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岡田孝弘 院長の独自取材記事

オカダ外科医院

(横浜市旭区/希望ヶ丘駅)

最終更新日:2021/10/12

岡田孝弘院長 オカダ外科医院 main

希望ヶ丘駅から商店街の坂道を上っていくと、右手に3階建ての大きな洋風の建物がある。庭には青い芝生が広がり、花壇の花々が訪れた人々の目を楽しませてくれる。この「オカダ外科医院」は1959年に岡田憲一前院長が開業し、2007年に息子である岡田孝弘医師が継承して2代目院長に就任した。外科疾患以外にも風邪や高血圧、認知症などさまざまな病気のプライマリ・ケアを行っている。温和な笑顔と医療に対する真摯な姿勢が信頼を集め、地域住民にも頼りにされる存在だ。岡田院長は早くから地域の在宅医療に取り組み、多くの患者とその家族を支え続けてきた。さらに市内の在宅医同士を結ぶ「在宅医ネットよこはま」を立ち上げ、横浜全域でより質の高い在宅医療の普及を目指している。行動力とリーダーシップを兼ね備え、面倒見のよい人柄に周囲からの人望も厚い。「小さなことから生死に関わることまで診られる医師が目標」という岡田院長に医師になったきっかけや力を入れている在宅医療、「在宅医ネットよこはま」の活動についてなど興味深い話を聞かせていただいた。

(取材日2012年1月26日)

患者の小さなことから生死に関わることまで全部を診られる医者になりたい

こちらはいつ頃に開院されたのですか。

岡田孝弘院長 オカダ外科医院1

1959年に父が開業しました。この辺りでは横浜まで行かないと手術ができる病院がなかったため、有床の診療所を建ててこちらで手術や入院患者を診ていたそうです。町に医者がいない時代でしたから、外科に限らずどんな病気でも診療していました。地域のみなさんも「オカダ外科に行けばなんとかしてもらえる」と大変頼りにしてくださって、今でも当時の患者さんに来ていただいているんです。1975年に現在の入院施設のない診療所に建て替えましたが、ドイツが好きな父の意向で欧州風の外観にしたそうです。駐車場の地面にレンガで描いた文字も父が好きなゲーテの詩なんですよ。僕は2007年に父の後を継いで、2代目として院長を務めています。こちらでは外科疾患だけでなく、風邪や高血圧、糖尿病、認知症などのプライマリ・ケアを行っています。患者さんは地域の方を中心に、おじいちゃんからお孫さんまで家族ぐるみで来ていただいています。診療では患者さんのお話をよく聞くことを心がけています。お話を聞いているだけでもお薬がいらなくなったり、治ってしまうことがあるんですよ。それだけ患者さんは自分の話に耳を傾けてほしいと思っているんです。

やはり小さい頃から医師になることを志していたのですか。

実は獣医を目指していたんです。中学生の頃に北海道の牧場の獣医になりたいと思い、高校も獣医大学の付属高校に通っていました。でも高校3年生の秋、憧れていた獣医の先生に「獣医は動物のためのものではなく、人間のためにいるんだ。動物園を訪れる観客のために動物の健康を管理するのも、おいしいお肉を食べられるように改良するのも獣医の役目だ。だからいい獣医になるためには動物をたくさん殺すことも必要なんだよ。それが嫌なら獣医になるのはやめたほうがいい」と言われたことがきっかけで、獣医になることをやめたんです。ではどうしようかと悩んだときに、「医者になればいいじゃないか」と進路に関係のない図書室の先生に勧められて。始めは無理に決まっていると思っていたのですが、担任の先生に相談したところ「うちの学校からは一人も行ってないし無理だからやめておけ」と言われて、逆に火がついたんですよ。猛勉強をして聖マリアンナ医科大学医学部に入学しました。今思うと、最初から医者を目指していたら進学校で勉強ばかりの生活だったかもしれません。でも高校時代を動物と過ごせて、おかげで友達もたくさんできました。診療所も地元なので小・中学校時代の同級生や先生が診療所に来てくれることも多いんですよ。

大学卒業後はお父様と同じ消化器外科の道に進まれたのですね。

岡田孝弘院長 オカダ外科医院2

最初は父と同じ仕事はただ単に“やらない”と思っていました。でも大学学生時代から「患者さんの小さな傷からから生死に関わることまで全部診られる医者になりたい」と考えていました。その中でも普通に食べて排泄ができることが生きていくうえで一番大切なことなのかなと思い、消化器外科を専門にしました。外科は手術を行うので、手術後に患者さんの喘息、不整脈、糖尿病、高血圧など持病が必ず悪化し、中には危険な状態に陥ることがあります。具合が悪くなるたびに内科の医師に診てもらうわけにはいきませんから、外科医であっても一通りの内科疾患に対応できることが必要となってきます。大学時代に尊敬していた先生が「手術ができる内科医を外科医と言うんだ」と話していましたが、まさにその通りです。細かい治療は専門医に任せますが、血圧や血糖値を今すぐ下げるなどの応急措置に対応できるので、このようなスキルが在宅医療の現場でも非常に役に立つんですよ。そうしているうちに、いつのまにか父と同じ道を進んでいましたね。

患者に残された時間を家族と共に家で過ごすことを可能にするのが在宅医療

こちらでは以前から在宅医療に力を入れているそうですね。

岡田孝弘院長 オカダ外科医院3

1999年に在宅医療部を立ち上げて、在宅の患者さんの訪問診療や訪問看護に力を入れています。現在は末期がんの患者さんや医療器材が必要な方を中心に、40人ほどの患者さんを往診しています。在宅医療について関心を持ち始めたのは、大学卒業後に勤務した聖マリアンナ医科大学病院の頃からです。第一外科に所属していましたが、病棟の4分の1が治療が不可能なターミナル(終末期)の患者さんでした。患者さんが口々に「家に帰りたい」というのを聞いて、なんとかご自宅に帰してあげられないだろうかと思い、その頃から在宅医療の勉強を始めていました。その後に聖マリアンナ医科大学横浜市西部病院に移動になり、この病院で患者さんがご自宅に帰りたいときに帰れるシステムを院内にホームケアという形で作る事が出来ました。しかし、患者さんと共に準備を重ね、ようやくご自宅に戻っていただく段階になっても地域に受け手がなかったのです。町の診療所に「そんなに具合の悪い患者さんは引き受けられない」と断られてしまいました。そんな時に父の具合いが悪くなり、急遽大学病院を辞め開業医になることになりました。その時、病院から受けてのなかった患者さん達は僕が帰って在宅の患者さんとして迎えてあげられる思ったんですよ。父も一緒に仕事をすることになったら回復して診療ができるまでに良くなり、念願だった在宅医療を始めることにしたんです。

在宅医療の良いところとはどのような点でしょうか。

みんながみんなという訳ではありませんが、末期がんや神経難病、衰弱のように治すことができない病気の患者さんの場合には、病院で寝たきりで過ごすよりもご自宅に戻って残された時間を家族の方と共に大切に過ごしていただくほうが、その方にとってより良い生活が送れるのではないでしょうか。住み慣れた家で、子どもたちやご家族の話し声を聞きながら、生活の場にいる。病院にいるときのように気兼ねもなく、好きな食事が食べられる。患者さんが一番リラックスして過ごせる場所はやはり家なのでしょう。ご自宅で医療が受けられれば、それが可能となります。もちろんご家族の協力や医師や看護師の手助けが必要です。こちらでは24時間体制で電話相談に応じており、訪問看護師と連携して24時間緊急往診できる体制を整えています。それらを通じて、安定したより良い療養生活が送れるように患者さんとご家族を支援しています。

「在宅医ネットよこはま」という組織も運営しているそうですね。

岡田孝弘院長 オカダ外科医院4

横浜市内の在宅医療を行っている医師がネットワークを作り、支援し合いながらより質の高い在宅医療を提供していこうという趣旨で2003年に立ち上げた組織です。そもそも在宅医療は在宅医がいなければ成り立ちません。横浜全域で在宅医療が受けられ、みんなが安心して暮らせるようにするためには在宅医を増やしていく必要があります。在宅医が連携して互いにサポートし合うことで在宅医療に伴う問題を解決し、より多くの医師が在宅医療に従事できるように支援していくことが大きな目標です。学会があってどうしても往診に行けないときにはほかの医師に交代してもらう。自分の専門外の診療でもネットワークを通じて専門科医に質問ができる。救急病院に搬送する際も医師間のネットワークを生かしてほかの救急病院を紹介してもらえるなど、さまざまな問題が解消していくうちに、自分も在宅医療をやってみてもいいかなと思う医師が出てくると思うのです。地域で始めた活動が横浜全域に広がり、2007年に組織を統合して現在の形となりました。仲間も増え、今では80人ほどの医師が参加しています。在宅医療に関心を持ち、入会を希望する医師もますます増えてきているんですよ。

どんな病気でも適切な診療が行える総合医として地域住民の健康を支えたい

ほかにも力を入れている取り組みはありますか。

岡田孝弘院長 オカダ外科医院5

最近は病気の予防も重視していて、診療に来られた患者さんに定期健診を受けることをお勧めしています。横浜市の健診の受診率が低く、健康診断を受けていない方が多いようです。ケガで来院している患者さんに健診を勧めたところ、高血圧や糖尿病が見つかったというケースもあるので、ぜひ定期健診を受けていただきたいですね。それから認知症サポート医の資格を生かして、認知症の診療に力を入れています。認知症は早い時期にお薬で治療すれば進行を食い止めることができますが、病院に行かずに放っておくと、どんどん進行して取り返しがつかなくなってしまいます。精神科だと行きたがらない患者さんでも、ここなら来てもらえるんですよ。最近は市民講座で認知症のお話をする機会が多くなりましたが、わかりやすいと好評をいただいています。病院以外では現在、旭区医師会の副会長を務めていますが、区内の病院と診療所が連携を取る病診連携と、診療所間が連携する診診連携に力を入れています。地域の専門医同士が互いに連携して診療を行えば、大病院に行かなくても町中でより専門的な診療を行うことができますし、病院でも外来の負担が軽くなれば、手術を増やしたり、より高度な医療を提供することが可能となります。町の開業医と病院が役割分担をして、地域のみなさんにより良い医療を提供していきたい。そのための基盤作りを進めて行きたいと考えています。

忙しい毎日とは思いますが、休日はどのようにお過ごしでしょうか。

平日の晩は会合などで忙しいので、家族にはすまないなと思いつつ、日曜の午前中はここに来てたまった仕事を片付けていることが多いですね。今では仕事が趣味みたいになっています(笑)。本当はキャンプや料理なども得意なんですよ。あとは動物が好きなので、近いうちに犬を飼うつもりでいます。動物は小さい頃からたくさん飼っていたのですが、高校生のときに飼っていた犬が死んでしまい、それがトラウマになってずっと飼えずにいたんです。でも今は早く飼いたいなあと思っているんですよ。家族の一員が増えるのは楽しみですね。

今後の展望について聞かせてください。

岡田孝弘院長 オカダ外科医院6

「手術ができる内科が外科医だ」という言葉の通り、どのような病気でも適切な診療が行える総合医を目指して日々診療に取り組んでいます。それは、患者さんの小さな傷から生死に関わることまで全部を診られる医者になりたいという大学に入った当初からの目標と変わっていません。地域のみなさんに「オカダ外科に行けばなんとかなる」と頼りに思っていただけるように、これからも精一杯努力していきたいと考えています。

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