関谷平針メンタルクリニック

関谷平針メンタルクリニック

関谷 紫院長

20180828 bana

ラベンダー色の椅子が並んだ待合室に、広く窓が大きい診察室。「関谷平針メンタルクリニック」は、平針駅すぐのビル3階にあり、アクセスも良く、静かで落ち着くクリニックだ。患者から贈られたという小物や手作りの品もさりげなく飾られている。関谷紫院長は、普通の暮らしをしている人々のつらい病気を支えたいという思いで開業した。当時は敬遠されがちだった精神科も、今では人々の心のよりどころであり、先生の優しい言葉や親身な診療に救われた患者も多いだろう。「病気は私に預けて、患者さん自身には幸せな人生を送ってほしい」と関谷院長。亡くなった祖母や恩師から引き継いだ思い、診療に対する信念など語ってもらった。
(取材日2018年8月10日)

教師になる夢から医師へと転換

―先生が医師をめざされたきっかけを教えてください。

私の父は会社員、母は専業主婦でした。ただ母方の祖母が内科、小児科の医師で自宅で開業しており、祖父は薬剤師。夜中も往診に行ったり、時間を問わず患者さんが来られたりという家庭でした。忙しいときは母も手伝っており、そんな生活を見かねてか、かわいがってくれた曽祖母は私に「医師にはなってはいけないよ」と言っていましたね(笑)。高校時代、先生に教師になることを勧められ私もそのように思っていましたが、藤田保健衛生大学で薬理学をしていた伯父の強い勧めで、同大の医学部だけは受験し、合格しました。曽祖母は私が中学生の時に逝去しており、そして祖母は私が大学生の時に、夕方の診療を終えてソファーに腰を下ろし、そのまま亡くなりました。

―精神科を専門に選ばれた理由は?

学生時代の病院実習で精神科を回ったとき、人生を左右するほどの深刻な病気でたくさんの人が悩み、苦しんでいることを知り衝撃を受けました。当時、精神薬理学の進歩で新しい薬ができたことも興味深く、今後は疾患を解き明かし、治療する時代へ進んでいくという先生方の話に胸がときめきました。教授が、精神科の医師であっても最低限のことは何でもできる医師であるべきとの方針でしたので、複数の病院で内科、外科の研修もしました。学会の地方会で発表したり、胆石や盲腸の手術に携わったりもしましたね。その後、愛媛県の大規模な精神病院では重い疾患の方も担当し、多くの経験を積ませていただきました。

―その後、1995年に開業されたのですね。

勤務医の傍ら、大学院から取り組んでいた、抗うつ薬がラットの脳内に及ぼす影響など精神薬理学の研究を続けており、研究は性に合っていたと思います。振り返れば、岐阜の田舎での小学校時代から夏休みの自由研究には力を入れていました。水草の越冬についてとか淡水魚の生態など、地元の高校の生物部へ質問に行ったこともあります。研究生活も充実していたのですが、医局の環境が変わったことと、当時の精神病院は行きづらいところでしたので身近なメンタルクリニックが必要とされているのではないかと考えたことで、開業を決めました。しかし場所探しでは、内科ならよいが精神科はだめと入居を断られることも……。このビルはオーナーさんが薬局をされていて理解がある方で、薬剤師さんも精神科勤務の経験があるなど、ご縁があり幸いでした。

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