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福富 悌 院長の独自取材記事

福富医院

(岐阜市/岐阜駅)

最終更新日:2021/10/12

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岐阜市中心部より本巣市や山県市に近い中山間地の北西部に「福富医院」はある。福富悌院長は、医療と対等な福祉に着目して、早くから小児訪問看護や病児保育、障害児支援に小児科医師として取り組んできた。こうした先進的な取り組みが、現在の福祉医療の在り方に与えてきた影響は大きいといえるだろう。また、「地域のお医者さん」として親の代から親しまれてきた顔もある。子どもたちに優しい支援の手を差し伸べる福富院長に、これまでの取り組みや今後の計画などを聞いた。

(取材日2020年9月16日)

勇気を与えてくれた病気と闘う子どもたち

医師を志した理由を教えてください。途中で専門領域を変更したと伺っています。

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吃音症で、よどみなく話せないことから自分に自信を持てない少年時代を過ごしてきました。医師だった父の勧めで、地元よりも新天地で進学したほうが良いと、岡山県にある医科大学付属高校へ1年浪人して入学しました。進学し医師の道を歩むのですが、人と話す機会を極力減らしたいという理由で、麻酔科医師の道を選びました。消極的な理由で選んだことで果たして医師としてこれでいいのかと常々悩んでいましたね。卒業後に勤務した大学の付属病院は救急科で知られていました。交通事故や脳梗塞など命の危険がある患者さんに比べ、夜中の子どもの発熱などは優先順位からみれば二の次にされてしまいがち。軽症かもしれませんが、子どもを抱えるお母さんは不安げな顔でとても心配しています。そのような経験から、自分は情けない人間だけれども、この親子のような人たちのためにできることがあるのではと、故郷に帰り岐阜大学医学部附属病院に勤務先を決めました。

小児科の医師として故郷の大学病院に戻られて、その後にこちらの医院を継がれますね。

大学病院には人工呼吸器を必要とするような重症のお子さんが大勢いらっしゃり、麻酔科医師として学んだ知識も役に立ちました。生きるか死ぬかを戦っている子たちに比べたら吃音で悩んでいたことなんて小さいことだと思いはじめ、自分もしっかりしなければと、小児科のエキスパートになろうとこれまで以上に仕事に専念いたしました。アレルギーが専門でしたので、アトピーで悩むお子さんのための診療にも力を入れました。そうして頑張っていた矢先に、父親が倒れ入院になりました。意を決しておよそ10年勤めた大学病院を辞め、開業医として再出発することにいたしました。

開業医になられた年に、人工呼吸器をつけた子どもの在宅看護に携わられたとか。

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開業医に転身した当初は、多忙だった大学病院に比べてギャップを感じましたね。とにかく暇で、私の子どもたちが通う小学校のクラスがインフルエンザで学級閉鎖になっても誰も来なかったんです(笑)。時間が山ほどあるので、日本の医学はこれからどうなるのだろうと医学専門書を片っ端から読みました。アメリカの医療事情を解説した本に、福祉が医療と対等になりつつあるとありました。そこで、日本の進むべき道も在宅医療や介護など福祉の充実である、と考えるようになりました。その頃、岐阜県立岐阜病院でNICU(新生児特定集中治療室)がたびたび満床になる事態が起こり、人工呼吸器をつけた子どもを在宅看護に戻せないか検討されました。ところが、人工呼吸器を扱える小児科開業医はほとんどいなかったので、私が引き受けることになりました。医院としては、障害児対応の出発点です。

ボランティアから始めた小児や障害児への医療支援

その後、特別支援学校への医療的ケアも始められます。

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高齢者などに加え、児童の訪問看護は医院併設の白百合訪問看護ステーションから車で30分圏内を診て回り、軌道に乗ってきました。その評判を聞きつけ、近所に住む長良特別支援学校の養護教諭さんから、障害児の医療的ケアを任せられないか打診がありました。国の制度が今のようにまだ整っていない頃のことです。その時は、ボランティアで常駐看護師を派遣いたしました。この活動を通して、岐阜県内の特別支援学校における医療的ケアの制度がつくられました。また社会福祉法人も立ち上げ、就学前のお子さんの発達支援や相談、特別支援学校に通うお子さんの放課後をケアする障害児通所支援事業所も設立いたしました。

小児訪問看護や障害児ケアと平行して病児保育園も開園されました。

大学病院勤務時は、「明日も来なさいね」と声をかければ、翌日も診療に来てもらえたのですが、開業医になってからは来ない方も多く見受けられました。この地域は家族総出で働いている方が多いのです。お子さんは自宅に1人で残されて、さぞかし不安でしょうし、親御さんの仕事を休めない気持ちもわかります。入院を必要としない病気のお子さんを預けて安心して働いてもらえるように開園いたしました。病児保育が何か皆さんほとんど知らない頃です。開園後1ヵ月の利用者は1人しかありませんでしたが、各地で講演をして理解を深めていただき、現在では数多くの方にご利用いただいています。

訪問看護や病児保育、障害児ケアなど、スタッフさんは特別な資質を求められるのでは?

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多岐にわたった医療現場で、しっかり期待を受けて働いていただきたいので、スタッフさんの現場には、なるべく口を出さないように心がけています。わからないことや相談されたことにはアドバイスをしますが、あまり口を出すと自主性を損ないます。また、都市部で働きたい方は多いでしょうが、場所が田舎ですから働きたい人を一人ひとり大事にしています。患者さんのために親身になって一生懸命に。私と共通の思いを日頃から現場で育てていっていただければ十分ではないでしょうか。

育ててくれた地域のために今後も多面的に貢献

早くから病診連携のようなことを行っていたと聞いています。

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まだ、医院の近くに大学病院が移転する前からです。近くの平野総合病院にお願いし、内科の勉強会に参加させていただいたり、重度な急性期の患者さんを送ったり、症状の落ち着いた患者さんはこちらに戻していただいたりといった連携を行っていました。医療機関機能の役割分担をはっきりさせたことで、患者さんからもさらに信頼していただけるようになったと思います。大学病院が移転してからは、そちらへの紹介件数も増えました。地域の医療資源の適切な配分のために、今後も協力していきたいです。

医院の垣根を超えて、病児保育のスタッフ育成や教育にも注力されていると聞いています。

全国病児保育協議会の協議員でもあり、同協議会認定資格である病児保育専門士の教育を当院で行っています。看護師や保育士の専門領域だけではカバーできない部分があると考えており、後進の育成は重要だと思います。現在、岐阜女子大学に保育教育の支援に行っておりますが、病児保育の専門講座を開講することになっています。

医院リニューアルの計画があると聞いています。

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山裾に医院があるので、災害も考慮した上で、移転リニューアルを計画しています。この地域の皆さまにここまでの医院にしていただいた感謝しきれないご恩もありますので、現在地の道路を挟んだ反対側の土地を取得し、敷地面積は倍の3000平方メートルに、建物は3階建てから2階建てのゆとりを持ったものになる予定です。また病室も、1人あたりの面積は今より広い病室となるように設計しています。一般病床のうち3床は、障害者のショートステイに使えるようにしたいと考えています。建物の入札はこれからですので、完成は未定ですが、今後も地域と歩み、皆さまに愛される医院でありたいと思います。

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