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岡田 潔 院長の独自取材記事

岡田内科医院

(新潟市中央区/新潟駅)

最終更新日:2022/04/08

岡田潔院長 岡田内科医院 main

東京医科大学卒業後、医局に入り、関東地区にある病院の現場などで20年近く経験を積み、父の後を継ぐために新潟市に戻ってきて24年。常に地域住民の気持ちに寄り添い、「思いやりを持った医療」をポリシーにしているのが「岡田内科医院」の院長、岡田潔先生だ。音楽とオーディオが大好きという先生はパソコンも得意でホームページも自身で作っているそう。ホームページにある岡田先生のコラムは好きな音楽や映画、自身の体験談がユニークに綴られており、温かい人柄に触れることができる。そんな人間味あふれる岡田先生に、医院への思い、これからのことなどを聞いた。

(取材日2022年1月15日)

東京での経験を生かして、新潟で父の医院を継承

医師を志したのはいつ頃ですか? 当初から内科医をめざしていたのですか?

岡田潔院長 岡田内科医院1

祖父が歯科医師、父が開業医で、親戚もほとんど歯科医師か医師という環境で育ったので、小さな頃にはすでに医師になりたい気持ちが芽生えていましたね。高校在学中に医師への道をめざそうと明確に目標を持ち、東京への憧れもあり、地元新潟を離れて東京医科大学に進学しました。内科医になったのは、もちろん父の影響もありますが、国家試験の勉強をしている時に脳神経内科が一番面白かったんです。内科の中でも特に理論的に診断や治療を進めていく脳神経内科の医師になりたいと思うようになりました。

大学卒業後は20年弱、関東の病院で経験を積まれていますね。

大学卒業後は母校の医局に入りました。東京医科大学第3内科は、糖尿病、内分泌科、アレルギー科、血液内科、リウマチ科、脳神経内科の6つの専門がありますが、そこで1年間臨床経験を積みました。その後、アフターファイブでいろいろとお世話になった血液内科のグループに所属。動機は不純ですが(笑)、開業するまで20年弱ずっと血液内科を専門としてきました。当時は医局制度があり、在籍期間中の半分は外の病院で勤務していたので、その時に内科全般についてひと通り経験。一般内科疾患はもちろん、内視鏡、超音波、バリウムなどの検査も外の病院勤務の時に覚えました。症例の多さ、医師の層の厚さやレベルの高さ、時には大都会ならではの医療の空洞化なども目の当たりにした東京での勤務医生活は、貴重な経験でしたし、一生の宝物ですね。

勤務医時代は感染症の診療経験も積まれたとか。

岡田潔院長 岡田内科医院2

感染症治療で有名な都立豊島病院の感染症内科で経験を積みました。そこは主に都内の外来感染症患者の大半を受け入れている病院でしたから、コレラ、赤痢、エイズなどいろいろな疾患を診ることができました。ここにいた3年間で感染症対策について多くのことを学び、現在の感染症診療にもたいへん役立っていると思います。

その後、1998年に新潟で医院を継承した経緯を教えてください。

40代の頃、大学病院に残るか、新潟に戻って父の医院を継ぐか、数年間迷った時期があります。父は好きなようにやったらいいといつも言ってくれていました。でもある時、父が肺炎を起こして医院を休みがちになったんです。患者さんもいるし、医院のスタッフもいる。自分が守らなくてはいけないと、その時、新潟に戻って医院を継ぐことを決断しました。

優しく温かい思いやりを持つことをポリシーに

大学病院から開業医になられて、違いはありましたか?

岡田潔院長 岡田内科医院3

開業医の診療について、父にはいろいろと教えてもらいました。東京から戻った当時は大学病院のやり方を持ち込もうとしたのですが、スタッフに反対され、患者さんにもあまりなじまず……、開業医には開業医のやり方があるのだと痛感しました。例えば、診療時間外の受診。大学病院では時間外には診ません。しかし父は夕方の診療時間を過ぎていても、昼休みでもいつでも患者さんの相談に乗り、必要があれば診療するというのを基本姿勢としていました。私もその姿勢にならって診察しています。

開業を機に、患者さんとの関わり方も変わっていったのですね。

人と人とのつながりが何よりも大切だと思うようになりました。「岡田内科医院に来たら安心だ、ここに来たらなんとかしてくれる」と患者さんが思ってくれるような場所になりたい。だから、診てほしいと来院された患者さんは必ず診察しています。ここで対応できるようであれば引き続き診ますし、診られないと判断したら責任を持って他院に紹介状を書く。症状で患者さんを選別はしていません。病気で悩んで来てくださる患者さんには、自分のできることをすべてしようと思っています。たくさんある病院の中から岡田内科医院を選んで来てくださったのですしね。ありがたいことに今、ほとんどがほかの患者さんからの紹介です。患者さんに接する時にはいつでも初心を忘れないように気をつけています。

開業当時から大切にされていることはありますか?

岡田潔院長 岡田内科医院4

今は妻と2人体制で診察していますが、開業時は父と妻と私の3人で診ていました。医師が3人いたら単純に患者さんも3倍に増えると思ったんです(笑)。だけど、患者さんは全然増えない。どうしたら増えるのか真剣に考えましたね。その結果、高度な医療を提供することよりも、当たり前のことですが、患者さんの側に立って親身な医療を行うことだという結論に至りました。目標としているのは、いつかは患者さんが、この医者になら命を預けてもいいと思えるようになること。それで「優しく温かい思いやりを持って患者さんに接すること」をクリニックのポリシーとしたのです。この辺りは大きな病院も開業医も多い地域で、岡田内科医院がなくても患者さんは行き場を失うことはありません。患者さんに医者を選ぶ決定権がある。「うちがなくなっても誰も困らないんだよ、この場所で患者さんが患者さんが来てくれるのが奇跡的なんだから」とスタッフにも話しています。

検診・検査の大切さを伝えたい

新潟市医師会の活動にも尽力されていますね。

岡田潔院長 岡田内科医院5

医師会の活動は、40代の頃に当時の副会長から声をかけていただき、お手伝いを始めました。東京から戻ったばかりで、新潟の先生方のことはほとんど知らなかったので、医師会で活動したら地域の先生方とつながりができるかなと思ったんです。今では副会長を任されるようになったのですが、ちょうど副会長に就任した2020年の2月から新型コロナウイルスの感染拡大が本格化し、医師会の中で内科の取りまとめを行うことになり、それからは怒涛のような毎日でした。何も前例がない中、2020年5月にホテル療養、11月に発熱患者のための外来センターを設置、翌年3月からはワクチン接種と自宅療養当番医制を開始。そして2022年1月の今、3回目のワクチン接種がまさに始まったところです。明日のこともわからない大変な時代ですが、医師会の活動を通じて新潟の医療の質の高さ、志の高さと同時に、人の優しさとぬくもりも感じています。

今後のクリニックの診療について伺います。

実は6年前に食道がんを患ったんです。無症状だったのですが、たまたま受けた胃内視鏡検診で見つかって、すぐに入院して手術、抗がん剤治療、放射線治療、全部やりました。死亡率の高い病気ですから、自分の生死や人生観について考えることもありました。入院で4ヵ月医院を休んだので、患者さんたちも心配してくれて、「私よりも先生のほうが健康を大事にしてください。もし先生が倒れたら私たちが困るから」と言われました(笑)。当時、3人の子どもたちはまだ学生でしたし、年齢的なこともありますが、大きな病気をしたことで、自分自身が健康でいなくてはいけないと、強く思うようになりましたね。太く短くより、細くても長持ちしたい。今でも大学病院へ定期的に通院しています。

ご自身の経験を患者さんに話されることもあるのですか?

岡田潔院長 岡田内科医院6

私は食道がんにはなりましたが、検査で偶然早期発見できたからこそ、今もこうして診療が続けられているわけです。なので患者さんにも「検診はちゃんとしたほうがいいよ」とお話ししています。患者さんから「胃カメラ飲まなくちゃダメですか?」と聞かれることもよくあるんですけど、やはり受けてほしいですね。私は半年に一度は胃の内視鏡検査を受けています。病気になったことで仕事への取り組み方も変わりました。患者さんもスタッフも多くなった今、もし自分が倒れたらたくさんの人に迷惑をかけてしまう。なので、40代の時のように寝る間も惜しんで働くのはもうやめて、休む時にはしっかり休んで、診察はゆっくりと時間をかけようと思っています。これからは瞬発力より持続力が試される医療をめざしていきたいですね。

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