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武石 卓 院長の独自取材記事

武石クリニック

(福岡市早良区/西新駅)

最終更新日:2022/01/17

武石卓院長 武石クリニック main

地下鉄西新駅よりオレンジ通りを天神方向へ徒歩5分の場所に位置する「武石クリニック」。1993年に武石卓院長が開院した、白い三角屋根が目印のクリニックだ。診療はアレルギー科を軸に、小児科、呼吸器内科に対応。福岡のみならず、遠方からも乳児から高齢者まで、アレルギー疾患などで悩む患者が訪れるそう。武石院長は日本小児科学会小児科専門医と、日本アレルギー学会アレルギー専門医の資格に加え、ハーバード大学への留学経験もある経験豊富な医師。プライベートでは四つ子を育てた父でもあり、自身の子どもが重症のアトピー性皮膚炎だったことから、その経験が診療にもつながったという。今取材では、「実に楽しかったですよ」と子育てを振り返る武石院長の医師人生や、診療方針などについて聞いた。

(取材日2020年11月14日/更新日2022年1月17日)

開院した年に四つ子が誕生。2人がアトピー性皮膚炎に

先生は、クリニックの院長と並行して漢方薬の老舗企業の社長も務めておられるとお聞きしました。

武石卓院長 武石クリニック1

はい。もともと実家が漢方薬を作っている会社をやっていましてね。今は創業150年ですから歴史が長く、学生の頃は薬剤師にという話もありました。しかし、自分としては薬剤師よりも医師になりたい気持ちが強かったんですね。それは、小学生の頃に見た野口英世の映画が最初のきっかけだったと思います。その後は政治家などの夢もありましたが、自分は長男ですし、地元に残ろうと思いまして。そのようなことから、家業も継いで、同時に全身を診ることのできる医師になりたいと思い、会社のすぐ裏に開院しました。とはいえ、会社には父もいましたので、すぐに継承したわけではなく、他界してからです。

開院当時には、さまざまな出来事があったそうですね。

ここを開院したのが1993年ですから、早いもので28年になります。開院した年に、うちの子たちが生まれたので、子どもも同じ年になりました。実は当時、もう子どもは授からないんじゃないかと思っていたんですね。留学していた2年間に妻が流産もしていたので、本格的に不妊治療するために妻と日本へ帰ってきたんです。その後3年近く不妊治療を行いまして、開院前にこれで最後にしようと話していました。すると、開院して間もなく妻が「妊娠したかもしれない」と言いましてね。さっそく病院に行くと、「三つ子です」と。それから2週間後にまた診察に行った妻にどうだったか様子を聞くと、ニコッと笑うだけで何も言わないんですよ。そして何げなくバッグの中に目を向けたら、母子手帳が4冊あって(笑)。

ということは、三つ子ではなく、四つ子だったと。

武石卓院長 武石クリニック2

そうなんです。一人だけ隅のほうに隠れていたみたいで(笑)。それからは、新生児用の人工呼吸器に対応した施設のベッドの予約をしたり、いつ生まれても処置できるよういろいろ備えていましたが、結局36週くらいまでもったんです。一番大きい子は2200gくらいあり、酸素不足なども懸念されましたが無事誕生しました。ですが、そのうち2人が生まれて間もなく重症のアトピー性皮膚炎を発症したんです。そういったこともあり、子どもたちが誕生してから2年くらいは2時間以上続けて寝ることができませんでした。その頃、患者さんもアトピー性皮膚炎で悩まれている方が多く、お子さんを連れて来られる方もたくさんいましたので、親御さんのお気持ちもずいぶんと理解することができましたね。

アレルギー科を軸に小児科と呼吸器内科の診療にも注力

お子さんに対して、院長はどのような治療スタイルで臨まれたのですか。

武石卓院長 武石クリニック3

なるべくステロイドを使用しない治療です。ステロイドを希望しない患者さんが多かったことが一番の理由で、その方たちがステロイドを使わずにどのような経過を経ていったかもわかっていましたから、生まれて半年くらいからアトピー性皮膚炎がひどくなったうちの子たちにも、同じようにステロイドを使わずにやってみようと。ところが、泣きたくなるくらい大変でした。背中をさすると寝息が聞こえてくるのですが、それをやめると起きてしまう……この繰り返しなんです。だから診療はやりきりましたが、ほんのわずかな時間ができると寝てしまい、周りが気を失ったと思うくらいでした。こんなことでは、この子たちは幼稚園に通えないと思いましたので、昔私が使っていた薬を使用することにしたんです。

それはどういった経緯で使用されることになったのでしょう。

正直、ステロイドではないさまざまな薬を、それはもうたくさん試したんですね。漢方から非ステロイド系の消炎剤まで。そんな中、私自身小さい頃アトピー性皮膚炎だったことから、湿疹が出た時に塗っていた薬を思い出しましてね。うちの子には幸いこの薬が合いました。だからといって誰にでも適用できるものではないのですが、ただ、自分の子どもで経験したことをクリニックの診療に生かすことは間違いなくできました。アトピー性皮膚炎には、24時間のうちこの時間にかゆくなるといったおおよそのサイクルがあり、かゆみの程度によって対処を変えます。例えばひどくかゆがっている時は、その箇所ではなく背骨を強くさすってあげると寝やすくなるなど。それは経験しなければ気づかなかったことですから。

そのアドバイスで救われた方もたくさんおられるのでしょうね。

武石卓院長 武石クリニック4

そうかもしれません。本来私は小児科の医師であり、アレルギー科以外に呼吸器内科も診療していますので、お子さんを連れて来られている親御さんやおじいちゃん、おばあちゃんに咳が止まらないなどの症状がある方もおられ、一緒に通院されるケースがだんだん増えていったんです。そのようなことから、小児科が4割くらいで、患者さんの半数以上は成人の方になりました。今はこれまでの経緯からアレルギー科を軸に、小児科、呼吸器内科の診療をしています。

やる気にしてくれる患者との出会いが幸せの重みになる

そもそも、小児科とアレルギーを専門分野に選ばれた理由を教えてください。

武石卓院長 武石クリニック5

まず小児科は全身を診ることができるという点ですね。それと子どもが好きだったことが大きかったと思います。全身を診るという意味ではアレルギーも同じで、もともと興味がありましたから、勤務医時代も勉強のために入院されている患者さんすべて、研修医と一緒に回りました。その後も子どもやアレルギーだけでなく、さまざまなタイプの喘息の患者さんも診させてもらいましたので、今の診療にも生かすことができています。

そして、ご自身のお子さんの経験も診療に生かされているのですね。

開院した年に子どもたちが生まれ、その後すぐにアトピーを発症してという、親としては胸が痛むこともありましたが、私の診療には非常に貢献してくれましたね。患者さんや医師になりたい方にはよく話をするのですが、医師をやる気にさせてくれる患者さんが必ずいます。そういう方とどのくらい出会えるか。その数が医師としての幸せの重みだと思っています。教科書には載っていないことをたくさん教えてくれますから。ガイドラインは自分の専門外の分野で参考にするには良いと思いますが、特にアレルギーに関しては、書いてあるとおりにはいかないことばかりです。それだけ、さまざまな症状の患者さんに出会ってきましたし、多くのことを学ばせてもらいました。

悩んでいる方は今もまだたくさんおられると思います。最後にメッセージをいただけますか。

武石卓院長 武石クリニック6

私は治療を行う際、基本的にアトピー性皮膚炎においては、ステロイドは使っていません。しかし、ステロイドを使わなくても楽に治ると思わないでいただきたいということだけはお伝えしたいです。病気の改善というのは、私の力というより患者さんの計り知れない努力があったからこその結果だと考えています。今も遠方からたくさんの患者さんが来られますが、皆さんそれぞれ努力されていますし、私をやる気にしてくださいます。これまで本当にさまざまなことがありました。おかげで4人の子どもたちもクリニックと同じ歳になり、3人は、教育、福祉、薬学の道へとそれぞれ進み、1人は医師の国家試験を受け、無事に合格しました。今後は患者さんや子どもたちが教えてくれたことを、他の患者さんや息子たち全員に還元しつつ、体力が続く限り悩んでおられる方たちのお役に少しでも立てたらと思っています。

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