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西野 敏温 院長の独自取材記事

西野整形外科

(小平市/花小金井駅)

最終更新日:2019/08/28

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西武新宿線・花小金井駅から車で5分の「西野整形外科」。同院には小平市を中心に、体の痛みやスポーツ時のケガなどに悩む人が多く来院する。「患者さんと何でも言い合える関係を築きたい」と話すのは西野敏温(としはる)院長。杏林大学医学部を卒業後、大学の関連病院を中心に整形外科医としてのキャリアを積み、1994年にこの地に開業した。どんな軽微な症状でも触診を欠かさず、注射時には数々の症例を経験して獲得した「痛くないコツ」を実践する。「足腰のしっかりとした患者さんを増やして、地域の健康寿命を延ばしたい」と話す西野院長に、ロコモティブ症候群の啓発活動や多大な影響を受けた父のことなど、多方面にわたって話を聞いた。
(取材日2016年7月19日)

リラックスして来られる整形外科でありたい

まずは、どんな患者が来院されるかお聞かせください。

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当院のある小平市内を中心に、東久留米市、西東京市など隣の市からいらっしゃる方も多いです。患者さんは、腰痛などの体の痛みを訴えられるご高齢の方、捻挫や骨折などスポーツ時のケガや痛みを抱える子ども、大人の方がメイン。夕方になるとスポーツ少年たちがたくさん来るので、小児科のようになるんですよ。ほかに多い症状としては、加齢に伴い発症しやすい骨粗しょう症、変形性膝関節症、脊柱管狭窄症(せきちゅうかんきょうさくしょう)。脊柱管狭窄症とは、背骨を通っている神経のトンネルである脊柱管が加齢等の理由で狭くなり、神経血管を圧迫することで腰や下半身に痛みが出るものです。

開業されて22年が経ちますが、どんなクリニックをめざしてきたのでしょうか。

リラックスして来られる整形外科でありたいです。患者さんとは、肩肘張らずに何でも言い合えるような関係を築きたいですね。その意味で、病気以外のことにも耳を傾けるのは大切。ご高齢の患者さんが多いですから、中にはがんなど重い病気に苦しんでいる人もいる。そんな人の悩みを聞いて、少しでも心の重荷を和らげることができれば。長く通われる患者さんはもう家族みたいなものです。また案外、私は複数の医療機関を受診してドクターショッピングをしている方の話を聞くのは嫌いではありません。私は整形外科医であると同時に「整形内科医」でもあることも意識しているんですね。その分、診察時間が長くなってしまうこともあって。話をじっくり聞いてあげたい一方で、他の患者さんを待たせないようにしないといけない。開業医の難しいところですね。

そんななかで、患者を待たせないように工夫しているとお聞きしました。

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ええ。2008年から私のほかにもう一人医師に在籍してもらって2診体制にしたんです。この時に予約制にして、また事務作業軽減のために当時はまだ普及していなかった電子カルテを導入。こうした業務効率化により待ち時間は短くなったのですが、それでもまだお待たせしてしまっている状況。とても心苦しいのですが、ご理解いただければ幸いです。現在16ある診療台と3人いる理学療法士を増やそうとしているなど、試行錯誤しています。

健康寿命を延ばすことがクリニックのテーマ

診療時に心がけていることについてはいかがでしょう?

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ちゃんと触って確かめることと、痛くない治療の2つですね。油断をして体を触らないことで誤診してしまう可能性があるので、どんな軽微な症状でもしっかりと触診をして確認します。患者さんの安心感にもつながりますよ。痛くないとは専ら注射で、これは努力しました。開業当時は注射があまり上手ではなかったのですが、何とかして楽に治療を受けてもらいたいと実地で研究を重ねて。針をできる限り細くするほか、注射の打ち方と打つポイントが大事。関節注射は針を深く入れないといけないのでけっこう痛みがある方が多いのですが、「過去に受けた注射よりも痛みが少なかった」と喜ばれる方もいらっしゃいます。

ロコモティブ症候群の予防にも力を入れているそうですね。

今よく聞かれる通称「ロコモ」は、加齢や生活習慣などによって骨や筋肉、関節などの運動器が衰えて要介護になるリスクが高まる状態のことを言います。当院は健康寿命を延ばすことをテーマにしていて、ロコモ予防は重要。必要であれば患者さんにカルシウムやたんぱく質を摂りやすい食事をお伝えしたり、効果的な体操を教えたり。趣味やボランティアなどを通じて積極的に外出することも大切です。こういったことを小平市の高齢者の集まりや市民公開講座、医師や歯科医師などの同業が集まる会合など、院外でも伝えています。

先生は愛媛県出身だそうですね。どんな少年時代を過ごしましたか?

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野を走り回る野生児でした(笑)。松山市から東へ10kmほど離れた東温(とうおん)市で過ごし、山に登ったり川で泳いだり。自然に親しんでいたからか、脚が速かったので、中学生の頃は松山市の駅伝大会で優勝。その一方で、クラブ活動が盛んじゃなかった中高一貫校だったため、あまりスポーツに打ち込めなかったジレンマがありました。でもその分、大学時代に発散。夏にハンドボール部の活動に参加し、冬はスキー部で。2つとも大学の頃に初めて経験して、特にスキー競技の面白さに魅了されました。ゲレンデを優雅に滑ることではなく、すさまじくスピードが出せるところに。ハンドボール部の監督は東京五輪で総監督を務めた有名な方で、その人間性に魅かれました。厳しい中にも優しさが満ち溢れていたんです。

大きな父の存在があったおかげで、今の自分がある

自然に親しんだ子ども時代を経て、なぜ医師を志そうと?

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父と祖父が医者で、父は地元で小児科を開業していました。私が子どもだった1960年代当時、松山市内から10km離れているというのは遠く、周辺に医者は少なかったのです。自宅はクリニックに併設していて、夜中に呼ばれて往診に出かける父をよく見ていました。「(大変な)医者にはならない」。当時の率直な気持ちだったのですが、高校が進学校だったことと、うーん、やっぱり父を尊敬していたんですね。それで杏林大学医学部に進学。整形外科を選んだのは運動が好きだったから。治療の結果がはっきりとわかるのが整形外科の魅力です。患者さんご自身が体の変化を直に感じ、笑顔になって帰ってくれるのを見られるのはとてもうれしいことです。

お話を聞いていると、お父さまへの思いが深くおありのようで。

そうだと思います。父とはよく喧嘩をしていたんですが、それでも、どれだけ頑張っても越えられないと思わせる存在でした。父の人への優しさはちょっと真似できない。子どもの頃、クリスマスの時期になると応接間にたくさんのケーキが並んでいたんです。子どもの私は単純に喜ぶだけだったのですが、実は父が親のいない子どもに配って回っていた。大人になって初めて知りました。実は、愛媛に戻って一緒にクリニックを運営する予定だったんです。ですが「自宅とクリニックが別なのは考えられない」といった父の考えとズレがあり白紙に。その後、当時勤めていた病院の近くのこちらで開業しました。父とは喧嘩別れしたままだったんですが、開院記念のパーティーに誘ったら来てくれて。「頑張れよ」と肩を叩いてくれました。仲直りできて良かったと思ったのもつかの間、その半年後に肺塞栓を起こして亡くなりました。私の中では、今でも大きなオヤジのままです。

最後に、今後の展望についてお聞かせください。

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2025年には団塊の世代が75歳の後期高齢者になり、日本人の4分の1が後期高齢者という超高齢社会を迎えます。当院では、足腰のしっかりした患者さんを増やし、健康寿命を延ばすという整形外科の役目を果たしながら、将来的には福祉分野にも進出したいと考えています。具体的には在宅医療とデイケア。人材を増やし、院内環境を整えるなどやることは山ほどありますが、患者さんの一生を責任を持って診ていくには今後、福祉サービスは必須。大きな目標ですが、患者さんのために何とか実現させていきたいですね。

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