山口 拓也 副院長の独自取材記事
うめがえ内科クリニック
(大田市/大田市駅)
最終更新日:2024/07/22
大田市駅や大田市役所からほど近い中心市街地に位置し、国道375号沿いに立つ「うめがえ内科クリニック」。2010年に梅枝伸行院長が開業以来、内科、神経内科、心療内科、漢方内科を標榜し、さまざまな疾患や症状に幅広く対応できる体制を整え、地域医療に貢献し続けてきた。2024年5月に山口拓也先生が副院長として就任し、2人体制での診察がスタートした。院内は木のぬくもりを感じさせる落ち着く空間で、待合室にはさまざまな本が並び喫茶店のような雰囲気。窓からは丁寧に手入れをされた庭を眺めることができ、待ち時間も快適に過ごせる工夫が凝らされている。今回は同院に後継者としてやってきた山口副院長に、これまでの経緯とこれからの展望を詳しく聞いた。
(取材日2024年6月19日)
神奈川県から島根県へ、大田市で医師として生きる
医師になると決めたのはいつ頃ですか?
高校を卒業するまでは医師になることはまったく頭になかったんです。漠然と教師になりたいという方向性で考えていたのですが、医師になりたいとは思っていなくて。現役時代は工学部、理工学部を受験したのですが落ちてしまって、浪人生活を送ることになりました。予備校に通うことになり、そこで人生についてゆっくり考える時間を持つことができました。予備校でできた友達に医師をめざしている子がいて、そこで初めて医師という選択肢が出てきました。初めに考えていた教師にしても、医師にしても、人との関わりのある仕事に就きたかったんだと思いますね。そこから医師になるための道を歩み始めました。
これまでのご経歴を教えてください。
島根医科大学を卒業した後、同大学の第三内科に入局。今でこそ初期研修ではさまざまな診療科を回るのがいたって普通ですが、当時はそうではなかったんです。そんな中、医局の教授がいろいろな分野を研修したほうが良いという考えで、東京で研修医として勤務しながら、2ヵ月ごとに各診療科を回って幅広い経験をさせていただきました。その後島根に戻ってきて、島根医科大学の第三内科、大田市立病院、加藤病院などに勤務しました。実は出身は神奈川なんです。大学から島根に来たのですが、大学を卒業してから、島根に残るか神奈川に戻るか迷っていた時期もありましたが、島根に残ることになったのは、教授の教育方針に惹かれたというのが大きいです。
神経内科を専門にしたのはなぜなのでしょうか?
内科は循環器内科、消化器内科、内分泌内科、神経内科などさまざまな種類があります。その中でも、神経内科は脳卒中、パーキンソン病や認知症など、高齢の方と長くお付き合いをしていく診療科であり、それが自分に合っているんじゃないかなと感じて、神経内科を選びました。また、神経内科の教授が尊敬できる先生で、教授に惹かれたことも神経内科を選んだ大きな理由です。
50歳の節目、梅枝院長の思いに応え副院長に就任
もともと開業医になる予定はなかったとお聞きしました。決断に至った背景を教えてください。
勤務医時代は外来診療、病棟業務、訪問診療に携わっていました。一人の患者さんにずっと主治医として関わることができる、とても良い環境で医療に従事していました。だからこそ開業医になることなど、まったく考えていませんでしたね。なので最初に梅枝院長から相談をいただいた時は驚きましたが、「開業医」という選択肢もあるのだと意識するようにはなりました。それから新型コロナウイルス感染症が蔓延し対応に明け暮れる日々を送る間に、その選択肢が消えかかっていたんです。そんな中再度、梅枝院長からお話をいただました。以前勤務していた病院には私の代わりになる医師はいましたが、うめがえ内科クリニックには後継者がいないので、梅枝院長に何かあった際に困る患者さんが多くいること、そして、神経内科の医師として尊敬していた先生からのお誘いということもあり、真剣に考え、話し合いを繰り返していく中で、徐々に意思が固まりました。
決断から、うめがえ内科クリニックへ移るまでは早かったのでしょうか?
前に勤務していた病院の理事長に次のステップへ進む意思を伝えたところ、考え直してほしいと言われたんです。理事長だけでなく、病院長をはじめとするスタッフ、外部の先生からも残留することを勧められました。そして、皆さんから暖かい言葉をたくさんいただきましたが、当院で副院長に就任する決意は変わりませんでした。50歳を超え、このまま勤務医として医師人生を送ることに対して、少し物足りなさを感じることもありました。新しいことにチャレンジするには最後のチャンスだと感じていたところに、梅枝院長からお誘いをいただいたのです。いろいろなことがタイミングよくつながったのだと思います。新型コロナウイルス感染症の流行が落ち着いてきたタイミングで梅枝院長から再度お話をいただき、私が50歳という人生のターニングポイントを迎えたこともあり、当院の継承に向けた選択ができたのだと思います。
梅枝院長はどんな先生ですか?
大田市立病院にいた時に、数年間一緒に勤務したのですが、梅枝院長は患者さんへの接し方が近づきすぎることもなく、冷たく距離を置くわけでもなく、程良い関係を築いている印象で尊敬していました。その時も上司、部下の関係でしたが、さばけていても決して冷徹なわけではなく、こまやかにアドバイスをしていただき、とても頼れる先生だなと感じていましたね。そして生意気な言い方をすると、「同じ波長」を感じる先生です。感覚的なものが合うんですよね。こちらに来て一緒に働くようになってからもやりにくさをまったく感じることなく、とてもスムーズに一緒に診療させてもらっています。
小児から高齢者まで幅広く診て、地域医療を支えていく
今後は、小児科も対応していく予定とお聞きしました。
まだ現状、当クリニックでは小児科診療は行っていません。今後、松江赤十字病院の小児科外来で、月2回臨床に関わらせていただく予定になっています。そこで勉強させてもらってから、徐々に患者さんの診療を始めさせていただき、当院での小児科診療の幅を広げていきたいと思っています。一方、お子さんの予防接種は現在も受けていただくことができますので、これからも地域の幅広い世代の方にお越しいただけたらうれしいですね。
現在取り組んでいることと、今後取り組みたいことを教えてください。
現在は梅枝院長の診療スタイルを学ばせていただいています。今後はその意思を引き継ぎながら、自分の診療スタイルを築いていきたいです。梅枝院長の診療スタイルに違和感を覚えることはないので、大きな変更はないと思っていますが、少しずつ自分らしさを追加していけたらと考えていますね。まずは小児科診療を勉強して、小児からご高齢の方まで幅広く診療できるようになることをめざしています。また、患者さんが医療機関ではなく、自宅など住み慣れた環境で最期を迎えることができるように、訪問診療も継続しながら支援していきたいです。当院の診療理念でもある「すべては患者さんの笑顔のために」に沿って、尽力していきたいです。
最後に、読者へのメッセージをお願いします。
物忘れや頭痛など気になること、心配なことがあれば何でも大丈夫ですので、気軽に受診してください。MRIやCTなどの検査は近隣の大田市立病院と連携し、スムーズに検査を受けていただける体制を整えています。治療で症状の進行を遅らせることにつなげたり、患者さんのご家族の話をお聞きしたりすることで、患者さんだけでなくご家族の負担も減れば良いなとも思っています。世間話をしに来るような感覚で、気負わず受診してもらえたらうれしいですね。開業医という未知の領域に飛び込んできたので、皆さんにご迷惑をおかけすることがないように、梅枝院長にご指導をいただきながら、地域医療に貢献できるように努力していきます。どうぞ、よろしくお願いいたします。