矢ヶ部 伸也 院長の独自取材記事
矢ヶ部医院
(佐賀市/佐賀駅)
最終更新日:2026/07/22
佐賀駅から車で約10分の住宅街に「矢ヶ部医院」はある。1976年の開業から半世紀以上、医院前のバス停にその名がつくほど地域に根を下ろしてきた。2020年に建て替えた洋館のような外観が目を引く同院の敷地内には、デイサービスセンターも併設されている。2010年に父から同院を継承した矢ヶ部伸也院長は、消化器外科の医師として大学病院などで研鑽を積んだ後、在宅医療に力を注いできた。病院勤務医時代、病棟で「家に帰りたい」と願い続ける患者の姿に心を動かされたことが、在宅医療へ向かう原点になったという。明朗な話しぶりの中に患者への深い思いをにじませる矢ヶ部院長に、在宅医療にかける思いや診療で大切にしていることを聞いた。
(取材日2026年6月16日)
「家に帰りたい」の声に導かれ、在宅医療の道へ
まずはクリニックの歴史について教えてください。

当院は1976年に父が開業したクリニックで、私が継承したのは2010年になります。父はもともと外科医でしたが、久留米大学で麻酔科の立ち上げに携わった後、佐賀県立病院への赴任を経て、出身地の佐賀で開業しました。開業当初は19床の有床診療所で、入院にも対応しましたが、約30年前からは外来中心の診療体制に移行しています。2020年には建物を建て替え、新たな環境で診療にあたっています。内科・外科を標榜し、敷地内にはデイサービスセンターも併設しています。父の代から往診にも取り組んでおり、半世紀にわたって地域医療を担ってまいりました。
先生が医師を志し、外科へ進まれたきっかけを教えてください。
父が医師として地域の方々を診る姿を間近で見て育ちましたので、自然と自分も医療の道を志すようになりました。外科を選んだきっかけは、いとこの外科医師が国立がん研究センターに国内留学していた時期に、見学に訪れたことです。現場で活躍する先生方と交流する中で、外科という世界に惹かれました。そして佐賀医科大学を卒業した後、消化器外科を専攻し、胃がんや大腸がん、急性虫垂炎、胆嚢炎、鼠径ヘルニアなど、手術が必要なさまざまな疾患の治療に携わりました。大学院での研究も含めて研鑽を積んだ日々が、現在の診療を支える確かな土台になっていると感じています。
そこから在宅医療に力を入れるようになった経緯をお聞かせください。

消化器外科ではがんの手術が中心でしたが、懸命に手術しても再発してしまう方がおられる現実に向き合う中で、手術だけでは患者さんを支えきれないと感じるようになりました。同じ頃、病棟で療養する患者さんが「家に帰りたい」と繰り返す姿を目の当たりにしまして……。とりわけ忘れられないのが、ある病院で担当した乳がんの患者さんです。骨転移で入院安静が続く中、毎日「帰りたい」とおっしゃっていました。一度だけ外泊が認められた際に見せてくれた笑顔は、入院中たった一度きりのものでしたね。自宅で過ごしたい方を医療面から支えたいという思いの原点がここにあります。継承後は在宅医療を本格的に開始し、地域の在宅医療推進にも携わってきました。外科で培った病態の把握力は、在宅の現場でも役立っています。
患者が住み慣れた場所で納得のいく医療を届けたい
在宅医療では具体的にどのようなことをされるのですか。

訪問の頻度は患者さんの状態に合わせて柔軟に調整しています。体調が落ち着いている方は月に1回、がんなどの病気を抱えている方は月に2回の定期訪問が基本的な目安です。状態に応じて毎週伺うこともありますし、終末期のケアが必要な場合には毎日足を運ぶケースもあります。もちろん「今日は具合が悪い」というご連絡をいただければ、臨時の往診にも対応いたします。ご自宅で行う医療行為は多岐にわたります。点滴や酸素投与をはじめ、痛みを和らげるために薬を機械で持続的に投与する注射や、中心静脈から24時間かけて栄養を届ける点滴、さらには輸血やドレーンの管理なども可能です。お体の状態確認やお薬の調整からお看取りまで、住み慣れたご自宅で一貫してお支えできる体制を整えています。
在宅で対応できる医療の幅は、以前と比べていかがですか。
「家でできない治療は、かなり減ってきた」というのが率直な実感ですね。ご自宅でエコー検査や心電図検査を行うことも可能です。最近は「普段在宅、時々入院」という発想が提唱されており、文字どおり、在宅療養を基本としつつ、必要なときだけ入院するというのが今の医療の方向性です。また、制度面や機器面でも大きな進歩があります。現在当院では対応していませんが、参考になればと思いお話しすると、例えば心不全に対し、心臓の働きを支える薬剤を持続的に点滴する治療が在宅でも認められるようになりました。ポータブルエックス線機器や、検査データを遠隔で医療機関に送れるモニタリング装置なども登場しており、自宅で受けられる医療の幅は着実に広がっています。
診療にあたって心がけていることを教えてください。

患者さんご自身に、主体的に病気のことを考えていただきたいという思いが根底にあります。「この病気だからこの薬を飲んでください」ではなく、「こういう治療もあります」「こんな選択肢もありますよ」とお話しして、ご本人が納得された上で治療に向かっていただくことを大切にしています。例えば高血圧の場合、薬を飲まないという選択もあり得ますが、その先に脳梗塞や心不全といったリスクがあることはきちんとお伝えしなければなりません。わかった上であえて選ぶのと、知らないまま選ぶのとでは意味がまったく異なります。それをお伝えするのが医療者としての責務だと考えています。患者さんやご家族の暮らしあっての診療ですから、その結果として生活がより豊かになるような医療をいつも心がけています。
予防から看取りまで、地域とともに歩むかかりつけ医
外来診療では、どのような患者さんが来られますか。

外来には、高血圧や糖尿病といった慢性疾患の管理から、急な体調不良のご相談まで、さまざまな患者さんが来られます。「おなかが痛いけれど、何科を受診すればいいのかわからない」。そういったときこそかかりつけ医を頼ってください。自分で対応できることはその場で診察し、専門性の高い治療が必要な場合には適切な医療機関をご紹介します。外科の経験があるぶん、「これは急いだほうがいい」「様子を見て大丈夫」といった見立ては一通りできますので、困ったときの窓口として気軽にご相談ください。在宅医療では訪問看護ステーションやケアマネジャーとの方針共有も大切にしており、同じ考えのもとチームとして連携することが、患者さんが安心できる療養につながると考えています。
今後、力を入れていきたいことはありますか。
現在の診療の半分以上は、実は予防医学にあたります。糖尿病や高血圧の管理、がんの検診など、病気がこれ以上悪化しないように、あるいは病気になる前の段階で手を打つことがとても重要なのです。例えば、大腸がん検診の受診率はアメリカでは約60%ですが、日本は50%にも達していません。死亡率で見ても、日本は先進国の中で依然として高い水準です。当院では胃内視鏡や大腸内視鏡の検査を週に1回、専門の医師が行っています。今後は市民講座や動画サイトなどを活用して、予防のための知識をもっと広く届けていきたいと考えています。医療者の間では常識でも、一般の方にはまだ届いていない情報がたくさんあります。「自分の体をどうやって守るか」に関心を持つきっかけをつくっていければと思っています。
最後に、地域の方々へメッセージをお願いします。

かつては一分一秒でも命を延ばすことが医療の使命とされた時代がありました。しかし今は、その方自身の価値観や生き方を大切にする「尊厳を守る医療」へと転換が進んでいます。延命処置を望まない方には、意思を尊重して穏やかな時間を過ごしていただくことも大切な選択です。ただし、その前提として、ご本人がどう生きたいのか、何を大切にしているのかを知ることが欠かせません。在宅医療の現場では、患者さんやご家族と近い距離で関わる中で、その方の思いや人生観にふれる機会が数多くあります。病院の医療では見えにくいけれど、実はとても大切なことです。こうした尊厳を守る医療のあり方は、医療者だけで答えが出るものではありません。地域の皆さんと一緒に考えていきたいと、日々の診療を通じて感じています。

