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藤原 正隆 院長の独自取材記事

藤原内科

(京都市左京区/松ヶ崎駅)

最終更新日:2024/05/22

藤原正隆院長 藤原内科 main

京都府左京区、松ヶ崎駅から南に向かい、穏やかな街並みを抜け歩くこと15分。北大路通り沿いに見えてくるのが「藤原内科」である。1954年に開業した当初は耳鼻咽喉科の医院だったが、2代目院長の藤原正隆先生が、大阪医科大学で17年の研鑽を積んだ後、1998年、同院を内科医院としてリニューアル。以来20年以上にわたり、地域医療を支えてきた。70代となる藤原先生だが、まだまだ、医療人として、地域の人々に伝えたいことがあるという。開業の経緯から医療にかける思い、そしてベテランの医療人としての矜持まで熱く語ってもらった。

(取材日2024年4月12日)

地域を見守り25年。自分も受けたい医療を提供

昨年は開業から25周年だったそうですね。開業まではどんな環境で研鑽を積まれていたのですか?

藤原正隆院長 藤原内科1

1980年に大阪医科大学を卒業しました。それから市立枚方市民病院に1年間勤務し、その後大学へ戻ってきて、以降開業するまでのほとんどの期間大阪医科大学に勤めていました。私の専門は循環器内科なのですが、循環器内科医となることを志したのは、研修医の時です。私が所属した大学の第一内科には糖尿病、神経内科、循環器、呼吸器、肝臓、膠原病などさまざまなグループがありました。入局し最初に研修に回ったグループが、循環器グループで、その時に珍しい症例の主治医を担当し、症例報告もさせていただきました。それがきっかけで循環器疾患を専攻するようになりました。第一内科は循環器疾患以外にも消化管疾患を除くほとんどの内科領域をカバーしていましたから、いろいろな患者さんを診る機会にも恵まれました。開業前の1年間は老人医療を学ぶ必要があると考え、京都大原記念病院にもお世話になり、その後父の後を継ぎ、開業する運びになりました。

勤務医として経験を深めてからの開業だったのですね。

ええ。開業にあたっては、専門性を生かして循環器内科の医師としてやっていきたい。そんな思いが強くありました。開業当初は心臓弁膜症なども診られるよう、当時は京都府内でも導入数が少なかったハイエンドのエコー検査機器を入れるなど、設備面も充実させたのです。ただ、実際に来院される患者さんは高血圧などの一般内科領域の不調でお悩みの方が多かったですね。9割以上が一般内科の患者さんです。

先生の医師としてのこだわりを伺えますか?

藤原正隆院長 藤原内科2

患者さんに、私自身が受けたいと思える医療を提供するということにはこだわってきました。例えば、私が必要でないと思う検査は極力やらないようにしています。処方薬を選ぶ際にも、私の知る限りより信頼性の高いものを選び、余分な薬は出さないようにしています。また、藤原内科は開業以来電子カルテを使って診療していますが、画面ばかりを見ることはせず、患者さんと向き合い、患者さんの顔色や表情を確認しながら診察を進めることも重視しています。治療方針を決める場合も、専門用語は使わず、患者さんにもしっかりわかるような形で複数ある選択肢を提示し、それぞれのメリット、デメリットを理解してもらった上で選び取ってもらうということも強く意識していますね。

院内新聞や健康教室で啓発活動も行う

幅広い診療範囲をカバーされていますが、医療機関としての強みはなんでしょうか。

藤原正隆院長 藤原内科3

京都大学や京都府立医科大学など地域の大学病院と大学関連のしがらみなく連携が取れることは強みの一つです。ちなみに京大医学部循環器内科の木村剛前教授とは、お互い大学時代、それぞれサッカー部に所属していて、公式戦で対戦したこともあります。そうしたご縁もあって、何人も患者さんを紹介させていただきました。あと京都大学消化管外科の小濱和貴教授は、ボウリング仲間です。また開業当初から電子カルテを活用していることも強みの一つです。当院では長年の蓄積から20年以上前の症例もすぐに検索できるようになっています。ずっと通われる患者さんも多く「以前にこの薬を使ったときはこんな副作用が出た」といったことも、古いカルテを倉庫から引っ張り出さなくてもわかるので、スムーズに診断、治療につなげることができていると思います。

院内新聞を発刊したり、健康教室を開催したりしているのも特徴的ですね。

院内新聞「どないです」は、今日まで36回にわたって刊行し疾患の基礎的な知識から「日本医療の問題」などについてもまとめてきました。また健康教室では、実際に患者さんと対面する場を設けて30分ほど、「糖尿病の基礎知識」「医療費の基礎知識」などを伝えていました。ただ正直なことを言うと、患者さんのニーズにかなっているだろうか、と思うこともあり、現在は休止しています。健康教室を実施するためには自身も勉強する必要があります。患者さんが自分のかかりつけ医として、そのような医師を求める時代になれば、再開も考えたいと思っています。残念ながら、今は患者さんの医師・医院選びの基準は「近いから」がほとんどで、「どの医者でもいい、お薬さえもらえれば」なんですよ。かかりつけ医を選ぶことは、自分の人生を左右することもあるということを、皆さんに知っていただきたいです。

診察にあたって心がけていることはなんでしょうか。

藤原正隆院長 藤原内科4

ある患者さんが、「大学病院の先生はモニターの画面ばっかり観て、私の顔を見てくれない」と私に話してくれたことがあります。雑談などできる雰囲気ではないんですね。でもその中から、病気の手がかりとなる情報を拾い上げることができる場合もあります。ある患者さんが「最近便に血が混じることがあってね」とおっしゃったとしましょう。それは大腸がんの可能性を示唆しているわけですが、そのひと言がもしなかったとしたら、検査や治療が遅れてしまうわけです。ですから、そういうひと言を言っていただきやすい雰囲気をつくることを大切にしたい。言いたいことがあるのに言えなくて帰る人がないようにしたいですね。

20年来のスタッフそして妻とともに、医師として尽力

スタッフの皆さんが親切なのが印象的でした。奥さまとも一緒に働かれているそうですね。

藤原正隆院長 藤原内科5

スタッフは事務6人、看護師2人です。半数のスタッフが20年以上働いてくれていますね。スタッフは「私の宝」という気持ちで、働きやすい環境、福利厚生には気を使っています。例えば、給与面での優遇であったり、ちょっと高級なケーキを買ってきてみんなで食べたり、ですとか。ただスタッフたちにいつも言っていることは「初心忘るべからず」ということです。少しの気の緩みが患者さんの健康被害につながるので、慣れても慢心せず、確認とケアを怠らないようにと伝えています。妻には、土曜に腹部エコー検査や胃の内視鏡検査を担当してもらっています。京都市左京区は開業医の激戦区ですから、開業当初の資金的に余裕がない時期には、勤務医である家内の収入に助けてもらったこともありました。

医師として、日々尽力しながらも、趣味は大切にされているそうですね。

中学生の頃、ボウリングブームが来て女性のプロボウラーが活躍した時期がありました。ボウリングはその頃から始めたんですが、近所に今はスーパーマーケットになっているところにボウリング場があり、そこでよく投げていました。大学生になってからはサッカー中心になり、離れていたのですが、走るのがつらくなってきた頃、小児科の先生に誘われて医師の全国大会に参加したのがきっかけで、ボウリング熱が再燃しました。アベレージは180くらい。医師を対象にした全国大会では優勝したこともありますよ。今は膝を痛めて、休んでいますが、その代わりにミラーレス一眼カメラで、花や町中のスナップ写真を撮るようになりました。今は写真教室にも通っています。その他、診療所の屋上に観測室を作って、天体観測もやっています。

最後に、今後の目標や読者へのメッセージをお願いいたします。

藤原正隆院長 藤原内科6

もう、私も70代になります。実は還暦になった翌年に脳出血も経験しました。幸い後遺症もほとんどなく、普通に診療ができていますが、正直にいうと、あと何年医師を続けられるのか、と思うこともあります。ですが、付き合いが長く「私を看取ってくださいね」とおっしゃる患者さんもおられます。少しでも長く、こうした関係を大切にしていく、というのが目標の一つですね。また、記事をお読みの方には「医師選びは慎重に」とお伝えしたいです。医師同士であれば、その先生がどういった医師なのか判断する指標はいくつか持っていますが、一般の方にとっては判断材料が少ないものです。医師選びは人生に関わるといっても言いすぎではありませんから、慎重に見極めてほしいと思っています。

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