青木 優美 院長の独自取材記事
医療法人Fuvenant 青木優美クリニック
(福岡市博多区/博多駅)
最終更新日:2024/06/27
博多の商業ビル3階にある「青木優美クリニック」は、博多駅より徒歩約3分というアクセスに便利なエリアで診療を行っている。同院はがんに関する診療を主軸に、内科全般と胃腸内科を展開。内科では風邪や生活習慣病など各種疾患、胃腸内科では下痢、嘔吐、腹部の違和感といった症状などを診療している。院長を務める青木優美先生は、自身もがん経験者。その経験をもとに、がんカウンセリングをはじめとする患者の相談や、がんへの多種多様なアプローチに情熱を注ぐドクターだ。「病気であってもそうでなくても、ご自身の体のことをしっかり知ってほしい」。そう語る青木院長に、これまでの歩みや診療内容に加え、自身の乳がん告知から現在に至るまで、貴重な話を聞くことができた。
(取材日2021年4月19日)
在宅介護、子育て、さらに仕事も続けた約20年
まずは、医師になるまでの経緯から教えていただけますか?
私は福岡出身で、15代続く医師の家系だったものですから小さな頃から祖父や父の背中を見て育ちました。祖父たちが患者さんから感謝されたり、往診など地域医療に取り組んだりする姿を目の当たりにし、ずっと尊敬はしていたものの、高校進学後に進路を考えるまでは海外や語学に興味があったので、医師になりたいという気持ちはありませんでした。果たして自分が医師になれるだろうかという不安のほうが大きかったんですね。ですが、進路を決める時に父と話をし、その頃に祖父が他界したことも重なって、改めて医師という職業に向き合う機会が訪れたんです。自分でもじっくり考えた結果、医師になりたいという想いに至り、医学部を受験することに決めました。
医師になってからの転機はありましたか?
臨床を続ける中で、結婚と出産をしたことは自分にとってターニングポイントになりました。そして、子どもを産み育てるという経験を重ねる最中、大切な家族が倒れたことも大きかったです。家族が倒れたのは今の私と同じ50代。脳の疾患で、ほとんど意思の疎通ができない状態になってしまったんです。その頃、出産で里帰りしていたこともあり、子育てと介護を同時に始めることになりました。しばらくは病院に入院していたのですが、他の家族とも相談して、家に連れて帰ることに。それから20年近く皆で協力しながら在宅介護、子育て、仕事をする日々を過ごしたんです。とにかく必死に頑張っていた気がしますね。そして大切な家族が他界した後、2011年に今度は私が乳がんになったんです。
さらなる試練が。おつらかったでしょう。
娘たちが中学3年と高校3年の時でした。ちょうど受験を控えていた時に私の乳がんが発覚しまして。実は自分でもエコーをしたりして、もしかしたらというのは感じていたんです。ですが娘たちの大事な時期でしたから、その障害にならないようにしたいと検査を先延ばしにしてしまっていたんですね。娘たちから懇願され検査に行ってからは一気に診断がつき、思った以上に病変が広がっていることがわかりました。おかしいなと感じてから3ヵ月以上たっていたと思います。決してこのようなことはしてはいけないと今は皆さんに身をもってお伝えしていますが、当時は自分の体のことに関して優先順位を下げてしまっていました。本当に反省しています。
がんの発症と治療経験がもたらしたもの
院長の場合はどのような経過をたどられたのですか?
私は乳房を全摘しなければならず、切除と同時に乳房の再建もできる同時再建手術を行いましたので、乳房を全摘したショックはあまり感じなかったんです。私の場合、15個摘出したリンパ節の中の11個に転移が見られ、放置すれば再発する可能性が高い状況でしたから、化学療法と放射線治療もすることに。自分が体験してわかったことが本当にたくさんありました。日常の些細な行動に今までとの違いを感じることもありましたし、何よりも毎日が不安との闘い。再発と転移が頭から離れず、私は治療が終わってからのほうが不安でした。抗がん剤で髪の毛が抜けながらも、可能な限り仕事もしていましたので、感染症にも気をつけなければなりませんでした。
病気と闘いながら、お仕事もされていたとは驚きです。
周りの協力が必要ですが、不可能ではありませんでした。体のきつさは普段仕事で疲れるレベルとは違うことも体感できましたので、医師としては感謝しなければと思いました。こういう体験をしたことにはきっと意味があり、これから医師として患者さんの力になれることも多いのではないかと思ったんですね。とにかく私が病気に勝たなければ患者さんに希望を与えることができませんので、いろんなことを吸収しようと努めました。栄養学について学んだこともそうですし、免疫力を高めるために全身管理や日頃の生活の見直しも重視しました。そこからは保険診療と自由診療といった線引きをせず、がんに対するさまざまなアプローチを取り入れていこうと、とにかく積極的に情報収集しました。
がんへのアプローチ法もさまざまなのですね。
私と同じ乳がんであっても、性質がおとなしいものから活発なものまでそれぞれ「顔つき」が異なるのです。ですから、当院では個々の性質や患者さんの体質に合わせたオーダーメイドの治療を重視しています。ご相談を受ける時は、どんなお仕事、生活をされ、どのような食生活を、そして治療に対してどんな考えや希望をお持ちであるかをしっかりお聞きし、考え得る治療法をいったんすべて出してご説明いたします。そして、その方にとって一番良いアプローチ方法は何かをご本人と一緒に考えて、選択するようにしています。当院では対応の難しい治療法の場合は、その道に長けた先生をご紹介しますので、ご安心ください。
どんな状況でも諦めずに前を向いてほしい
先生ご自身の患者としての経験が、今につながっているのですね。
そうですね。実際に、がんと宣告されると想像していた以上につらかったですし、がんになる前に患者さんへかけていた言葉を思い出し、あれで正しかったのだろうかと思ったりもしました。「患者さんはこんな気持ちだったんだ」「家族はどうなるんだろう」と不安になり、これまでわかったつもりでいたことが、そうではなかったと気づかされるきっかけにもなった気がします。同時にその時に感じたのが、一緒に闘ってくれる仲間や周りの人たちの存在がどれだけ大きいかということ。だからこそ、自分の経験を無駄にせず、今度は私自身が、がんに苦しむ人たちの支えになれたらいいですね。そんな想いで、日々患者さんと向き合っています。
一緒に闘うという点では、スタッフも同じでしょうか?
そのとおりです。医師のほか、看護師や臨床検査技師、管理栄養士、受付スタッフなどの多職種全員が、一体となって患者さんを支えています。情報共有を徹底しているのもそのためで、患者さんとの会話やちょっとした出来事も含めて記録として残しているほか、朝のミーティング時にも伝え合うようにしています。一人ひとりが日頃から患者さんとのコミュニケーションを大事に、アットホームな雰囲気づくりに努めていますので、医師に言いづらいことがあればスタッフに気兼ねなくお伝えください。こうした関係性ができているからこそ、診療においてもその方に合ったオーダーメイドの治療やアドバイスができるのだと思います。例えば、食事に関して管理栄養士がアドバイスを行う際は、がんの種類はもちろん、その方の体力や好きなものなど、患者さんからあらゆる情報を引き出した上で、それらを踏まえて必要な栄養素や具体的な献立を検討するようにしているんです。
最後に、がんや疾患に対して不安を抱えている人に向けて、先生からメッセージをお願いします。
私は術後10年以上たち、検査上では異常ないのですが、転移や再発のリスクが完全になくなったわけではありません。しかしたとえがんになっても、がんの性質を知り、自分の体の現状を把握して上手にコントロールしながら再発管理をしていけば、糖尿病などの慢性疾患のように共存は可能であると考えています。皆さんにお伝えしたいのは、どのような状況であっても諦めず、常に希望をもって前向きに取り組んでいただきたいということ。また、正しい情報を知っていただきたいということ。今は情報がありすぎて、中には間違った情報を信じている方もいらっしゃいます。私ができることは医師として正しい情報をお伝えし、一緒に考えて治療していくことだと思っています。些細なことでも構いません。日曜・祝日も診療していますのでご相談にいらしてください。