当時は薬剤の計算を電卓で行っていたので、コンピューターの表計算ソフトを使って薬の処方などに使えるプログラムを作ったりしました。息子が2人いまして、長男は理工学部を卒業後にコンピューター会社に就職、次男は現在研修医をしています。長男とはコンピューターの話ができ、次男とは医療について話せるから、息子たちと話すのは楽しいですよ。

休日の過ごし方を教えてください。

田渕勝彦院長 田渕内科医院6

5年くらい前に再開した卓球です。高校から勤務医時代まで卓球をしていたんですよ。昨年愛媛県で開催された医師卓球大会に大学の同級生とチームを作って出場しました。来年の大会に向けて練習しています。

最後に読者へのメッセージをお願いします。

医療への気軽な入り口になれればいいと思っています。不安なことがあれば、些細なことでもいいので、ご相談ください。すべての病気の治療をここで完結できるわけではありませんが、解決への道筋をつけることはできます。今、コロナ恐怖で受診を控えてしまって、薬を継続せずに病気が悪化してしまったり、小児の予防接種にも行かないという人もいたりします。それはよくないことだと心配しています。正しく恐れていただければと思います。

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