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佐々木 俊治 院長の独自取材記事

佐々木内科クリニック

(千代田区/麹町駅)

最終更新日:2019/08/28

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東京メトロ有楽町線麹町駅。4番出口を出て、新宿通りをJR四ツ谷駅方面へ3分ほど歩くと、道沿いのビルの2階に「佐々木内科クリニック」がある。同院の院長である佐々木俊治先生は、国立がん研究センターや、都立大久保病院に勤務していた経験を持つドクター。先生は中学生の頃にケガをして、10年以上、療養生活を送っていた。医師だった父が急死してから、人生は一転し、30歳で医学部に入学し36歳で医師になったという。「人と人との関係が希薄になりがちな千代田区で、地域医療を行っていくことに難しさを感じています」と話す佐々木先生は、行政の仕事や、医師会の仕事をいくつも兼ねてパワフルに活動を続けている。波瀾万丈の半生を送り、どんな思いで日々の診療をしているのか、じっくりと話を聞いた。
(取材日2014年3月3日)

さまざまな役割を担う中で、ビジネス街の医療を考える

「大学病院との垣根をはずす」というコンセプトを掲げていらっしゃるそうですが、どういったことですか?

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2002年5月に開業して、12年がたちましたが、患者さんはそれぞれ自分の行きたい病院や、診てほしい先生のところに行き、いまだに病診連携(地域の診療所と病院との連携)という概念が一般的に浸透していません。日本では、地域のかかりつけ医と、設備が整っている大規模病院との機能分担が有効に働いていない現実があります。当院では、僕自身の大規模病院や都立病院にいた経験から、連携先の病院と直結させた医療が行えるという意味を込めています。

ここで開業しようと思ったきっかけは何ですか?

僕が千代田区の出身で、小学校からここで育ってきたからです。千代田区は昼間の人口が多く、夜間の人口が少ないという、東京都内の中では、他の地域とは異なり特殊な環境です。こういった環境で医院を経営するというのはとても大変なわけです。残念ですが多くの方々に、われわれがどういう厳しい環境の中で、一般医療を行っているかを認識していただいておりません。実際には都心の無医村化が進んでいるのが現状だと僕は感じています。僕は千代田区では地域医療を担当しています。地域医療というのは、小児と高齢者を中心としていますが、住民が非常に多い地域なら、開業医が地元のお年寄りや子どもの診療をしていくというのは、とても自然な形態でわかりやすいのですが、千代田区ではそういった環境がつくりにくいと感じています。けれども僕を育ててくれた地元ですし、千代田区には愛着もありますので、基本に忠実な医療を手がけていきたいと思っています。

先生は他にも職務を持たれているそうですね。

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千代田区の休日診療所が九段にあるのですが、そこでも時々朝9時から夜10時まで勤務していますし、小学校、幼稚園、保育園の学校医、園医もやっています。また東京都の小児救急事業というのがあり、駿河台の日本大学病院が担当病院となっているのですが、そこにも非常勤で勤務しています。多くは木曜日に、ここでの診察を終えて夜の7時から、救急車まで含めて小児救急を担当しています。また予防接種にも注力しており、新型インフルエンザなどの感染症対策の委員や、糖尿病医療連携の仕事、介護保険審査会の仕事、都庁関係や他の企業に勤める方の健康管理も手がけています。ですからここで患者さんを診ているのは、僕の仕事の半分で、あとの半分はこういった公的な仕事がほとんどです。いくら厳しい環境とはいえ、それでも誰かがやらなくてはなりません。その担い手として、僕がお手伝いをさせていただいているわけです。

人生経験がつくる患者への想い

医師になろうと思ったきっかけは?

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僕は中学2年生の時に、校内暴力で頸椎損傷という重傷を経験しました。リハビリテーションで寝たきりになって、首をずっと固定されたまま天井だけ見ながら、10年以上療養生活をしていました。高校も一応進学はしましたがほとんど登校していません。29歳の時に父が心筋梗塞で急死したのをきっかけに、医学部に行こうと決心しました。もう30歳手前だったので、人生やり直すなら今しかないと思ったのです。母からはその体では無理だと反対されましたが、当時は僕を後押ししてくれた人がたくさんいて、医学の道に進んだほうが良いと、母を説得してくれました。翌年受験し30歳で医学部に入学した後、大学の6年間というのはあっという間に過ぎましたね。ですから患者さんのためになろうといった気持ちは、もちろんあったのですが、僕の場合はもっと厳しい中から生まれてきたものなのです。

先生が内視鏡に興味を持ったきっかけは何ですか?

外見から見えないものを解明していくことに意味を感じたことと、あとはカメラや機械、またそういった画像を扱うのが非常に好きだったからです。医師になって4年目に、内視鏡を本格的にやることになり、やはり内視鏡なら、がんセンターだろうということで国立がん研究センターに研鑽を積みに行きました。そこから、いろいろな研究会を通して、都立大久保病院とご縁があり、呼吸器と消化器の両方をかけ持ちして診療するような感じでやっていました。それまでは、呼吸器はあまり明るくなかったのですが、だからといって診療しないわけにはいきません。そこで呼吸器を勉強しました。その時の勉強が今、患者さんの治療にはとても役に立っていますね。

大きな病院に勤務されていたのですね。

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僕は人より遅れて医師になっているので、早く一人前の臨床医になりたかったというのもありました。できるだけ早く研修先の中枢に入って、厳しいけれども本当にレベルの高い所に自分の身を投じないと、レベルアップにつながらないと思い、あえてつらい所を選びました。指導する先生たちも非常に厳しく、相当きついことも言われました。指導教官は皆年下で、最初は僕に遠慮をしているところがありましたが、そこで僕がお客さんになっていては、自分の勉強にはならないですから、指導教官には「こいつは年上だけど、何を言っても大丈夫だ」と思ってもらえるよう努力しました。当時の指導教官たちからは、本当に多くのことを学びましたし、今でも素晴らしい師だと思っています。

都心の中で医師と患者の関係をつくり上げていく大切さ

休日はどのように過ごされているのですか?

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僕はお盆と正月に3日間くらいずつしか休みません。あとは基本的にここの診療が終わってから学会や研究会などいろいろな会に出席したり、別の医療機関に勤務しています。それらが終わるとまたここに戻ってきて、残務処理をやります。だから仕事が終わるといつも0時過ぎです。土曜日もだいたい、午後1時まで診療を行い、その後は3つくらい会合に出席し、日曜日は朝7時くらいの新幹線に乗って、地方で9時から仕事をしたりしています。主に静岡や群馬、栃木、特に埼玉県はよく行きますね。

他の先生と話される機会は多いのですか?

いろいろな専門の先生方と膝をつき合わせて話ができるのは、非常に楽しいことですし、とても勉強になりますね。先生方には何でも聞けるし、向こうも何でも答えてくれますから。それは、みんなわれわれの患者さんに還元されることなのです。僕たちは会合を離れた所でも、ずっと仕事の話をしています。そういった所での話は本音の部分があり、非常に役に立ちますね。いろいろな話を聞いてきて、自分の中で一つ一つ知識の組み立てをしていくことで、いずれは患者さんに還元されます。やはり、常に勉強するということが大事ですね。普段から他の先生方との良い関係をつくっておけば、これも患者さんに還元されていく財産になりますから。

読者へのメッセージをお願いします。

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医師と患者さんの関係がなかなかつくりにくい時代になってきています。都心では特に、近隣が勤務先という人が患者さんの大半で、地元の患者さんは決して多くはありません。特に人と深く関わっていくことを嫌う人も多く、例えば悪性疾患が見つかったりした場合、医師はその人の人生に、どうしても立ち入っていかなくてはなりません。その場だけ何とかしてくれればいいというのは、本来の医療には結びつかない要望だと思うのです。地方で、顔見知りの地元の人たちを診療していれば、医師と患者さんは、準家族的な会話ができて、お互いが理解し合えるのかもしれませんが、千代田区では、そこが難しいところです。僕たちは常に自分の立ち位置を模索しながら、その中に、自分のポリシーや、自分が培ってきたもの、自分が学んできたものを、生かしていかなければならないわけです。ですからまずは医師を信頼して診察を受けてほしいですね。

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