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ながくら耳鼻咽喉科アレルギークリニック

ながくら耳鼻咽喉科アレルギークリニック

永倉 仁史院長

20180831 bana

現在、3人に1人がアレルギー性鼻炎や喘息など何らかのアレルギー疾患を持っているといわれる。そんな患者たちの悩みに対応するのが「ながくら耳鼻咽喉科アレルギークリニック」だ。院長を務めるのは、患者の気持ちを理解することを何より大切にする、永倉仁史先生。さまざまなアレルギー疾患に精通したエキスパートで、耳鼻咽喉科の一般診療をはじめ、各種アレルギーの治療を行っている。さらに耳鼻咽喉科ではまだ少ないという、スポーツ選手の健康管理やスポーツによるケガの治療などにあたるドクターでもある。アレルギー疾患を抱えるスポーツ愛好者やアスリートにとって、心強い存在だろう。取材の中ではスギ花粉症の新しい治療法にも言及しているので、花粉症で悩んでいる人はぜひチェックしてみてほしい。
(取材日2018年7月25日)

常に「患者にとっては主治医がすべて」と考える

―まずは先生の子ども時代についてお聞かせください。

クリニックの近くで生まれ育ったため、この辺りは昔から慣れ親しんだ場所でした。自然にあふれた素晴らしい環境の中で伸び伸びと遊ぶ一方で、図鑑を見たり博物館へ行ったりすることも大好きでした。私の父も耳鼻咽喉科の医師で、ずっと大学病院で勤務医をしていました。幼い頃、私は父が勤める下町の病院に虫歯の治療に通っていて、歯の治療後に父のところに寄るんですが、いつも外来の最中で……。患者さんを診ている時は家族が会いに行っても相手にしてもらえないので、ずいぶん待たされました。そんな時は、父の診療している姿をじっと見ていましたね。父は本当にいつも忙しそうでしたから、子どもながらに「お医者さんて大変なんだな」と感じたことをよく記憶しています。

―医師になったのは、やはりお父さまの影響が大きかったのですか?

それはあったと思います。父は母校を心から愛して誇りにしていましたから、私たち兄弟はみんな父の出身校である東京慈恵会医科大学を卒業しています。ちなみに兄は小児のアレルギーの専門家になりました。父は出張病院の部長を任されて定年まで勤め上げた後、郷里に帰って診療したいと言い出しました。その頃だと60歳を過ぎてから新たな環境で働くのは異例だったと思います。結局それから20年以上静岡県の沼津で開業医を続けたので、生涯診療していたような印象があります。父にとって診療はおそらく生活の一部だったのだと思います。亡くなってから9年になりますが、体力の続く限り治療していた姿を本当に尊敬しています。

―ほかに先生が医師をめざした理由はありますか?

私は子どもの頃斜視でした。小さい頃に手術を受けましたがうまくいかず治りませんでした。小学生くらいになると自分でも気にしていたのを覚えています。それでもう一度手術が必要だということになって、今度は父の同級生に、その後母校の眼科教授になった先生ですが、腕を信頼しその先生にお願いしました。今度はいとも簡単に治りました。その時に感じたのが、病気は手術法を選んだり、正しく治療したりすれば治るということです。自分にとってもこのことは大きかったですし、子ども心にもうれしかったですね。こんな経験もあって、自然と医療の道に進むことを決めていました。

―普段の診療で先生が心がけていることを教えてください。

最も大切にしているのは、どんなに忙しくても相手の身になって考え、話をよく聞くことです。医師にとって、目の前にいる患者さんは診察で出会う何十人何百人の中の1人ですが、患者さんからすれば、その時に診てくれている医師というのは、自分にとってすべてといって良い存在。それに治療のヒントとなる情報は、患者さんが話してくれるものですからね。



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