鈴木 ゆめ 院長の独自取材記事
関内ゆめクリニック
(横浜市中区/関内駅)
最終更新日:2022/12/06

横浜市中区。繁華街とオフィスビルがほどよく調和する関内エリアに、2022年6月に開院した「関内ゆめクリニック」。鈴木ゆめ院長は横浜市立大学医学部を卒業後、同大学の附属病院にて30年にわたり、神経内科の医師として専門医療を行ってきた。さらに同大学附属市民総合医療センターにて、一般内科の教授・部長を務め、診療に携わったキャリアを持つ。認知症のスペシャリストであり、著書執筆や講演会でも活躍する鈴木院長。「専門とする神経内科領域はもちろん、内科全般を広く診ることで皆さんの健康的な生活をお手伝いしたい」と、にこやかに話す鈴木院長に、開院への思いや診療で心がけていることなどを聞いた。
(取材日2022年10月27日)
患者の立場を理解できる医師でありたい
開院から現在まで、どんな状況でしょうか。

とても楽しく、日々充実した診察ができています。開院する時には思ってもみなかったようなこともたくさんありまして(笑)。新しい発見がたくさんあり、開院して良かったと思っています。前に診ていた患者さんが開院に伴いこちらに移って来られたり、近隣にお住まいの方や、通りがかって様子を見に来てくださるという方もいらっしゃいます。開院当初は比較的高齢の方が多かったかと思います。時間がたつにつれて、患者さんの年齢層も幅広くなってきましたね。当院では認知症をはじめ、生活習慣病も診ますよ、と打ち出しています。高血圧、糖尿病など、管理を必要とする慢性的な症状のある方の来院も多いです。時節柄、発熱された方の外来の受け入れもしています。
先生が診察で心がけていることを教えてください。
患者さんの立場をちゃんと理解できる医師でありたい、ということです。患者さんは本当にいろんな方がいらっしゃいます。困り方も一人ひとり違いますし、何をしてあげればいいか、というのも一人ひとり違いますよね。話し方一つにしても会話という意味でも、それぞれの方にとって響く言葉、語調に気を配り、しっかりとコミュニケーションが取れるように心がけています。患者さんにたくさん聞く、というのがやはり大切ですね。これは時間はかかるけれども、病態を解明するヒントになります。患者さんの話すこと、様子も含めて、そこに解く鍵があります。ですので、私は患者さんに根掘り葉掘り、たくさんお話を聞くんです。
患者さんの言葉や様子から、治療の手がかりを得るのですね。

お話をたくさん聞く中で、意外なことがぽろっと出てきたり。何が原因なのか本当にわからないなあと思っても、その後に調べたり、勉強したりすると、「あの人こんなこと言ってたけど、これだ!」とわかった時の達成感は、診療の醍醐味ですね。次の診察の時に「あなたの病気はこれだと思いますよ」と伝えられたら、患者さんもうれしいですし、私もうれしいと思います。患者さんの言うこと全部をかなえることはできないけれど、できる限りはかなえてあげたい。こちらの方策だけで治療をしていったら、それはきっと患者さんは楽しくない。それでも医療は進んでいっていまうこともあります。診断して薬を使えば「病気は治る」かもしれませんが、やはり人間的な関わりを持って、診療していきたいと思っています。
より近い立場で患者に接するために
開業をするにあたり、どんな思いがありましたか。

大学病院に長くいましたが、最後の6年間は一般内科を担当しました。神経内科は神経系に特化したものですが、頭のてっぺんから足の先まで診るという一般内科を担当して、「体のことを全部、勉強しなさい」といわれているような天命を感じました。スタッフや患者さんとともに、泣き笑いした日々でした。その時にも開業医の先生方からたくさん紹介をいただきましたし、難しい症例の相談も受けました。その中で自分が開業したら、というイメージを持つようになり、どこまでできるかわからないけど、やってみたいという思いが芽生えました。大学とはまた違う切り口で、より近い立場で患者さんに接することができるだろうし、自由にやってみたいという思いが湧きました。
クリニックのスタッフも精鋭ぞろいとお聞きしています。
全員女性スタッフで、チームワークにとても自信があります。看護師は今まで私が一緒に働いたことがあり、開院にあたり私が誘った人、そして開院を知って申し出てくれた人、若いけど経験のある人。お互いに気心が知れていて、信頼できる仲なので、連携はバッチリだと思います。受付の人も含めて、私たち全員が「患者を大切にする」という共通の姿勢を持っています。当院の方針と一致しているのでありがたいですね。私一人ではわからないこともいろいろ教えてくれるし、調べてくれる、心強いスタッフです。医療を提供していくにあたり、患者さんが困らないようにというのを徹底して、対応してくれています。
先生のキャリアについて教えてください。

もともと、精神科の医師やカウンセラーに興味があり、一橋大学で心理学を学びました。今でこそ臨床心理士など資格も整備されてきましたが、当時はただ研究するのみ。カウンセリングをしても薬は使えないですが、医師になれば治療ができると思い、医学部に入学しました。若かったですね、今やれと言われてもできません。医学生時代は必死でした。覚えることが多くて、試験に追われていました。厳しい環境、教育があったから、今の私の基礎となったなという意識はあります。研修医時代もすごくタフでした。研修医同士で励まし合い、助け合いながら修行を積みました。精神科の病気も脳に原因があるのではと思っていたので、脳、脊髄、筋肉など物質を扱うところから解明していくアプローチに興味を持ち、神経内科に入局しました。
認知症だけでなく、女性の悩みの外来にも注力
神経内科専門の医師として臨床、研究を重ねられたそうですね。

大学附属病院で学び、当時できたばかりの神経内科に入局します。変性疾患の代表的なものに、アルツハイマー型認知症、ALS(筋萎縮性側索硬化症)などがありますが、以前は完治が難しかったものも研究が進み、効果が期待できる薬が開発されてきました。1年ほどアメリカに留学し、日本ではあまり見ない病気の患者さんから学んだりと、いろいろな経験を積みました。神経内科となると後ろ向きなイメージを持つ人もいますが、アメリカの患者さんとお話をすると、前向きな姿が印象的で、患者さんの病気への向き合い方に強さを感じました。もちろん難しい慢性疾患ですから、泣いてしまう患者さんもいて、どう慰めたら良いものかと思うこともありました。病気にふれ、人間性にふれた、非常に良い経験です。国は違っても共通の病気に向き合っているという気持ちで通じ合えました。
患者さんとの印象に残っているエピソードを教えてください。
認知症の患者さんを診ていると、どうしても一生のお付き合いができないことも出てくるんですね。他の病院に移るなど、人それぞれですが、そこにもどかしさを感じます。ですが、そんな気持ちも患者さんに救っていただくことがあります。大学病院勤務時代に長い間診ていた患者さんが療養病院に移るタイミングがあったんです。その患者さんはもう寝たきりで自分で動くこともできない状態でした。病院から移動する時も私は申し訳ない気持ちでいっぱいでしたが、なんとその患者さんは私を鼓舞するように力強く笑いかけてくれたんですね。きっと私の想いを察して、励ましてくれたのでしょう。こんなにもつらい状況でも人に優しく思いやる姿勢から、励まされると同時に自分自身を見つめなおす機会となりました。こういう風に患者さんから支えられている分、私もそれ以上に還元しようと常に考えています。
来院される方へメッセージをお願いします。

私にとっても新たな挑戦であるこのクリニックで、皆さんのさまざまな悩みに応えていきたいと思っています。認知症の心配がある方、そのご家族など、状況を上手く受け止められるよう、ご本人、ご家族向けに少しずつお話をすることができるかと思います。また、片頭痛、更年期など、悩みの多い女性の健康も診ていきたいという思いもあります。男の人は診てくれるんですかという声がたまにあるみたいですが、もちろんですとも(笑)。老若男女、来てくださった方にできる限りのことを、スタッフとともに提供していきます。私自身、患者さんから教えられ、支えられてきました。今までの医師人生で、患者さんから何度力をもらったかわかりません。おかげで医師を続けてくることができました。これからも患者さんと一緒に、楽しいチャレンジを続けていきたいと思います。