あすなろ整形外科クリニック

あすなろ整形外科クリニック

宗定伸 院長

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病院の入口を入ると受付の前に通路があり、その先にある待ち合い室のドアを開けると、開放的な空間。4階という高さと壁一面の大きな窓から見える素晴らしい眺望は、何時間でも過ごしたくなるくらい、患者をリラックスさせてくれます。「整形外科ですから、まず駅に近いこと。そしてこの広々とした感じ。そういう所は病院のセオリーよりも優先したかったんです。」と語る、あすなろ整形外科クリニック院長の宗定伸先生にお話を伺いました。(取材日2006年12月20日)

典型的昭和30年代の子供時代

―子供の頃のお話しを聞かせてください。

現在のイメージだとビックリされちゃうんですけど、小学校低学年まで今の青山大学の正門の斜向いに住んでいて、その後小学校高学年の頃、原宿のキディランドの裏に引っ越しました。昔はなんてことない普通の街だったんです。今の国連とか子供の城あたりはぜーんぶ都電の車庫だったんですよ。昼間、電車は全て出はらってますから、子供からすると遊び放題の空き地なんです。そこで走り回ったり、廃屋になった事務所みたいなのがあって、そこが基地ね(笑)。その屋根裏に入っちゃって、梁を踏み外して落っこちちゃうみたいな。未だに覚えていますけど、夏休みの昆虫採集で採れなかったのは「オニヤンマ」くらいですよ。ですから、もうほんとうに昭和30年代の普通の子供が普通に遊ぶ事を全部やれる土地でしたね。

―思春期の頃はどうでしたか?

音楽の好きな友達がいて、そいつが僕の最初の音楽の先生だったんです。まずは「モーツアルトのクラリネット五重奏」。すごいインパクトがありましたね。その次に教わったのがカーペンターズ。そしてビートルズとか。中学に入ってからは、レコード屋さんと知り合いになったので安く買えたんですよ。ジャンルにかかわらず音楽を聞き倒しましたね。で、普通の男の子はだんだんウルサイのを買うわけですよ。最初がピンク・フロイド「原子心母」。オーケストラと共演していたので、クラッシックを聞く耳で聴ける音楽だったんです。話しが細かすぎて申し訳ないんですけど、原子心母の一番最後の所でバイクが走り抜けるんですよ。右から左に。そこで初めてステレオっていうのを実感しましたね。それからプログレッシブロックと呼ばれるELP、キング・クリムゾン。自分達でバンドやろうぜって話しになってくると、レッド・ツェッペリン、ディープ・パープル、ジェフ・ベック、エリック・クラプトン。70年代に初めてクラプトンが日本にやってきて、ライブに行ってノックダウンされちゃったんです。「このギター、一人でやってたんだあ!」ってすっごい感動しましたよ。なんて言っていると、ただのロック少年みたいになっちゃうけど。本当の僕にとっての音楽のアイドルは、マイルス・デイビスとエリック・クラプトンとグレン・グールド。あとヒッチコックとクリント・イーストウッドを混ぜたいですねー(笑)。男ならああ生きたいよなー。音楽以外では、アマチュア無線クラブに入っていました。実際に無線をやっているんじゃなくて、今でいうICですよね。基盤を作ってそこに埋め込んでいく。ラジオっていうと分かりやすいと思うんですけど。友達で一人すごいブレーンがいたんです。彼が設計をして、僕らは肉体労働を担当。それでコンピューターを作ったんです。NECが家庭用のコンピューターPC8001っていうのを1980年か81年に初めて出したんですけど、その5年前くらいですよね。それがね、箱の高さが1メートル半くらいあって、それが電源(笑)。で、この壁一面を占めるようにいろんな基盤を作ってはめ込んでいって、やっとできたのが1+1=2(笑)。



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