石塚医院

石塚医院

石塚 健二院長

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枚方市南楠葉2丁目、樟葉小学校の北門東側に「石塚医院」がある。1952年に枚方市が開設した診療所を前身に、1963年に開院した内科・小児科のクリニックで、50年を超える歴史がある。院内には古き良き時代を思い出させるレトロな器具も残され、庭に面した明るい診療室など居心地の良い空間となっている。石塚健二先生は父である先代の後を継いで2003年に院長となり、地域に密着した診療を実践。なんでも相談できる地域の身近な医院として、あえて専門的な分野を決めるのではなく、患者のさまざまな悩みや相談に応えている。地域医療を担う医師としてのこだわりや日頃の診療で心がけていることなどについて、石塚院長に話を聞いた。
(取材日2018年4月17日)

公設の診療所をルーツに、50年以上の歴史を持つ

―前身は公設の診療所だそうですね。

1952年に枚方市が開設した内科・小児科の診療所が当院のルーツです。その当時はまだ国民皆保険の制度ができておらず、国民健康保険制度をスタートさせるにあたって、国民健康保険について広く知ってもらうために開設された診療所の一つと聞いています。消化器内科の医師であった父は、1955年に所長としてこの診療所に赴任しています。その後、1963年に当初の目的を達成したとして診療所が廃止される際に、父が市から買い取って石塚医院を開院しました。

―物心ついた時には、お父さまがここで診療されていたのですね。

私が生まれたのは、父が診療所の所長をしていた頃ですね。とはいえ、石塚医院を開設したのは私が4歳の時なので、診療所のことはほとんど記憶にありません。医師の家に生まれたのだから、医師をめざすのはごく普通のことだと思うのですが、診察室に子どもは入れてもらえなかったので、父が働いている姿を見る機会はほとんどありませんでした。また、父のことを尊敬していましたが、特に中学・高校生の頃などは医師になることに反発していました。父からも医師になりなさいと言われたことはなく、「自分の道は自分で探しなさい」と言われていました。

―他にめざす進路があったのですか?

将来についてはっきりとした目標があったわけではありません。ただ、幸か不幸か国語が苦手なので(笑)、選択科目がどうしても理数系になり、受験できる学部が限られていました。兄が歯学部に進んでいたので、歯学部か農学部にでも行こうと考えていたのですが、結局一年浪人して父の勧める医学部を受験しました。合格すると周りから「よくやった!」と言われ、半ば外堀を埋められるようなかたちで医師への道を歩み始めたのが本当のところです。

―大学では何科を専攻されたのですか?

クラブの先輩が呼吸器内科で、よく知っている先輩方も多くおられたので呼吸器内科を選びました。医学部に入学した時点で、父の後を継ぐことになるだろうと思っていたので、喘息を診たり、エックス線写真を撮ったりする呼吸器内科なら、開業医となったときに知識や技術が生かせるだろうという思いもありました。その頃はちょうど睡眠時無呼吸症候群がトピックスになっており、喘息と並んで教室でもよく取り上げられるテーマでした。

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