長山 郁惠 先生の独自取材記事
長山整形・内科
(堺市堺区/堺駅)
最終更新日:2024/08/01

南海本線・堺駅の東側に見えるオレンジ色のビル、その1階にあるのが「長山整形・内科」だ。台湾出身の長山正院長が1992年に開業、以降、町の整形外科として地域の住民から親しまれてきた同院では、2018年春から長女の長山郁惠先生が診療を始め、内科系疾患にも対応できるようになった。「小さな頃からおしゃべりが大好きなんです」と明るく笑う郁惠先生は、かつては本気でピアニストをめざし、医師になってからも思い定めた道を追求してきた活動的な女性。急性期病院の腎臓内科で臨床経験を積み、さらに東洋医学や終末期医療にも目を向ける郁惠先生に、これまでの歩みや、同院で取り組んでいきたい医療について語ってもらった。
(取材日2019年6月13日)
ピアニストから医師へ、人の役に立つ仕事を求めて
最初に、医院の歴史をご紹介ください。

私の父である院長は、台湾で医師になって日本に留学し、日本で医師免許を取得した後に大阪大学整形外科へ入局、医局の関連病院で勤務してきました。堺で開業したのは、近くに親族が営む医院があったからです。現在の場所から少し離れた住宅地の中で開業したので、医院は自宅と接していました。学校から帰ると、患者さんに「おかえり」と声をかけてもらったりと、地域に見守られながら育ちましたね。幸いにも患者さんが大勢来てくださるようになり、数年後にはこちらへ移転しました。私を子どもの頃から知っている患者さんも多いですよ。現在も、患者さんの半分以上は整形外科を受診していて、ご高齢の方やケガをされた若い方、さらに健診をきっかけに赤ちゃんや小学生も来ています。
やはりお父さまの影響で医師になられたのですか?
いえいえ、実は高校1年生まではピアニストになるつもりでした。コンクールで入賞したり、ピアノで海外留学したりと、わりと本気だったんです。ところが、幼い頃から家族ぐるみで仲良くしてきた友達のお母さんが、病気で亡くなって。また、アメリカで同時多発テロも起きるなど、人の生死に衝撃を受ける出来事が続きました。多感な年頃でもあり「自分の人生はピアニストで良いのか」と思い悩むうちに、患者さんと接する父の姿を思い出し、「人の役に立つ仕事がしたい」と考えるようになって、医師へと進路を大きく変更しました。そこからは慌てて必死で勉強し、医学部へ進むことができました。
専門は腎臓内科という珍しい領域です。

学生時代は、血圧や呼吸などの全身管理ができるという理由から、麻酔科の医師になると決めていました。しかし、卒後研修でお世話になった大阪労災病院で、腎臓内科の仕事を目の当たりにしたのです。腎臓内科の先生は、重症の内科疾患の患者さんが抱える複数の問題点を一つ一つ整理して、丁寧にアプローチして容体を回復させ、ICUから一般病棟へ、そして退院へという経過をサポートしており、内科ならではの全身管理がとても印象的でした。また、麻酔科の患者さんは基本的に眠っていますが、内科病棟の患者さんは起きてお話ししています。子どもの頃からおしゃべり好きな私ですので、内科の雰囲気も魅力的に感じて、腎臓内科への所属を決めました。
身近な医院ならではの治療・情報提供に取り組む
こちらで勤務されるようになった経緯を教えてください。

腎臓内科は大きい病院にしかないので、ずっと勤務医を続けるつもりでした。しかし、私には気になっていることがありました。腎臓内科に紹介されて来る患者さんは、腎臓の機能が健康な方の20%以下にまで低下した重症例であることが多く、そこからできることは透析など限られています。なぜ、もっと早期の、かかりつけ医の段階で腎機能のフォローができないのか、と考えるようになったのです。ちょうどそんな時期に、私自身が妊娠出産を経験し、生活が大きく変わりました。また、時折ここで父の代診をしていると、患者さんから「先生が帰ってくるなら頑張って長生きするよ」と温かい言葉をかけてもらうことも。腎臓内科での経験を生かして、「町のお医者さん」としてできることがあるのではないか、と思うようになり、2018年の4月から当院で勤務を始めました。現在は、父と私の二診制で診療を行っています。
今はどのような点に力を入れて診療していますか?
風邪などの急性疾患のほか、生活習慣病の方が多いので、患者さんのお話をよく聞き、時間をかけて信頼関係を育んだ上で、単に治療するだけではなく、今後どのように生活すれば良いかというところにまで踏み込んで、一緒に考えるようにしています。例えば塩分制限が必要な方が市販のお惣菜に頼っているのなら、何を買えば良いのか、管理栄養士に指導してもらう。認知症の傾向があって、家族のサポートが得られないのなら、訪問看護や介護職と連携する、といったことです。このようなアプローチは、ご本人の日常生活や家庭環境をよく知らないとできませんので、雑談にも時間をかけながら、密な関係づくりを心がけています。個々の患者さんと丁寧に向き合う父のスタイルからも、影響を受けていますね。
終末期を意識した情報提供にも取り組まれているそうですね。

体調を崩して急性期病院に救急車で運ばれると、患者さんはこれまで考えたこともなかったような選択を迫られます。呼吸が止まったら人工呼吸に切り替えるのか、心臓が止まれば心臓マッサージをするのか、栄養を取るためのカテーテルを入れるのか、といったことです。確かにすぐには決められない内容ですが、決めておかないと医療側は症状が急変しても対応できず、結果的に患者さんが一番苦しい思いをする、そういう場面を、嫌というほど見てきました。だから信頼関係が築けてきた患者さんには、様子を見ながら資料をお渡しして、「もし次に救急車を使うようなことがあれば、こんな話が出ると思うから、ご家族とも考えておいてね」とお伝えしています。見たくない情報かもしれませんが、これから起こり得ることを知り、より納得できる、現実的な選択をしてほしいのです。元気なうちに、最悪の状況に備えてほしいですね。
患者・家族の伴走者をめざして
漢方薬も積極的に導入されていると聞きました。

大学時代には東洋医学研究会という勉強会に参加して、東洋医学の基礎を6年かけて学びました。ですから、脈を診る、舌を見る、腹部の触診などといった四診という方法も使って患者さんの体調を判断し、処方薬を決めていきます。漢方の良さは、何といってもお薬の選択肢の幅が広がること。ただ、患者さんは働いている方が多く、生薬を煎じるのは現実的ではないので、保険適用のある医療用のエキス製剤を使っています。長期間にわたって本格的に服用される場合には、腎機能にも注意しながら経過を見ていきます。
プライベートでお母さんになられて、診療に変化はありましたか?
患者さんには子どもを持つお母さんも多いので、子育て談議になると話が弾みますね。また、母親になってから、患者さんやご家族のお気持ちに「うんそうだよね、わかります」と共感できる機会がとても増えました。子育てと介護は、成長と老化という方向性は違うものの、手間がかかる点や変化し続けるところはよく似ています。理想はあっても思いどおりにはいかないので、患者さんやご家族の気持ちに思いを寄せながら、話を聞いたり複数の選択肢を提案するよう心がけています。
最後に、今後の展望と読者へのメッセージをお願いします。

お薬を工夫して腎機能の改善につなげられたり、救急車で運ばれた患者さんから「話を聞いていたので慌てなくてすんだ」と言ってもらえたら、やりがいを感じられます。せっかくここで診療を始めたのですから、ご家族やほかの職種の方を良い意味で巻き込みながら、父と同じように患者さんの人生の伴走者をめざしたいです。そして、患者さんやご家族が急な環境の変化で潰れてしまうことがないように、支えていきたいと思います。もし、体の不調や違和感があれば、放置せずに近くの医院を受診してみてください。重症になってから救急に運び込まれる患者さんを多々見てきました。適当な科がわからなくても、医師に相談すれば必要な医療機関へつないでもらえます。私も女性の患者さんから婦人科や皮膚科の病気について相談されることがありますよ。おかしいと思ったら、ためらわず身近なクリニックを受診してみてくださいね。