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天木 聡 院長の独自取材記事

天木診療所

(板橋区/板橋本町駅)

最終更新日:2023/10/23

天木聡院長 天木診療所 main

板橋本町駅から徒歩5分ほどの場所にある、昔ながらの雰囲気が漂う「天木診療所」。天木聡院長は内科、小児科、皮膚科を専門としつつ、幅広い症状の患者を受け入れる姿勢で診療にあたる。どの診療科目にかかればいいかわからない患者の最初の受け手となり、適切な科目へ導くことも地域のかかりつけ医の役目だという。初診でしっかりと症状を確認し、他の専門医院へ紹介するケースも多いそうだ。先代の父から同院を継いだ当時から、地域の患者とのつながりを重視し、地域で完結できる病気を一つずつ丁寧に治したいと考える天木院長。時には治療以外の話もしながら、信頼関係の構築に努める天木院長。そんな院長に、地域医療に対する思いや医院でのエピソードなどを聞いた。

(取材日2014年2月4日/情報更新日2023年6月26日)

子どもの頃から身近にあった「医師」という職業

先生が医師をめざしたきっかけは何ですか?

天木聡院長 天木診療所1

もともと父がこの場所で開業医をしていましたので、家に患者さんが来て、父が治療をすることで笑顔になって帰っていく姿を幼少期から当たり前のように見て育ってきました。ですので、自分も必然的に医療に携わるものだと思っていました。子どもの頃から医学書なども読んでいたんですよ。それでも中学生の頃は電子機器の回路を設計してみたかったですし、高校生の頃は歌にのめり込んで芸術系の大学に進学しようと考えたり、医師とは別の道を模索したりしたこともありました。今思うと、父に反発して「何か違うことをしたい」と思っていたのかもしれません。でも結局、進路を決める時にはごく自然に医学部を選択していました。

大学時代や勤務医時代はどんなことを経験されましたか?

大学の授業はどれも新鮮で衝撃を受けましたね。新しいものを吸収することは大好きだったので、座学でも実験でも、学ぶのが楽しくて仕方なかったのを覚えています。大学4年生になる頃、当時日本で導入されたばかりの心療内科に興味を持ち、九州大学の医局で心療内科を研究していた大学の先輩のところにお手伝いにも行きました。大学を卒業してからは、内科を中心に複数の病院で勤務医を経験しました。今は内科の中にも専門分野が多くありますが、その頃は総合医療が当たり前で、得意分野はあっても基本的には一人の医師がどんな科目も診療していました。そのため、研修医時代は幅広い科目を勉強することができました。さまざまな経験や知識が身につきましたし、得意分野の異なる医師同士で話し合いながら治療に取り組めたことも大きな成長につながっています。

日々勉強の学生生活だったのですね。

天木聡院長 天木診療所2

勉強も楽しかったですが、合唱団での活動も良い思い出です。高校時代はオペラ部に所属しており、その頃の仲間と大学生になってもよく公演活動をしていました。それとは別で、大学の合唱団にも所属していましたね。昔から歌うことが好きだったので、卒業しても活動を続けました。今は忙しくてなかなか機会がないですが、20年ほど前までは病院関係のつながりで公演を行っていたこともありました。あとは、学生時代から暇があれば本屋さんに行っていましたね。読書が好きで、今も休日はだいたい家でのんびり本を読んでいます。科学ものや美術もの、古典の本。興味が湧けば何でも手に取って見ています。

患者の最初の受け手となり、適切な医療へつなげたい

得意な分野の治療はありますか?

天木聡院長 天木診療所3

私は目新しいものに興味を持って挑戦してみる性格なのですが、医療だけは違い、新たな治療法や新薬はかなり慎重に吟味します。新しい治療は予後も心配ですし、確かな結果が出ているものでなければ手は出しません。確立されていないものを試して、「やっぱり違った」では済まされないのが医療。新薬においても同様で、周囲の意見なども参考にしながら見極めています。また、生活習慣病や成人病、子どもの急性疾患などの身近な病気をしっかりと診られる医師でありたいと思っています。得意不得意ではなく、広く平均的に治療していきたいですね。対応していない科目でも、ご相談に来ていただければ、当院で治療するにしろ、他院をご紹介するにしろ、皆さんの最初の受け手として正しい道に導く役目を担っていきたいと思っています。

医院の設備についても教えてください。

電子カルテや、板橋区医師会内での情報共有ネットワークなどを利用しています。エックス線撮影後すぐに画像を大きな画面に映し出し、それをもとに患者さんにご説明をしておりますので、検査から診断までをスムーズに行えるようになっています。また、板橋区医師会では加入医師による情報共有ネットワークを構築しており、どの時期に、区内のどのエリアで、インフルエンザの何型がどれぐらいはやっているのかなどがウェブ上で瞬時にわかるのです。さらには病気がはやっている学校名や年齢層までデータ化されるので、患者さんの行動範囲内で病気が拡大していることを具体的事実として示し、注意喚起を促すことができます。実際、長期休み明けに学校でインフルエンザが急速拡大している様子をお伝えすると、患者さんも私の説明や予防の大切さに納得してくださることが多いですね。

医療において大事にしていることは何ですか?

天木聡院長 天木診療所4

大学院修了後に、アメリカ・ミズーリ州立大学で3年半ほど膠原病の研究をしたことがあります。日本から離れたことで視野が広がり、考え方も柔軟になりました。医師としても人間としても、根本的な考え方が形成された時期だったと思います。あの頃学んだことは、人の意見や情報に惑わされず、自分の意思をしっかりと持つこと。インターネットが普及している昨今だからこそ、情報をうのみにせず、自分でしっかり調べるようにしています。医療においても同じで、話題性の高いものはそれだけ誇張されて発信されている場合もあります。患者さんの中には、テレビやインターネットの情報をそのまま信じていらっしゃる方も多いです。そのような方にはきちんと事実をお伝えし、患者さんが真に安心できる医療を提供したいと思います。

何げない会話を楽しみながら患者と信頼関係を築きたい

ずっとお父さまの後を継ごうとお考えだったのですか?

天木聡院長 天木診療所5

初めは開業するつもりがなく、父に継いでほしいとも言われませんでしたので、大学病院でずっと働こうと思っていました。そんな時に父が体調を崩してしまい、医院を手伝うことになったんです。患者さんと接する中で、大学病院まで行かなくとも地域で完結できる病気が多くあることを知り、「地域を支える医師」の必要性に気づきました。当院の患者さんは会話が好きな方が多く、家族のニュースや家庭のお悩みをよくご相談されます。一家で通院してくださる患者さんがほとんどで、幅広い年齢層の方と接することができるのはやりがいがありますね。開業当時は生後数ヵ月だった赤ちゃんが30歳になっても通ってくださったり、100歳を迎えた患者さんのお祝いにご自宅にお伺いしたりと、コミュニケーションを楽しみながら、今後もゆっくりと信頼関係を築いていきたいですね。

医院の建物も、昔ながらという趣を感じます。

当院の入り口にある赤いランプは、昔は医院の目印となっていたのですが、今は珍しいですよね。待合室の大きな古時計も当院のシンボルになっています。以前、故障して動かなくなった時は患者さんがみんな心配してくださり、修理して再び動き出した時は喜んでくださいました。患者さんの人生の歩みとともに、時を刻んできた古時計なんです。待合室には写真も飾っているのですが、患者さんが撮ったものと、私が2014年の元旦に、自宅からスカイツリー越しに朝日を撮った写真もあるんです。

今後どのような医院にしていきたいですか?

天木聡院長 天木診療所6

私は計算して患者さんと接するといったことが苦手ですので、リラックスして受診していただけるよう自然体でコミュニケーションを楽しみたいと思っています。日常の愚痴をお聞きしたり、世間話をしたり、病気への不安をとことん解消するためにご相談に乗ったり。そうした中で失礼のない態度で接することや、理性的に落ち着いて対応することを意識しながら信頼関係を築いていきたいですね。その関係性が患者さんの不安を取り除くことにもつながります。ストレスなく心地良い環境で治療をお受けいただくために、駐車場に発熱の外来用のスペースを設けて、一般診療との動線を分けました。また、当院は往診と訪問診療も行っています。定期的な健診ができる訪問診療は、患者さんの様子を常に気にかけ見守っていきたいという想いから続けています。きめ細かい診療を手がけていくことで、地域に根づいた「町のお医者さん」をめざしていきたいです。

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