福富 悌 院長の独自取材記事
福富医院
(岐阜市/岐阜駅)
最終更新日:2023/02/27

1953年の開業から岐阜市安食で診療を続けている「福富医院」は、2022年3月に同じ安食地区内に移転開業。敷地面積は以前の倍の広さになり、3階建てから2階建てのクリニックにリニューアルした。建物の設計には、看護師など各部署のスタッフも携わり働きやすい環境を実現。駐車場には移転開業を祝して地域住民から寄贈された、鶴の置物と亀石が飾られている。院長の福富悌先生は、医療と対等な福祉に着目して、早くから小児の訪問看護や病児保育、障害児支援に小児科医師として取り組んできたドクター。「これからも地域の期待に応えていきたい」と語る福富院長に、移転開業したクリニックのことや地域住民への思い、今後の展望などについて聞いた。
(取材日2022年3月1日)
移転開業し環境を整え、今後も地域の期待に応えていく
広々としたクリニックに生まれ変わりましたね。移転された経緯を教えてください。

ようやく完成しました。移転を考え始めたのは2016年頃です。近年は自然災害が多く発生し、各地で医療施設や福祉施設が災害の被害に遭っています。これまで当院は山裾にありましたので、災害のリスクを考慮した上で移転を計画したのです。また、今後長く地域に医療を提供していくためにも、移転リニューアルは必要だと考えました。敷地面積は元の場所と比べて倍の広さがあるので、建物も3階建てから2階建てにしました。早く移転開業したかったのですが、昨今の感染症拡大の影響で建築工事が思うように進まず、当初の計画よりも2年ほど遅れて完成しました。うれしいことに、地域住民の皆さまも完成を心待ちにしてくださっていたようで、移転開業のお祝いに地域の方から鶴の置物と亀の甲羅に似た亀石を寄贈していただき、駐車場の一角に飾っています。これからも地域の皆さまの思いに応えていきたいですね。
診察室を増設し、それとは別に新たに設けた部屋もあると聞きました。
これまで診察室は1部屋のみでした。私を含めて3人の医師が交代で診察室を使っていたのですが、私のデスク周りはいつも雑多で(笑)。これでは2人に失礼だと思い、診察室を3部屋に増やしました。1部屋は私が使用し、もう1部屋で2人の医師が診察します。残りの1部屋は特殊な診療をする場所にして、感染症の恐れのある患者さんの待機場所として使用する予定です。また、移転開業にあたり、新たに栄養相談室を設置しました。ここでは管理栄養士が高血圧症や糖尿病の方をはじめ、お子さんの食事指導を行います。あと、2階にある病室は入院患者さん1人あたりの床面積を広くしました。また、2階にはスタッフの休憩室があります。天井が高く、大きな窓があって見晴らしの良い場所です。
患者さんだけではなく、スタッフさんにとっても居心地の良いクリニックになったのですね。

当院では、各部署が自主性を持ち、スタッフ一人ひとりが考えて行動することを重視しています。移転開業にあたり各部署が働きやすい環境になるよう、スタッフと設計士で直接話し合ってもらいました。普段からスタッフの現場には、なるべく口を出さないように心がけています。わからないことや相談されたことにはアドバイスをしますが、あまり口を出すと自主性を損ないますからね。また、都市部で働きたい方は多いでしょうが、場所が田舎ですから働きたい人を一人ひとり大事にしています。「患者さんのために親身になって一生懸命に」という私と共通の思いを日頃から現場で育てていってもらえれば十分ではないでしょうか。
子どもたちを支える小児科のエキスパート
病児保育や小児の訪問看護、障害児支援にも力を入れているそうですね。

同じ建物内に病児保育園を併設しています。この地域は家族総出で働いている方が多いので、やむを得ずお子さんを自宅に1人で残されているご家庭もあります。親御さんはさぞかし不安でしょうし、仕事を休めない気持ちもわかります。入院を必要としない病気のお子さんを預けて安心して働いてもらえるように、まだ病児保育が何か皆さんほとんど知らない頃に開園したんです。数多くの方にご利用いただきたいと考え、各地で講演をして理解を深めていただきました。
これまで小児科医として、多くの子どもと接してきたそうですね。医師としての歩みを教えてください。
私は少年時代、吃音症でよどみなく話せないことから自分に自信が持てずにいました。医師だった父の勧めで、岡山県にある医科大学の付属高校に1年浪人して入学し医師をめざしました。人と話す機会を極力減らしたいという理由で、麻酔科医師の道を選択し、卒業後は救急科で知られる大学の付属病院に勤務しました。救急医療では交通事故や脳梗塞など命の危険がある患者さんに比べ、夜中の子どもの発熱などは、優先順位が低く二の次にされてしまいがちですから、親御さんたちは皆不安げな顔をされていました。そのような経験から、この親子のような人たちのためにできることがあるのではと故郷に帰り、岐阜大学医学部附属病院に勤務先を決めたのです。大学病院には人工呼吸器を必要とするような重症のお子さんが大勢いましたので、麻酔科医師として学んだ知識も役に立ちました。
故郷の岐阜に戻られてから、在宅看護や特別支援学校への医療的ケアも始められたそうですね。

アレルギーについても専門に学んでいたので、大学病院ではアトピー性皮膚炎で悩むお子さんの診療にも力を入れました。そうして頑張っていた矢先に、父親が倒れて入院。そこでおよそ10年勤めた大学病院を辞め、開業医として再出発することにしたのです。その年に、人工呼吸器をつけた子どもの在宅看護に携わる機会がありました。その経験をきっかけに、当院でも高齢者と児童の訪問看護に対応するようになり、それを聞きつけた近所に住む長良特別支援学校の養護教諭さんから、障害児の医療的ケアを任せられないか打診があったのです。当時は国の制度が今のようには整っていなかったのですが、こうした活動がきっかけとなり岐阜県内の特別支援学校における医療的ケアの制度がつくられました。その後私は、社会福祉法人を立ち上げ、就学前のお子さんの発達支援や相談、特別支援学校に通うお子さんの放課後をケアしたいと考え障害児通所支援事業所も設立しました。
医療と福祉を柱に、多面的に地域に貢献
早くから病診連携のようなことを行っていたと聞いています。

はい。まだ医院の近くに大学病院が移転する前から、近くの平野総合病院にお願いし、内科の勉強会に参加させていただいたり、重度な急性期の患者さんを送ったり、症状の落ち着いた患者さんはこちらに戻していただいたりといった連携を行っていました。医療機関機能の役割分担をはっきりさせたことで、患者さんからもさらに信頼していただけるようになったと思います。大学病院が移転してからは、そちらへの紹介件数も増えました。地域の医療資源の適切な配分のために、今後も協力していきたいです。
医院外活動として、病児保育施設のスタッフ育成にも注力されていると伺いました。
数年来、全国病児保育協議会の岐阜県支部の活動に参加してきましたが、病児保育施設の運営にあたっては、看護師や保育士の専門領域だけではカバーできない部分が多く、専門知識を持ったスタッフの育成が重要だと考えています。その考えもあって岐阜女子大学で全国的に珍しい病児保育の専門講座を開講し、後進の教育に力を注いでいます。当院のスタッフも講師として活躍中です。
最後に、今後の展望と読者へのメッセージをお願いします。

移転開業しましたが、診療内容やスタッフの体制は今までどおりで変わりありません。先端の高度な医療や検査は近くの大学病院が担い、当院は地域一人ひとりに対して医療を提供し、この地域で暮らしている方々を守っていく役割を担っていきたいと考えています。医療と福祉を柱に、今後は子育て支援にも力を入れ、2022年4月には保育園を開園する予定です。将来はグループホームなど高齢の方が住めるような場所も敷地内につくりたいですね。地域が存在するから、当院が存在します。これからも地域の思いや期待に応えられるようなクリニックをめざしていきたいですね。