中野 一司 院長の独自取材記事
ナカノ在宅医療クリニック
(鹿児島市/鹿児島駅)
最終更新日:2025/01/14

鹿児島県鹿児島市伊敷にある「ナカノ在宅医療クリニック」は、自宅での生活を希望する患者やその家族をサポートする訪問診療に特化したクリニック。院長の中野一司先生は薬学部出身。その後医学部に入り直し、その後もコンピューターのシステム開発に従事していたという異色の経歴の持ち主である。そんな中野院長が「地域で生活を支える医療システムをつくりたい」「自分自身が最期まで受けたい医療を提供したい」と開業したクリニックは、今年で開業25年。多くの地域住民から親しまれ、取材中もひっきりなしに携帯電話が鳴り、その度に丁寧かつ的確に対応している姿が印象的だった。そんな中野院長に、開業までの経緯や地域医療にかける思い、今後の展望について話を聞いた。
(取材日2024年10月23日)
「生命を理解したい」と医学の道を志す
先生が医師をめざしたのはどのようなきっかけでしょうか?

幼い頃から「生きているって、どういうことだろう?」という疑問があり、生と死への好奇心が強かったので、学問としての医学に興味がありました。しかし当初は医学部合格できませんでした。学問は好きだったのですが、いわゆる「受験勉強」には向いていなかったのです。そんなわけでその後、東京理科大学薬学部に進学しました。生化学や生物物理学、分子生物学を学んで、生命というものがなんとなくわかった気になり「研究者になってノーベル賞を取るのもいいな」なんて考えていました。しかし一方で、どこかしっくりこない思いも感じていて、卒業前に「最後に未練を断ち切ろう」と、記念受験のつもりで医学部を受けたら合格したのです。
そんな経緯があったのですね。
10代の頃にあれだけ苦労しても駄目だったのに、好きなことをやっていたら身になるんだなと感慨もひとしおでした。医学部での勉強は非常に面白く、基礎医学や生化学、生理学をはじめとして、薬理学や病理学、分子生物学などを夢中で学びました。卒業後は鹿児島大学医学部救急部で経験を積み、その後鹿児島大学病院検査部に入りました。5年間所属したのですが「検査部」といっても検査そのものではなく、主にコンピューターと向き合って「検査部内システム」の開発をするのが主な仕事でした。全部で3つのシステム構築に従事したのですが、今ほとんどの医療機関で当たり前に使われている「病院内電子カルテシステム」の一翼を担うものでした。
そこからどうして、在宅医療に携わるようになったのですか?

検査部の仕事も楽しかったのですが、コンピューターではなく人間相手の仕事がしたい、医療の現場に戻りたいと思うようになったからです。在宅医療を選んだのにも理由があり、当時の在宅医療は訪問看護やホームヘルパー、訪問入浴サービスなどのサービス自体は確立されていたのですが、それらのサービスは、ばらばらに提供されていました。「今後、介護保険制度が施行されれば、これら個々のサービスが有機的につながる地域連携ネットワークが必要だ」と考え、地域全体に新しい医療システムを構築したいと考えたのです。最初は、住居用に借りていたアパートの一部屋をクリニックとして申請しスタートしました。
「どれだけ生きるか」ではなく「どう生きるか」が大事
どのような患者さんを診療されていますか?

「こういった患者さんが対象」という線引きはありませんので、基本的にどんな年齢、どういった疾患の方でも対応しています。「訪問医療=高齢者」といったイメージがあるかもしれませんが、若年層でも診ていますし、以前はお子さんもいらっしゃいました。ホスピスに入らなくても、9割くらいの方は自宅で過ごすことができます。とにかくどんなケースでもご相談があればすべて対応するようにはしています。
診療の際、大事にされていることを教えてください。
患者さんがどうやって生きたいか、そしてどのような最期を迎えたいかを大切にして、ご本人を中心としたケアを提供するということです。当クリニックでは、在宅医療を開始するにあたって「ACP(アドバンス・ケア・プランニング)」を必ず作成するようにしています。これは将来の変化に備え、患者さん自身が意思疎通できるうちに、ご家族や医療者が患者さんご本人の意思を確認しながらケアプランを立てておくという方法です。もちろん、ご本人が「家にいたい」と思っても、ご家族さんは「病院にいたほうが安心」と考えるなど、ご本人とご家族の意向が異なるケースもありますが、できるだけ患者さんの思いを尊重し「どうすれば家にいられるか」を一緒に考えていきます。
ご家族やご親族の方にも不安がありますよね。

究極は「どんな患者さんでも在宅で医療を受け、介護することができます」と伝えたいです。介護には「身体的な介護負担」と「精神的な介護負担」が伴いますが、身体的な負担はホームヘルパーさんなどのサービスを入れることで大幅に軽減できます。精神的な負担については、もっと医療者に頼って、わからないことや迷ったことは伝えてほしいですね。そして、例えば患者さんが亡くなったときに「病院にいたらもっと長く生きられたかもしれないのに」などとご自身を責める必要はないのです。大事なのは「死ぬまでの期間をどう過ごすか」です。不安もたくさんあると思いますが、過度に心配する必要はありません。当クリニックや訪問看護ステーションが連携して、何かあった時には24時間いつでも医療者が駆けつけられるようにしていますので安心してください。
みんなで支え合う地域社会を支援したい
クリニックの特徴や強みなどを教えていただけますか?

「顔の見える地域医療」が強みだと思っています。私たちは「在宅ケアネット鹿児島」という、約2000人の在宅医療に携わる専門職による組織を立ち上げて、交流や情報交換、ケース相談などの相互交流をしています。ほかにも「かごしま多職種連携勉強会」では、一般の方も参加できる勉強会を開催しています。交流は鹿児島県内だけではありません。こちらを開業するにあたって、東京のクリニックに見学にも行き、今でも交流があります。今の時代は、インターネットがあるので情報そのものは簡単に手に入りますが、いわゆる「生の声」としての情報収集は、これまでに培ってきた横のつながりが非常に役に立っています。
今後の展望についてお聞かせください。
もっともっと在宅医療が広まり、多くの人が利用できるようにしたいです。そのためにも、患者さんが安心して利用できるよう、病院から在宅への流れをスムーズにしたり、地域にあるさまざまな施設同士の連携をさらに強化したりしていきたいですね。先日とある懇親会で、病院の医師から「在宅支援のクリニックが増えると、利用者さんの取り合いになって大変ではないですか?」と聞かれましたが、むしろ逆ではないかと思っています。競争するのではなくて、手を取り合って共存していきたい、そのためにまだまだできることがある、そう思って日々活動しています。
最後に、読者へのメッセージをお願いします。

在宅医療は医療者主体ではなく、患者さんが主体となってつくっていく医療、医療機関に患者さんを入れるのではなく、患者さんの生活の中に医療や介護を取り入れるすてきな医療です。当クリニックは1999年にスタートし、今年で25周年になりますが、さらに多くの人に利用していただきたいと思っていますし、ニーズも感じています。「長生きさせる医療」ではなく「生きるを楽しむ医療」である在宅医療が広まれば、地域にもっと笑顔が増えると思っていますし、そうやってみんなで支え合う地域社会を支援する在宅医療でありたいと思っています。