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吉馴 健太郎 理事長の独自取材記事

吉馴医院

(丸亀市/栗熊駅)

最終更新日:2024/08/07

吉馴健太郎理事長 吉馴医院 main

北には飯野山がそびえ、西には土器川が流れ、夏になれば特産の桃の香りが漂う丸亀市飯山町。「吉馴医院」は、この町で内視鏡検査や生活習慣病の管理を中心に幅広く診療を続ける、地域密着型診療所だ。かつては耳鼻咽喉科や整形外科などを標榜し、代替わりごとに色を変えながら、地域に必要な医療サービスを届けてきた。理事長の吉馴健太郎(よしなれ・けんたろう)先生は、同院の4代目。東京医科大学を卒業後、慶應義塾大学病院での勤務を経て、父の後を継いでいる。帰郷後は胃・大腸内視鏡検査の受診率向上につなげようと、地域でも早くから鎮静剤の使用を開始。大規模病院と同クラスの内視鏡機器や、1次医療機関としては珍しい内視鏡洗浄消毒器も導入している。朗らかな笑顔を絶やさずに、医業に邁進する吉馴理事長の医師人生に迫った。

(取材日2024年6月13日)

消化器疾患から生活習慣病まで幅広く診療

4代続く、地域に根差した診療所だとお聞きしました。

吉馴健太郎理事長 吉馴医院1

当院を開業した曽祖父は耳鼻咽喉科、祖父は外科、父は麻酔科・整形外科。そして私は消化器外科・内科を専門にしています。それぞれの時代によって診療内容が変わるスタイルでしたから、私も「専門性は好きなように選べばいい」と言われていました。現在は胃・大腸の内視鏡検査のほか、生活習慣病の治療管理も診療の柱となっています。内視鏡検査に関しては、当院で検査を受けた方からのご紹介で、高松市や徳島県の三好市からも患者さんが来られていますね。そのほかの主訴は幅広く、例を挙げれば熱中症や膀胱炎、また最近では、帯状疱疹の方もお見えでした。新型コロナウイルス感染症も再び感染が広まりつつありますので、防護服を着用して対応しています。

先生が医師をめざしたのは、お父さまの影響からですか?

そうですね。私が子どもの頃、飯山町の医療機関は片手で数えられるほどしかありませんでした。ですので、どこへ行っても「吉馴の坊ちゃんは医師になるんですよね?」と言われながら育ったわけです。中高一貫の進学校に進みましたが、私は周りの同級生のように塾へ通っていたわけでも、英会話を習っていたわけでもなく、勉強に対しては後ろ向きな時期が多かったです。医師をめざすと決めたのは、高校2年生の終わり頃でしょうか。当時はこの医院に入院施設があり、退院する患者さんやそのご家族に手を握られながら、父が感謝の言葉を伝えられる様子を偶然、目にしたんです。この時に改めて、「医師とは良い仕事なのだな」、と。そこからは猛勉強の末、東京医科大学に進学しました。

大学時代には、交通事故で大けがをされたとか……。

吉馴健太郎理事長 吉馴医院2

大学2年生の頃、バイクに乗って大学から帰ろうとしている途中で、信号を無視したタクシーにはねられました。右腕の開放性脱臼複雑骨折で、最初は切断も示唆されましたが、3度の手術によってどうにか切断は回避。しかし入院日数も長くなり、出席日数が足りなくなり留年となりました。当然、所属していたアイスホッケー部の活動もできなくなりました。ただ私は、事故に遭ったからあれができない、これができないと言うのは嫌だったんですね。まだ専門性を決める前でしたが、その選択肢が絞られるのも嫌だと思っていました。部活の同級生に励まされながら全力でリハビリテーションに取り組み、現在では日常生活が送れる状態まで回復しています。当院で診療を始めた頃はよく、「私は医師よりも、患者の時期のほうが長いんです」とお話ししていました。自分自身がつらい思いをしたからこそ、患者さんの立場に立って考えることができると思っています。

鎮静剤を用いた内視鏡検査を早期から提供

継承されるまでの経緯を教えてください。

吉馴健太郎理事長 吉馴医院3

いずれは、生まれ育ったこの町に戻るつもりでした。町の医療機関は少しずつ増えていったものの、内視鏡検査を行う機関が少なかったことから、大学卒業後は慶應義塾大学病院の一般・消化器外科、大腸班に所属。大学病院には、およそ6年間勤務しました。2003年には、隣で運営する介護老人保健施設の施設管理者が退職することになり、父から相談を受けて帰郷。私は当院の院長に、父は理事長に就任しました。標榜科目も変更し、内装は大々的にリフォームをして、新たに内視鏡の検査機器などを導入。スタッフはそのままですので、私より長く勤めている方もいらっしゃいます。父は麻酔科や整形外科が専門でしたが、かかりつけ医として幅広い疾患に対応していましたので、継承後もいろいろと助言を受けていました。2014年からは、私が理事長も兼任しています。

こちらでは、どのような内視鏡検査を行われていますか?

継承当初から、鎮静剤を用いた内視鏡検査、セデーションを提供してきました。私が帰郷した頃の香川県は、内視鏡検査の受診率が全国的に見ても低く、「以前受けた検査がつらかったので、二度と受けたくない」などと拒否反応を示される方が非常に多かったんです。何とかして検査を受けていただきたい、検査を身近なものにしていただきたい。そう考えて、当時の県内ではまだ珍しかった、鎮静剤を取り入れるようになりました。最初の頃は月に数件の検査数でしたが、今では多くの方々に受診いただけるようになっています。中には、「朝ごはん食べてないからできる?」などと言いながら来院される方もいらっしゃいますよ。また私自身は奇数週の木曜の午後に、高松赤十字病院でも大腸内視鏡検査を行っています。大規模病院だからこそ得られる知識や経験、情報がありますし、関係性が構築できていることで、患者さんのご紹介などもスムーズだと感じます。

内視鏡検査の設備にもこだわっているそうですね。

吉馴健太郎理事長 吉馴医院4

一番こだわっているのは、洗浄です。「自分が患者さんの立場だったら」と考えて、グレードにこだわった内視鏡洗浄消毒器を設置しました。ランニングコストのかかるものではありますが、これは私のプライドですね。「ここまでやっています」と胸を張って言えるだけの感染症対策を取っています。さらに内視鏡機器については、大規模病院と遜色ないものを導入しました。東京で受けた検査では病変が見つかって、こちらでは見つからないようなことがあれば、患者さんの信頼を裏切ることになりますから。機器は随時、新しいものを導入していて、現在使用しているものは4台目になります。

気になる症状があれば躊躇せず受診を

日々の診療で大切にされていることは?

吉馴健太郎理事長 吉馴医院5

自分の家族でも任せられるような、そんな医療を提供するということでしょうか。施設のスタッフにも、「自分の親を預けられる施設にしましょう」と伝えています。あとは誠意を持って、人生の最終段階には「この先生で良かった」と感じていただけるような対応を心がけています。東京から帰ったばかりの頃は、患者さんの健康に対する意識の違いに戸惑い、悩む日々を送りました。薬がなくなっても2、3ヵ月来院しない方、タバコを大量に吸う方もたくさんいらっしゃいましたが、だからと言って、厳しく指導すれば良いというものでもありません。自己満足の医療にならないことを意識してからは、少しずつ患者さんも変化していったように思います。特に、電子カルテの導入以降は折れ線グラフなどで血圧の変化が一目瞭然となりましたので、患者さんも納得して治療に取り組みやすくなったと感じますよ。

先生は、チーム医療も重視されています。

私が働いていた当時、慶應義塾大学病院の外科医は人数が限られていました。外科手術だけでなく、数十人単位の採血なども担当していたので、非常にめまぐるしい日々。お互いが体調不良の時も助け合うことで、強い絆が生まれました。当時の同僚とは、20年以上たった今でも交流が続いています。この時の経験から学んだのは、医療はチームで行うものだということです。医師も看護師も薬剤師も、医療従事者は皆対等。互いに仲良くがモットーです。

読者へのメッセージをお願いします。

吉馴健太郎理事長 吉馴医院6

受診を避けている方、検査の間隔が空いてしまっている方のことが心配です。無理に勧めることはできませんので、難しいところではありますが、検査を受けずに後悔する方を一人でも減らしたいと願っています。そのためには内視鏡検査のハードルを下げて、より身近なものにしなければなりません。潰瘍性大腸炎などのように、若い方でも発症する消化器疾患もあります。当院の中高生の患者さんの中には、「何ヵ月も前から下血があったけれど、誰にも相談できなかったし、怖くて来られなかった」という方もいらっしゃいました。気になる症状がある方は一人で悩まず、まずは早めに受診していただきたいと思います。

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