小牧 哲 院長の独自取材記事
あさぎり頭痛・脳神経クリニック
(北諸県郡三股町/三股駅)
最終更新日:2026/09/08
宮崎県西部に位置する三股町。JR日豊本線・三股駅から車で約7分の場所に「あさぎり頭痛・脳神経クリニック」はある。院長を務める小牧哲先生は、久留米大学医学部を卒業後、同大学で脳神経外科の医師として研鑽を積んできたスペシャリスト。親孝行をしたいと地元・三股町に戻ることを決意し、2026年4月、父の診療所のそばに開業した。脳神経外科として、地域住民の強い味方となっている。長年培った専門知識を生かし、脳梗塞や脳卒中はもとより、頭痛やスポーツ脳振とうといった若い世代に多い疾病の診療にも対応。「患者さんを支えるだけでなく、病気の芽を摘むために尽力していきたい」と、やわらかな口調で語る小牧院長に、医療への思いを尋ねた。
(取材日2026年4月23日)
大学病院で研鑽を重ねる中、親孝行のために地元へ帰郷
医師をめざしたきっかけをお聞かせください。

実は、小さい頃は医師という仕事が嫌いでした。開業医の父は常に忙しくしていて、運動会や習い事の大会にも来てくれないし、家族旅行に行っても呼び出されて途中で切り上げることもあって寂しい思いをしたからです。そこで、自分は医師ではない仕事に就くつもりで工学部の受験を考えていたところ父に知られ、「とりあえず医学部も受けてみて、落ちたら好きなようにしろ。ただし試験は手を抜くな」と言われたのです。自分の後を継いでほしかったのかどうか、そのような話はしませんでしたが、受験してみたところ合格したため、医学部に通い始めました。講義を聴く中で人体生理の面白さを知り、医師という仕事に興味を持つようになりました。脳神経外科を選んだのは、どうせやるなら一番難しい科にしようと思ったからです。素晴らしい恩師にも恵まれました。当時の恩師には、指導者としての責任やスタンスを学びましたし、人生で一番尊敬しています。
その後は脳神経外科の医師として研鑽を積まれたのですね。
脳神経外科での勤務はとてもハードでした。一晩中アラームが鳴っており、急患も来ます。病院に9連泊したこともありました。宿泊用の部屋やベッドがあるわけではないので、ソファーで寝ていましたね。そのような生活が7年間ほど続きました。もちろんこれは当時の話なので、今は改善されています。その後は日本脳神経外科学会脳神経外科専門医の資格を取り、専門分野を決める際に当時の教授から「悪性の腫瘍をやりなさい」と勧められたのです。そこで3年半ほど大学院で悪性脳腫瘍の研究をして医学博士号を取得し、そこからは脳腫瘍を専門に手術なども手がけてきました。
どのようなきっかけで開業を考えたのですか?

ずっと福岡県久留米市の病院に勤務していましたが、宮崎に帰郷しようと思い始めたのは、親が年を取ってきたと感じたからです。その時は後を継ぐということまでは考えておらず、これまで「お前を医師にして良かった」と思ってもらえるようなことをしていませんでしたし、親孝行の意味で週に1回くらい親の医院を手伝ったほうが良いかな、という考えでした。勤務先には引き留められましたが、帰ると決めてからの3年間で後輩に自分の知識や技術をすべて教え、今まで取ってきたデータも全部渡して、自分がいなくても大丈夫という状態にしてから、久留米を後にしました。宮崎に戻ってからは、この地域の医療を支えているのがどのような方々なのか知りたいと考え、大学病院と地元の救急病院に勤務して勉強しました。そして3年後に開業することとなりました。
脳梗塞や脳卒中、頭痛やスポーツ脳振とうにも対応
どのような診療に対応していますか?

当院には僕の専門である脳梗塞や脳出血、脳卒中をはじめ、物忘れなどの症状で来る方もいます。主訴は頭痛で、最近はお子さんの頭痛も多いですね。この地域には頭痛を専門とする医師がほとんどいないのですが、僕自身が頭痛持ちで患者さんの気持ちがわかるので、頭痛診療の必要性を感じています。年齢層は7歳から100歳までと幅広く、一番多い層は60~70代ですが、若い世代の患者さんを支えることにも注力したいと思っています。例えば、スポーツ脳振とうは、治療だけでなく競技への復帰まで、親御さんと相談しながらきちんとケアしていきたいですね。また、首や腰にしびれや痛みがあって生活がうまくいかないといった脊髄外科の診療では、薬物療法からリハビリテーションまでやってみて、改善が見られない場合は提携病院で僕自身が執刀するという対応もしています。現在は父も一緒に診療しているので、父が担当する外科と内科の患者さんも多いですね。
開業にあたり、建物は新築されたそうですね。
当院の患者さんは、車いすの方が多いのです。父の頃の医院は昔の造りでしたから、車いすでのスムーズな動線確保やMRIの機械の配置の都合で、すぐそばに建て替えることにしました。もともと畑だった場所に建物を新築し、父の医院があった場所は駐車場にしました。なるべく患者さんにリラックスしていただけるよう、内装の色に白は使わずやわらかな色調にしました。白は緊張する色といわれ、緊張することで血圧が上がってしまうので僕自身も診察時に白衣は着ません。また、車いすで院内を一直線で動けるように、動線もこだわりました。小さなお子さんでも対応可能なMRIの機器を導入して、きちんと検査できる体制を整えています。お子さんを無理やり押さえつけて検査をするのはかわいそうなので、なるべく短時間で撮れるようにと考えました。
診察する上で心がけていることはありますか?

自分の病気について、患者さんに納得していただけるように心がけています。目で情報を見て理解してもらえることが大切だと思いますので、検査内容については説明用紙も印刷してお渡ししています。その上で「ここが悪いので、こういうことをしてはいけません」と、納得していただけるようにご説明しています。また、頭痛の治療方針としては、患者さんと一緒に治療法を決めることを重視しています。医師から治療法を言い渡すのではなく、治療の目的・費用・メリット・デメリットを含め治療法をすべて提示した上で、患者さんと一緒に「こうしよう」というふうに決めていきます。これはShared Decision Making(共同意思決定)という考え方に基づいており、頭痛診療では基本とされている診察の方法です。
病気の治療だけでなく、病気の芽を摘むための診療を
患者さんとはどのようなスタンスで向き合っていますか?

研修医時代の話ですが、末期がんの患者さんが危篤状態になり、指導担当の先生と3日間、病院に泊まり込んだことがありました。先生とはいろいろな話をしました。患者さんの若い頃のお話までしてくださって、最期は一緒に看取ったのですが、患者さんに対する今の僕のスタンスは、この経験によって決まりました。それ以来「患者さんの尊厳を守る」「家族背景も含めてきちんと患者さんを診る」ということを大切にしています。特に悪性の病気の患者さんが亡くなった後、ご家族は必ず僕に「ありがとうございました」と言ってくださったのです。それは複雑な気持ちでもありますが、それだけ僕が担当したということに対して「良かった」と思っていてくださるのかな、と受け止めています。
健康でいるためのアドバイスや、ご自身が心がけていることはありますか?
アドバイスをするとしたら、生きがいを持って楽しく生きていただきたいということです。生きがいを持ってやりたいことをやっている人は、病気になっても回復に向かうスピードが速いように思います。僕自身が健康でいるために実践しているのは、お酒を飲まないことと完全禁煙ですね。あと、60~70℃以上の熱い物を毎日摂取していると食道がんのリスクがあるので、熱い物を飲まなくなりました。ソーセージや加工肉も食べなくなりましたね。学生時代はサッカーとラグビーをやっていましたが、最近は子どもがバスケットボールを始めたので、一緒にトレーニングして体を動かしています。
読者にメッセージをお願いいたします。

頭の病気になった人たちはもちろんですが、病気になる前の芽を摘む、頭の病気になりたくない方にも気軽に来ていただける医院をめざしていきたいと思っています。例えば、脳卒中になるもともとの原因は生活習慣病ですので、ちょっと血圧が高いというようなことでも構いません。専門的な診療が必要だと判断した場合は、きちんと専門の医師と連携を取りますので、どのようなことでもご相談いただけたらと思います。そして「あさぎりに来たら何とかなる」と言っていただけるように、頑張っていきたいですね。

