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真島 玲子 院長の独自取材記事

医療法人 林診療所

(大阪市平野区/喜連瓜破駅)

最終更新日:2020/11/30

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「林診療所」は、Osaka Metro谷町線・喜連瓜破駅から北西に徒歩約12分、市営住宅や学校が立ち並ぶ静かな一角にある。幹線道路沿いには大型店舗がそろい、暮らしやすさがうかがえるこの街には、古くからの住民に加えて転入者も多い。1964年に開業した同院は、先代である父から引き継いだ2代目院長の真島(まじま)玲子先生が、地域住民の心に寄り添いながら診療を続ける。55年以上にわたり親しまれてきた同院では、現在、幅広い年代の患者が受診する外来のほか、訪問診療にも注力。優しい笑顔が印象的な真島院長に、診療内容や地域のクリニックとの連携、患者とのエピソード、医院の歩みなどについて聞いた。
(取材日2020年9月16日)

各所と協力・連携した、地域全体で行う訪問診療に注力

現在の診療内容を教えてください。

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外来診療では午前の患者さんはご高齢の方を中心に、不整脈、悪性疾患、神経疾患などのご相談が多い傾向にあり、夕方から夜にかけては働き世代の方、急に体調を崩したお子さんも来院されます。現在は完全予約制の禁煙相談も設け、患者さんの日常の生活状況をお聞きしながら、アドバイスさせていただいています。また女性医師ということで、幅広い世代の女性にご来院いただき、さまざまなお話をしていただくことも。特に女性は閉経後の女性ホルモンの低下により骨粗しょう症などのリスクが高まりますので、50代前半くらいから骨密度検査と血液検査をお勧めし、「いつの間にか骨折」の予防を推進しています。またご高齢になると内科、整形外科……と複数のクリニックへの通院が困難になってくる方も多いので、軽症の関節痛や腰痛など日常的な痛みの緩和を目的としたマイクロ波治療器も導入しています。

在宅診療に力を入れ、地域のクリニックとも連携していると伺いました。

脳疾患の後遺症、悪性腫瘍、認知機能低下などで通院が困難な患者さんのご自宅を、地域包括支援センターなどと連携しながら訪問しており、在宅医療に力を入れています。地域では「在宅療養支援診療所」として、近隣の井上クリニックと酒井診療所と連携し、2020年で9年目を迎えました。主な取り組みとしては、月1回集まり、それぞれの在宅患者さんの変化や対応についてカンファレンスを行っています。重症患者さんや難しい事例の患者さんの経験を紹介し合うことで、お互いにヒントを得たり、参考にさせていただいています。24時間対応の訪問看護ステーションなどとも連携しながら、緊急時にはフォローし合えるよう協力体制を整えています。

一人暮らしの患者さんへのサポートはどのように行っていますか。

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ご家族が定期的に訪れてケアするケースも多いのですが、そうしたケアには限界がありますので介護保険の利用をお勧めしています。地域の包括支援センターと連携してケアマネジャーさんに訪問していただき、介護保険の利用につなげるという形です。介護保険を利用し、デイサービスや訪問介護のスケジュールと調整しながら訪問診療を組み込みます。診察室での短い時間では話せないことも、自宅であればリラックスしてお話しいただけることもあり、一人ひとりの患者さんとの時間を大切に日々訪問診療にあたっています。また離れていて立ち会えないご家族に患者さんのお気持ちをお伝えするために、私からご連絡してお話しすることもあります。

心に寄り添う診療で「生きるよろこび」を

患者さんと接する際に、心がけていることを教えてください。

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患者さんと同じ目線で、話しやすい雰囲気をつくるようにしています。ご病気への不安などから日々の生活の中で疲れてしまっていることもあるでしょう。その方が前向きに人生を楽しみ、治療に取り組めるように、意欲を引き出すことができるよう努めています。またご高齢の方の認知機能低下の影響なども鑑みながら、薬の飲み間違いなどがないか、残薬の確認を心がけています。薬の管理が難しいと思われる通院患者さんの場合は毎回持参していただき、こちらで残量を数え、残薬があるのなら必要な分だけお戻しすることもあります。細かいと感じられる方もいるかもしれませんが、正しく服用できているかを調べもせずにお出しすると問題も出てきますので、きっちりと確認しております。

患者さんとの印象深いエピソードはありますか?

耳鼻咽喉科領域の末期がんの70代の男性との交流が、今でも心に残っています。その男性は、病院からご自宅に戻られたとき、すでに手術によって声が出ない状態でしたから、訪問診療時は筆談、それ以外のときはコミュニケーションアプリなどを用いて親交を深めていきました。その男性は積極的な延命治療は不要とのご意思をお持ちでしたが、一方で心の救いを求めていらっしゃいました。そこで私にとって心の支えである聖書の言葉の一節をその方にお伝えしたところ、「山道を歩いているときに、一筋の清流の水を飲んだような思いがしました」と自然に、心に染み込むかのように、その言葉を受け取ってくださったのです。それは私の力ではなく、その方を救いたいという命の源である創造主の力が、男性の心に届いたのだと思います。その後、ご本人の希望どおりの最期を迎えられました。それはとても不思議な体験でした。

体の病気だけでなく、心にも寄り添うことを大切にしていらっしゃるのですね。

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残された時間があまりない患者さんの希望に寄り添いできることをしていきたいと考えています。当診療所には、私が大好きな影絵作家の作品を飾っています。その作品の中にはさまざまな生き物が描かれています。この作品を見て年齢や性別、その方の状況にかかわらず、それぞれの置かれたところで、生きていることが喜びである、という思いを持っていただけたら。病気を抱えると気力がなくなったり、悩んだり、苦しんだりしながら医療機関を受診するのですが、そこから本当の意味での「生きるよろこび」を見つけていっていただきたい。そのお手伝いができたらと心から願っています。

何でも相談できる、信頼できるかかりつけ医を探して

開院から56年以上、地域に寄り添ってきた診療所ですね。

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当診療所は、私の父が1964年に開業しました。この西喜連地区は当時から市営住宅が立ち並んでいたので、多くの患者さんが来られたものです。診療所と自宅が隣接していたので、子どもだった私でも「診療時間には静かにする」など肌で感じていました。私が継承した1996年からは、徐々に高層建築に建て替わり新しい住民が増える一方、以前から住んでいる方がご高齢になって、一人暮らしをされるケースが非常に増えていると実感し、こうした地域の変化に合わせた診療を行ってきました。

医師を志したのはなぜですか。

家を継ぐように言われたこともなく、自由な校風の学校で伸び伸びと生活し、小学生の頃は「漫画家になりたい」なんて思っていました。医師になりたいと思うようになったきっかけは、高校生のときに家族で行った広島旅行です。原爆資料館で、ある医師のドキュメンタリーフィルムを見ました。その医師は原爆投下直後に京都から救援に向かい、入市被ばくされて、数ヵ月後に白血病で亡くなられたとのこと。医師が、自分を犠牲にしてまで打ち込める仕事であることに強く心を動かされ、医師になろうと決心しました。それから改めて父を見ると、体調が悪くても患者さんが来るからと休まず診療していましたので、医師という仕事の責任を改めて感じたものです。

継がれてからも、ご苦労がたくさんあったのでは?

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診療所の運営を実務で支えてくれるスタッフはもちろん、家族のサポートの大きさを感じています。現在、私自身も高齢の母の介護をしておりますが、配食弁当の受け取り一つとっても、家族がすぐに動いて対応してくれることでとても助かっているんです。小さな積み重ねかもしれませんが、家族がいてくれるおかげでやって来られたと感謝しています。

最後に、読者へのアドバイスをお願いします。

社会が高齢化し一人暮らしの家庭が増える中で、それぞれの方がかかりつけ医をもつ重要性はより高まっていくと思います。予防接種や健康診断などで診療所を訪れる機会を利用して、ご自身が通院できる時間帯に診療しているか、最初の印象はどうだったかなどの視点を含めて診療所のシステムに関心を持ち、かかりつけ医を探されると良いと思います。そして、かかりつけ医との信頼関係はとても大切です。話しにくいと思われることがあったとしても、お互いの理解のためにも、何でも気軽にご相談いただきたいですね。

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