久富 勘太郎 院長の独自取材記事
久富医院
(世田谷区/田園調布駅)
最終更新日:2023/07/28
東急東横線の田園調布駅から徒歩8分ほど、自動車利用なら都道311号線、通称・環八通り内回り沿いのわかりやすい場所で、開業から70年を迎えた「久富医院」。2020年から院長を務めるのは、3代目の久富勘太郎先生だ。医療を通じて地域貢献を志した父であり先代院長の遺志を継ぎ「患者を路頭に迷わせない」ポリシーを貫く。その実現は、患者の利便性を優先した立地内の専用駐車場、院内処方、充実した医療・検査機器、訪問診療の実施にとどまらない。受け入れ窓口が少なかった時期に感染症疑いの発熱患者を断らずに受け入れたのも、そのポリシーゆえのこと。そんな厳しい経験も当たり前のように、やわらかい口調で語る久富院長。「柔よく剛を制す」の言葉が似合う、優しくも頼もしい久富院長にさまざまな話を聞いた。
(取材日2021年9月30日/更新日2023年7月20日)
検査・医療器材の充実と院内処方にこだわってきた理由
こちらの特徴を教えてください。
当院は祖父が開業し、70年を迎えました。2代目院長だった父の「病院並みの医療で地域貢献したい」という強い意向で、時間をかけて検査機器をそろえてきました。そのため、一般的な医院より検査項目が多いのが特徴の一つと思います。最近は、喘息やアレルギーの検査に使う呼気一酸化窒素検査のできる機材を取り入れました。それと、週に1回ですが訪問診療を行っていること、お薬は院内処方をご利用いただけることですね。また、環状8号線沿いに立地しており、駐車スペースをしっかり取っています。高齢の患者さんをご家族が連れて来られるときは車が便利ですし、院内処方ならワンストップで通院が終わります。患者さんにとっての利便性を念頭に置いて、診療を行っています。
力を入れている診療についてはいかがでしょうか。
僕自身は消化器内科を専門にしてきましたが、地域の一次診療医療機関の役割を担うため、専門分野以外の勉強もしながら総合的に診療を行っています。多くの疾患で早期発見と早期介入を重要と考え、より正確な診断のために検査機器の充実を図ってきました。診断に基づいた過不足ない治療のために、当院でできる治療は当院で、できない場合は連携先の病院を紹介します。例えば食道がんや胃がんは早期発見が早期治療につながりやすく、多くの方が紹介先の病院では内視鏡での治療をされています。一方で大腸がんについては、検便で潜血が出てからの内視鏡検査では、手術が必要な段階に進んでいる方の割合が増えます。早期大腸がんでしたら、当院で治療を完了できる場合があります。今後は大腸がんの早期発見にも力を入れていきたいと考えています。
診療方針についてもお聞かせください。
地域の方々が健康に安らかに過ごしていける、そのお手伝いをするのが一番大切と思っています。皆さんの健康を守るために診断の精度を上げ、その手段として検査や健診を充実させています。患者さんとしては、かかりつけ医院をどこにしたらいいのか、自分では判断できない方も多いと思います。当院はどんな症状の患者さんでも診察しますので、とりあえずご相談いただければ、患者さんにとってベストな道に導けるよう努力します。また、地域的にも患者さんが高齢化していますので、ライフステージに合わせた道案内役として、地域の先生方や近隣の病院だけでなく、ケアマネジャーさんや訪問看護ステーションとの連携にも努めています。
多くの患者の喜ぶ姿と笑顔に、志を強くした
開業から70年たったということで、長い歴史があるのですね。
祖父は東京出身ですが、最初に開業したのは三重県の鈴鹿山麓にあった山村だったそうです。そこで7年診療した後に東京へ戻り、1952年にこの地で改めて久富医院を開業しました。前の建物は築60年以上が経過した、ツタの絡まる2階建ての建物で、奥沢という土地柄もあり地域の皆さんに愛されてきましたが、医療機器が増えて手狭になり、耐震性能の問題もあって2018年に建て替えました。その際、院内もバリアフリーに整え、さらに機材を充実しました。僕が当院に入職したのは2012年です。昨年まで前院長の父とともに働いてきましたが、父が亡くなったため、院長職を引き継ぐことになりました。父は絵を描くのが趣味で、建て替えで広くなった待合室に何枚も絵を飾り、ギャラリーのように楽しんでいました。患者さんにも父の絵は親しまれていたようで、懐かしそうに眺めている方も時折いらっしゃいます。
スタッフの皆さんも長く働いているのでしょうか。
看護師、受付、薬剤師など父と一緒に長く働いてくれた方が多かったのですが、少しずつ代替わりして、今ではほとんどのスタッフが若い世代になりました。大きな求人広告は出さず、近所の方や紹介などで当院に入ってくれて、自転車や徒歩で通えるほど近所のスタッフばかりです。あらかじめ人柄をわかって採用しており、実際にみんなが責任感を持って仕事をこなしてくれるので、ほんとうに助かっています。新型コロナウイルス感染症がまん延していた時期や、台風や大雪の日も休まず診療が続けられてきたのも、スタッフのおかげです。そして当院のスタッフは優しい方ばかりで、みんな温かく患者さんに接してくれています。
先生ご自身が医師の仕事を志したきっかけを教えてください。
僕は奥沢が地元なので、八幡小学校を卒業しました。中学・高校は港区の麻布学園に進学し、筑波大学医学部に進んで1995年に卒業しました。祖父の代から家業が診療所だったので、特に疑問も抱かず、自然の成り行きで進路を選んだ感じです。大学卒業後は研修医として関東逓信病院(現NTT東日本関東病院)に入り、そのまま15年働きました。消化器内科を専門にしたのは、検査や処置で内視鏡を使う機会が多く、いずれ実家に戻ったときに役に立つと考えたからでした。父からも祖父からも、後を継いでほしいと言われたことは一度もありません。ただ、祖父や父が患者さんに感謝され、喜んでもらっている様子を見てきたことで、志を強くした面はあったと思います。僕自身は医師として、たくさんの患者さんに育ててもらいました。また、患者さんのご期待に沿えないこともありました。その分、今診ている患者さんに感謝し、恩返しするつもりで診療に臨んでいます。
得体の知れない病気でも、患者を路頭に迷わせたくない
診療の際に心がけているのはどんなことですか。
まず何よりも、電子カルテのほうばかりを見ないで、できるだけ患者さんのほうを向いてお話を伺うこと、診療の準備や後片づけの時間も使って、手を動かしながらでも患者さんのお話をたくさん聞くことですね。それでもモニターを見ていることが多いですが(笑)。そしてもう一つ、怒らないことです。当たり前のことですが、いつも自身に言い聞かせ、日々反省しながら患者さんと向き合っています。生活習慣病の管理などの際には、うまくいったときに一緒に喜んで、患者さんにやる気を出してもらうのが良いと思っています。
新型コロナウイルスが猛威を振るっていた時でも、発熱の患者さんを受け入れていたそうですね。
特に力を入れていたわけではなく、あくまでも感染症を疑う発熱の標準的な医療です。ただ、当院の場合は入り口が複数ありますし、検査の予定がなく空いている部屋を使って診察するなど、動線を分けられるため対応しやすかったという面はあります。新型コロナウイルス感染症が得体の知れない病気だった時は、確かに僕らも怖かったです。それでも、地域の患者さんが医療の面で路頭に迷わないようにするのは、当院のポリシーなのです。高熱で苦しむ患者さんの受け入れ先がなかなか見つからなかった時にも、当院では断らずに診察をしていました。
今後の展望と読者へメッセージをお願いします。
「大きな病院に行かなくても、病院並みの医療を受けられる医院にしたい」という方針で、院内を拡張して機材をそろえてきましたが、古くなってきたものもあり、入れ替えていきたいと思っています。併せて、きちんとした診療を続ける努力もしていかないといけません。僕自身が広く医学の勉強に取り組むだけでなく、患者さんに教えていただきながら、患者さんが笑顔になれる診療をしていきたいです。当院は総合診療として患者さんの全身を診ています。体のどの部分でも痛みや不快感があって体調が悪いとき、ご自身やご家族の健康について疑問をもったとき、どこを受診したらいいのかわからないときにも、お気軽にご相談ください。