石戸谷 淳一 院長の独自取材記事
石戸谷耳鼻咽喉科
(世田谷区/千歳烏山駅)
最終更新日:2021/10/12
京王線千歳烏山駅前北口から徒歩1分。駅前から続く商店街の中にあるビルの3階が「石戸谷耳鼻咽喉科」だ。1階からエレベーターで上がれる院内はバリアフリーで、広い待合室にキッズスペースも用意されるなど、誰でも温かく迎え入れる体制が整えられている。石戸谷淳一院長は、国立病院の医長や大学病院の教授を歴任してきた実力派のベテラン医師。これまで培ってきた豊富な知識と経験をもとに、町のクリニックでどれだけのことができるのかを自身へのチャレンジとして、局所麻酔による手術にも取り組んでいる。「当院で最初から最後まで責任を持って治療を行い、患者さんの満足が得られるようにしたい」と話す石戸谷院長に、これまでの経験や同院のこと、プライベートなどについて話を聞いた。
(取材日2018年8月30日)
専門性の高い治療と手術の経験を生かした診療
どのような患者が、訪れていますか?
アレルギー性鼻炎から中耳炎、副鼻腔炎、咽頭炎、風邪をひいて鼻水が止まらないとか、子どもの耳垢取りまで、要は子どもから大人までの耳や鼻、喉のことなら何でも診察しています。それに最近では、私が慢性副鼻腔炎治療の専門家ということで、インターネットで探して、遠方から来る方がとても多くなっています。当院では、病院なら全身麻酔で1週間の入院で行うような副鼻腔炎や鼻茸切除、鼓膜の穴を閉鎖する手術などを局所麻酔の日帰りで行っているので、それらを希望して来る患者さんが、とても増えていますね。
手術に力を入れているのですか?
手術に力を入れているというよりは、耳鼻咽喉科は頭頸部外科ともいって手術で治療をする科ですから、当院で手術をして治せるものなら治したいということですね。今は週に2日の午前中を手術日にして、1日2例ずつの手術をしていますが、半年ほどお待ちいただいている状態で申し訳なく思っています。副鼻腔炎の手術をすると、長年の鼻づまりや匂いがわからない、鼻水が喉に垂れて咳や痰がいつも出ている、鼻づまりで夜も眠れなかったというような症状で悩んでいた方が、とても喜んでくださるのがうれしいですね。患者さんに喜んでもらえるのは非常にうれしいのですが、これ以上、手術を増やそうとは考えていません。
それは、なぜでしょうか?
地域の人たちや子どもたちの笑顔も大切にしたいと思っているからです。私は、副鼻腔炎の専門家ですので、副鼻腔炎や鼻のことはわかっているつもりだったのですが、開業してみたら知らないことがいっぱいあったんです。手術を必要とするような重い副鼻腔炎のことは知っていたんですけど、風邪をひいた後の軽い副鼻腔炎とか、副鼻腔炎だと思っていたらアレルギー性鼻炎だったりとかですね。そういう患者さんがいるというのはわかっていましたけど、実際に結構な数の方がいるというのをあらためて知ったんです。患者さんを数多く診ていると、いろいろな発見がありますし、患者さんから教えられます。自分としても成長するし、面白いですね。大学病院では、子どもの鼻垂れは診ませんから(笑)。
笑顔がいっぱいもらえるのがうれしい
診療で心がけていることを教えてください。
例えば副鼻腔炎といっても、副鼻腔は全部で8つあり、そのうちのいくつが炎症を起こしているのかで治療方法は違ってきますし、咽頭炎でも、重症度と腫れている場所によって適した薬は違います。抗生物質でも、同じ病名でも病態によって効くものと効かないものがあるんです。つまり同じ病名でもいろいろな病態がありますから、その病態をしっかりと診断して、一人ひとりに合った治療をすることを心がけていますし、そうすれば患者さんもすぐに楽に感じていただくことができるようになります。あとは、ネブライザーだけで通院してもらうとか、来週来てもらって治ったか確認しましょうというような、通院しながら治療をするということは、基本的にしていません。今は薬が非常に良いものがありますから、薬を出して、それで治らなければまた来てくださいというスタンスです。1回1回の治療で治せるようにと心がけています。
開業して5年弱ですが、感想はありますか?
すごく良かったなと思っています。開業するまでは、ずっと大学病院や国立病院にいて、紹介されて来る患者さんしか診ていませんでした。ところが今は、今日熱が出ましたとか、さっきから急に痛くなったという患者さんがたくさん来ます。だから、初めて町のお医者さんをしている感じで、自分の医師人生の中で患者さんとの距離が一番近くて、患者さんのつらさを聞いて、笑顔もいっぱいもらえる。やっぱり、笑顔がいっぱいもらえるのはうれしいですね。それに子どもの成長を見るのも楽しいです。赤ちゃんの頃から来ていた双子が、成長して性格に違いが出てきたとか、母親に「今日はどうしましたか?」と聞いたら、「子どもが耳鼻科に行く」って言うから連れて来たとか。私は、子どもたちから評価されるのが一番うれしいですね。だからこれからも、地域の方々や子どもたち、そして遠方から来る方々の笑顔も見られるような診療を続けていきたいです。
先生が医師をめざしたきっかけについて教えてください。
私は、東京上野で生まれ育ち、子どもの頃は上野公園を自分の庭のようにして遊びまわっていました。一方、理科や生物が好きで、小学生の頃から「記憶はどのようにされるのか」や「なぜ手が動くのか」ということに興味を持っていました。また、病院へ連れて行かれた時など、母親がお医者さんを尊敬している姿をいつも見ていました。そんなことも影響したのか中学生の頃には、将来は医師になりたいと思っていました。大学の医学部に入って解剖学や生理学を学んだ時、自分が子どもの頃から疑問に思っていた答えを知ることができたのは良かったですね。
患者に満足してもらえる質の高い医療の提供をめざす
その後は、どのような道を歩んだのですか?
医学部を卒業後は、国立国際医療センター(現・国立国際医療研究センター)耳鼻咽喉科の研修医になり、3年目には3ヵ月間、タイでカンボジア難民医療に携わりました。その後は、東京大学医学部の生化学研究室で博士号をとったり、アメリカの国立衛生研究所に2年半留学して、発がんのメカニズムを研究したりしました。帰国してからは、国立国際医療センターで臨床や研究に取り組み、40歳で耳鼻咽喉科医長になりました。そして、横浜市立大学からお誘いをいただき、同大学附属市民総合医療センターの耳鼻咽喉科長、助教授を経て教授になり、副病院長も4年間務めました。しかし、いつかは地元で地域医療に貢献したいという思いがあり、4年半ほど前に自宅からも近い千歳烏山で開業したんです。
お休みの日など、どのようにリフレッシュしていますか?
50歳を過ぎてから、メタボ対策で走り始めたんですよ。最初は3kmくらいでしたが徐々に距離を延ばして、東京マラソンにも出場して4時間29分で完走したこともあります。今年は4時間48分だったので、次回はなんとか40分台の前半で走りたいですね。忙しくてあまり走れないときもありますが、野川公園や武蔵野公園の自然の中のランニングは気持ちがいいですよ。その他には、音楽を聴いたり絵を見たりするのも好きで、オペラ鑑賞に行ったり、美術館巡りをしたりしています。同じ年代に生きた作曲家と画家のそれぞれの作品を照らし合わせて、見たり聴いたりするのも面白いですね。
今後の展望と読者へのメッセージをお願いします。
鼻づまりは構造上、人なら誰でもなります。そして例えば、アレルギー性鼻炎の鼻づまりだったら薬でコントロールできますし、副鼻腔炎の鼻づまりだったら薬や手術で、鼻中隔湾曲症の鼻づまりなら、手術での治療が可能です。つまり、鼻づまりは、簡単にとは言いませんが治すための手段がありますから、悩んだり我慢したり、苦しんだりせず、諦めずに治療を受けてほしいと思います。そして、必要なときには手術も行いながら、できるだけ当院で治療が完結するようにして、患者さんに満足していただけるような質の高い医療の提供をめざしていきます。診察が終わって出て行く患者さんの安心した笑顔を見るのが、私の何よりのやりがいですから、皆さんが笑顔になってくれるような診療を続けて行きたいと思いますので、耳や鼻、喉の悩みなら、小さなお子さんから高齢者までのどなたでも、気軽にご相談ください。