矢内原 巧 院長の独自取材記事
矢内原医院
(鎌倉市/大船駅)
最終更新日:2021/10/12

鎌倉市の産婦人科医院「医療法人社団守巧会 矢内原医院」は、静かなエントランスを抜けると明るい待合室がある、エレガントなホテルのようだ。院長の矢内原巧先生は、長年昭和大学医学部に在籍しており、臨床医としても、研究者、教授としても多彩な経験を持つベテランドクターである。「学生の頃から鎌倉に病院をつくることが夢だった」という矢内原先生は、定年を機に亡き父の跡を継ぎ由比ヶ浜で診療していた。当時は施設の関係などから分娩は他院で行っていたが、やはり産婦人科医として、出産まで見るべきであるという思いが募り、分娩施設のある医院として2013年に移転。同じく大船で不妊治療を中心とする矢内原ウィメンズクリニックとも連携し、自然分娩から帝王切開まで幅広く対応している。取材日も緊急のオペが入っていたが、その疲れも見せず、医療への思いをていねいに語ってくれた。
(取材日2015年11月17日)
鎌倉には少ない、分娩可能な産婦人科医院
緊急のオペということでお疲れのところ、ありがとうございます。帝王切開にも対応されているのですね。

はい。当院は自然分娩を基本スタイルとしていますが、妊婦さんやお子さんの状態によって帝王切開が必要だと判断された場合には、オペを行います。その際は十分な説明をさせていただいて、最小限かつ有効に行ってまいります。帝王切開は、決して安全な分娩方法ではありません。ですから当院の分娩室は、個人病院としては珍しいタイプの無影灯をはじめとして、開業医としては超一流の機器を導入しています。もちろん、スタッフもベテランの者ばかりです。患者さんと十分にコミュニケーションをとり、暖かく寄り添う診療を心がけ、ひとりでも多くの方のお役に立てるよう、安心、安全な出産のために誠心誠意努めています。
先生が産婦人科医をめざしたきっかけと、開業するまでの経緯をお教えいただけますか。
矢内原医院は、私の父が戦後に由比ヶ浜で開業しました。私は父と一緒に開業医として仕事をするのが夢でしたので、中学生の頃から、できる範囲でしょっちゅう手伝いをしていました。産婦人科医になるべく慶應義塾大学医学部を卒業後、父の母校である東京大学医学部の産婦人科に入局し、学位を取得しました。その後、すぐに留学のチャンスがあったので渡米したのですが、日本で学生紛争が起こり、帰国できなかったんです。そこで4年間、アメリカで内分泌ホルモンの研究生活を続けました。アメリカでの生活は論文も書けましたし、充実していましたね。そうこうしているうちに学生運動も下火になり、東大にいた頃の直属の上司に呼び戻され、最終的には昭和大学医学部の教授になりました。父が亡くなったのは教授になってしばらくした頃です。私は教授という責任のある立場にいたために、父が死んだからと大学を去るわけにはいきませんでした。ですから、しばらく閉院していたのですが定年を機に一念発起し、父の跡を継ぐ形で2001年に診療を再開しました。
どういった理由で、由比ヶ浜から現在の場所に移転したのでしょうか。

診療を再開したのですが、医院自体が狭かったこともあり、分娩施設としてお産をするには厳しい状態でした。私自身も定年後でしたから体力的な問題もあり、当時は外来診療のみで、分娩は別の医院にお願いしていたのです。ただ鎌倉には分娩施設のある病院は少ないですし、やはり産婦人科医としては、お産が終わるまできちんと見ることが使命だと思っていたので、私自身もふがいない思いはありました。そんな頃、私と同じ産婦人科になった息子が大船に不妊治療を中心にしたウイメンズリニックを開業することになったのです。大船であれば、湘南鎌倉総合病院、藤沢市民病院、南部病院、こども医療センターなど緊急の際に連携を取りたい施設へのアクセスがよいですし、ウイメンズクリニックと連携することで妊娠の成立から出産までを一貫してフォローすることができます。そこで2013年に、息子のクリニックから徒歩3分のこの場所に移転したのです。
満足できるお産+スモールラグジュアリーがコンセプト
なぜ、息子さんのクリニックで診療されないのですか。

女性ならよくわかると思うのですが、不妊治療をしている方が同じ病院で妊婦さんを見るのは、やはり抵抗があるのではないでしょうか。私としては女性の気持ちを考えると、妊娠を望んで治療を受けている方と大きなお腹を抱えている方を、同じ病院で診ることはできないと思いました。しかし産婦人科医としては、治療をして赤ちゃんを授かった方が、無事お産をすませるまで見届けることは役割であり、使命です。それは息子も共通した考えでした。ですから別の医院ではあるけれども、連携したクリニックとしてそれぞれの役割を持ってフォローすることで、よりよいお産につなげることができるのではないかということで、近くに分娩施設のある病院として移転したのです。
医院の特徴をお教えください。
出産の平均年齢が高いことが、特徴の1つとしてあげられます。ウイメンズクリニックをはじめとして、他院での不妊治療を経て、当院で分娩された方々が数多くいらっしゃいます。ですから、高齢出産の方への指導やケア、フォローなども得意とするところです。妊娠中の診察はもちろんですが、医師だけでなく、出産時のパートナーとも言える助産師がご相談に乗る助産師外来もありますし、出産後に授乳や搾乳、おっぱいトラブルについてご相談いただける、母乳専門の外来もあります。また、不妊治療で妊娠した場合は難産の傾向が高いのですが、当院では多数の実績がありますので、安心してお任せいただけると思います。
受付は待合というよりホテルのロビーのようですが、院内作りのコンセプトなどはございますか。

できるだけリラックスしていただけるように、スモールラグジュアリーをコンセプトにした院内作りをしています。入院の際は、基本的にゆったりくつろげる個室をご用意し、美容液や乳液、ボディタオルなどのアメニティグッズも備え付けています。食事は地の野菜を中心としたバランスが良く見た目も色鮮やかなメニューを専門の厨房スタッフがつくっています。食事は4階にあるマザーズスペースで、皆さんで召し上がっていただくようにしています。コミュニケーションをとりながら楽しく食事をすることも理由の1つですが、出産前後の時間を共有していただくことで、出産後も育児の相談をしたり、つらさをわかり合うことができるママ友といいましょうか、育児のつらさをため込まない仲間をつくることにつながると思ってのことです。4階にはリラクゼーションルームもあり、分娩後には入院中1回、すべての方にリラクゼーションサービスを提供しています。
スタッフ一丸となって、信頼できる医療を提供する
先生は産婦人科医として、どういったことが重要だとお考えですか。

私たちは医師といっても人間です。人間のできることは限られています。ですから、「俺が治してやるんだ」という驕りを持ってはいけないと考えています。これは学生たちにも言ってきたことです。私たちは、治療や手術といったことはできますが、それは治すための手助けです。そのために新たな知識や技術などの習得が必要です。けれどそれだけではなく、気持ちの上で患者さんに寄り添っていくことが必要なのです。そのためには、患者さんの気持ちを汲むことがいちばん大切だと思います。妊婦さんを患者というのは申し訳ないですが、例えば妊婦さんは妊婦さんなりの不安がありますし、思春期や更年期の方はご本人だけでなく家族といった背景の問題もあります。ですから病気だけでなく、背景や心理的なことなど、トータルにその人を見るということが重要だと思っています。
今後、取り組みたいと考えている治療など、将来の展望をお聞かせください。
今は分娩が主になっていますが、当院では思春期・更年期相談や各種の検診も行っています。手術室も個人病院としては先進的な一流の機器を導入していますので、腫瘍関係の手術にも十分対応できます。産婦人科医としては、さきほども言いましたように妊娠したお母さんと授かった子どもたちを出産はもちろん、ずっと見届けることが役目であり使命だと思っています。ですから将来的には、妊娠出産だけでなく、腫瘍関係の病気も含めてすべてのご婦人の心身に関する悩みにお応えできるようにしていきたいと考えています。
では最後に、読者へのメッセージをお願いします。

当院に限ったことではありませんが、コミュニケーションをよくとって、信頼できる医師や医院に巡りあっていただきたいと思っています。もちろん私も患者さんに信頼していただける医師であるために全力を尽くしますし、コミュニケーションを取れる人間であるよう、努力しています。正直なところ100%の人間などいませんし、100%の医療というものも存在しません。しかし、それを100%に近づけるよう努力するのが、私たち医師や医療に携わる人間の役目なのです。当院では毎朝ミーティングをするのですが、そのときに全員の結束を固めています。「今日も1日がんばろう!」とね。病院は医師だけで成り立つものではありません。看護師、助手、助産婦といった医療に関係する者はもちろん、受付や調理スタッフ、清掃係に至るまで、皆同じ気持ちで患者さんに尽くしたいと思うことが、良い医療につながるのです。そして、その気持ちは必ず患者さんに伝わります。そういう医療を皆さんに提供したいですね。ですから病気に限らず、婦人科系の不安や疑問があったらいくらでも相談に来ていただきたいと思います。