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阪上 博史 院長の独自取材記事

阪上耳鼻咽喉科

(茨木市/茨木駅)

最終更新日:2021/10/12

阪上博史院長 阪上耳鼻咽喉科 main

1951年に開業した「阪上耳鼻咽喉科」はJR茨木駅東口から徒歩3分ほどの住宅街にある。阪上博史院長は父の後を継ぎ、2代目として約35年にわたって診察を続けてきた。心がけているのは「まず患者さんとコミュニケーションをとること」。信頼関係の中で、患者の希望と医師としての見解のバランスを取りながら、患者に合った治療方法を探る。来年には70歳となる団塊の世代で、還暦を越えてから「いろいろなものへの執着心も薄れ、さらに患者目線での治療を追求するようになった」とも語る。長男を次期院長に迎えることも決めて、達観した温かみにあふれる阪上院長から、がんを見逃さないための姿勢や「良い医師の見つけ方」などを聞いた。

(取材日2018年10月30日)

アレルギー疾患を専門に、研鑽を積む

医師をめざすようになった動機を教えてください。

阪上博史院長 阪上耳鼻咽喉科1

父の希望です。父は1951年に耳鼻咽喉科医院を開業し、10年ほどして、そこから50メートルほど離れた、現在の場所に新築移転してきました。物心ついた時から「医院を継いでくれ」と言われていたのです。ですから耳鼻咽喉科を選んだのも、そんな自然の成り行きで、気持ちの上での抵抗もなかったですね。地元の大阪府立茨木高等学校を卒業して京都府立医科大学に進みましたが、研究は好きではなかったので、医学部に入ってからも大学に残るよりは開業医のほうが向いているという思いもありました。5歳下の弟も耳鼻咽喉科の医師なのですが、彼は私と違って研究が好きなので、大阪大学を出て兵庫医科大学で教授として大学病院でも診療しています。父方の祖父は大阪市内で泌尿器科医院を開業していましたので、家系の中で医師としては私で3代目になりますね。

大学時代はどのような生活を?

私は1949年生まれで「団塊の世代」でしたから、大学入学当時は学生紛争が盛んでした。学生の街・京都は特にそうだった気がします。私が通っていた京都府立医科大学がある辺りも騒然としていましたね。4月に入学しましたが、自宅待機が続き、授業が始まったのは10月。その一方で、教授たちがまだまだ封建的で、怖かったですね。学生は、白いものでも教授が「黒」と言えば「黒」と言わないといけないような雰囲気でした(笑)。中学高校では特にスポーツはしていませんでしたが、大学ではサッカー部に入ってポジションはサイドハーフ。タッチライン側にいるミッドフィルダーですね。

耳鼻咽喉科での専門は?

阪上博史院長 阪上耳鼻咽喉科2

アレルギーです。アレルギー性鼻炎や花粉症などですね。特に関心があったというよりは先輩から「人がいないのでやってくれ」と言われて引き受けたのですが、これが難しい。正直「しまった」と思ったほどです。当時は今ほど、アレルギーについて解明が進んでいませんでした。スギ花粉症などの根治療法といわれる舌下免疫療法もなかったのです。ですから診療しながら情報を集めました。論文を読んだり講演会に行ったりしましたが、一番ホットな情報が入ってくるのは会食の席でしたね。大学や大病院の先生たちと食事をして先進の治療法などを仕入れて診察に生かしてきました。

患者の希望を優先し「我」を張らず

この医院で診察を始めたのはいつからですか?

阪上博史院長 阪上耳鼻咽喉科3

33歳になった頃でした。京都府医科大学附属病院の後、国立舞鶴病院(現・国立病院機構舞鶴医療センター)や京都第一赤十字病院で勤めてからです。継ぐことは決めていたのですが、父が体調を崩したこともあって、思っていたより早まり、開業医になるには少々若い年齢でした。父は私が来てから、ちょっと体調が戻ったので2~3年ほどは一緒に診察しました。自分が生まれ育った場所ですし、患者さんには3代4代と続けて来院されているご家族もいて、昔から知っている方が多かったので、診療もスムーズでしたね。基本的には手術をしないので、精神的な負担は軽くなった気がしました。しかし、チームとして対応する大学病院などと違って、こちらはすべてが自分の責任ですからプレッシャーはありました。

診察の際に心がけていることは?

患者さんとコミュニケーションを取ることです。まず笑顔で「こんにちは」と明るくあいさつするところから始まります。症状だけでなくいろいろな角度から話を伺い、ご本人の治療に対する考え方も理解したいですから、できる限りお話を聞きます。とはいえ、こちらが迎合するのではなく、診察の結果と対処についての私の考えもしっかりお伝えします。大学病院での治療が必要な場合は、ご希望の病院を紹介します。主にがんの疑いがある場合ですね。患者さん全体の1%もいないのですが、それをしっかりと見分けるのが開業医の重要な仕事だと考えています。なんでも自分で治そうとして「我(が)」を張ることがないよう気を配っていますので、突発性難聴などの疑いがある場合も大規模病院でも検査を受けてもらって先方の所見と合わせて判断しています。

患者層を教えてください。

阪上博史院長 阪上耳鼻咽喉科4

地元の方がほとんどで、赤ちゃんから100歳のお年寄りまで幅広くいらっしゃいます。そのうち小学生までの子どもが3分の1強で一番多いでしょうか。それでも少子化で、数としては一昔前よりは減りました。最近、目立つのは鼻炎や喘息などを含めたアレルギー疾患ですね。食生活や環境など社会の変化を反映しているのでしょうね。共働きが増えて親御さんが仕事を終えてから、お子さんを連れてこられるケースが増えました。以前なら子どもの患者は午後5時くらいまでには来院していたのに今は午後6時すぎというケースが珍しくなくなりました。保育園で薬を飲ませてくれないので服用は朝・晩の2回に、という希望や、病児保育を利用する際に必要な薬の説明や投薬の方法を伝える書面の作成が増えており、そんな時代の変化にも柔軟に対応しています。

患者目線の診療で、柔軟な対応を

診察も社会の変化の影響を受けているのですね。

阪上博史院長 阪上耳鼻咽喉科5

少子化の影響なのか、一人の子どもに手間をかける密度が濃くなっているのでしょうか、親御さんの教育が色濃く子どもに反映している気がします。ですから保護者の病気への姿勢がしっかりしていて、ちゃんと薬を服用したり、養生したりする子は回復のスピードも違うと感じます。その差をどうするか……。多様な患者さんに応じて治療も柔軟に対応しないといけなくなっているわけです。それを負担に感じたこともありましたが、60歳を越えた頃から、世俗的ないろいろなものへの執着がなくなってきて「楽しく仕事ができればいい」という姿勢になってきたのです。そのためには今まで以上に患者目線での診察が必要だと感じたので意識して心がけています。楽しければスタッフも院内の雰囲気が明るくなって、患者さんにとっても良いと思います。

高齢化の影響はいかがですか?

高齢の患者さんが増えたというより、以前から通ってくださっている方の高齢化が進んでいます。補聴器のための外来も開設していますが、「私はまだ若い」と聞こえないことを自覚していない方もいます。しかし、聴覚と嗅覚が衰えると認知症になるのが早まるといわれていますから、補聴器の適切な使用は大切です。私も難聴をテーマにした講演などでは、その点についてもお話しします。ただ、「補聴器をつけたその日からよく聞こえるようになる」と思い込んでいる方が多いのですが、それは違うんです。余計な雑音も入ってきます。「うるさいから」とすぐに装着をやめる方も少なくありませんが、脳が必要な音と雑音を取捨選択するように慣れるのには1~2週間の訓練が必要なんですね。なのでそのことを理解していただけるよう、テレビをつけたままの部屋で使用する、といった雑音に慣れてもらうためのアドバイスもしています。

今後の展望を教えてください。

阪上博史院長 阪上耳鼻咽喉科6

私も来年70歳。幕引きを考える時期にきました。長男が3代目院長として、後を継いでくれることは決まっているのですが、そのタイミングを測っているところです。開業医には定年がないので判断が難しい。そこは展望というか悩みどころです。改装や新しい機器の導入など息子のやりたいようにさせるつもりなので準備もしていません。彼らしい医院にすればいい。その個性みたいなものは大切ですからね。世の中には評判の良い医師はいますが、誰にとっても「名医」とは限りません。良いお医者さんに出会いたかったら、友達を選ぶ感覚で気の合う方を探すのが一番。その結果が、治療の効果につながる、というのが私の経験に基づいた実感です。病気を治すには患者さんと医師との相性も影響すると思っています。

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