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医療法人 保坂小児クリニック

医療法人 保坂小児クリニック

保坂 泰介院長
頼れるドクター掲載中

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香里ケ丘の小児科と言えば、地元の人々は恐らく「保坂小児クリニック」を連想するのではないだろうか。それほど長く、地域の小児医療に従事しているこちらのクリニックは役所、スーパー、飲食店などが集まる地域の中心エリアにあり、2ヵ所のコインパーキングも受診後は無料で利用できるので車でもアクセスしやすい。1963年に開業した小児クリニックで、現在は2代目の保坂泰介先生が院長を務める。地域の子どものさまざまな疾患に対応しながら、病児保育室を併設して働く保護者をサポートしている。整形外科の勤務医から小児科、病児保育室の医師になったという保坂院長に、クリニックのポリシーや地域医療にかける思いなどについて聞いた。
(取材日2018年10月11日)

地域に欠かせない施設を引き継ぐ決心を

―医師をめざしたきっかけはなんでしょうか。

1963年に母がこの地域に開業して、僕が生まれたのはその2年後なので、物心ついた時には毎日忙しく仕事をする母の姿がありました。当時は往診もしており、夜に母が僕を連れて出かけ、診察が終わるのを車の中で待っていた記憶もあります。僕は3人きょうだいの末っ子で、両親が医師、姉も兄も医学部だったので、高校2年生の終わり頃までは、自分だけは医師以外の道に進もうとのんびり考えていました。ところが高校3年になり、学校の教科書でたまたま出会った一節を読んで、医学部に行こうと決意し、以後は猛勉強して、京都大学医学部に入学しました。「life is challenge」という言葉が大好きで、この頃より何事にも挑戦する気持ちが僕の中で大きくなった気がします。

―もともとの専攻は小児科ではなく整形外科ですね。

スポーツが好きな僕は整形外科の道に進みました。その後尊敬できる先輩と出会い、その方に憧れて大学院や米国留学時代は骨や軟部組織のがんの研究を行いました。京大病院整形外科では骨のがんの子どもを担当し、小児科の先生方と毎週ミーティングをしていました。当時は小児科も楽しそうだなと感じていましたが、まさか自分が小児科の医師になるとは夢にも思いませんでした(笑)。その後一般病院の整形外科ではリハビリテーション分野も担当して、患者さんのリハビリ計画や退院後の生活設計がいかに大切かを学びました。

―そんな先生が小児科に転身されたのはなぜですか。

病児保育室の存在が一つのきっかけでした。母は先駆け的に病児保育室を1969年に始めたのですが、当時は「子どもが病気の時くらい母親は家で子どもの世話をするのが当然、仕事をするなんてとんでもない」という風潮が根強く、偏見とも闘い地道に病児保育を運営していたようです。そんな状況を横目で見ながら僕は整形外科医師として仕事を続けていましたが、病児保育が地域にとり必要不可欠な存在となり、また僕自身が父親となって、病児保育の重要性がはっきりと理解できるようになりました。一方で、将来母が第一線を退いた時に、もしクリニックと病児保育がなくなれば地域の皆さんに大きな迷惑がかかる、整形外科の医師をこのまま続けるよりも、クリニックと病児保育室を守り引き継いでいくことが、医師として、そして自分の人生において、より大きな社会貢献になるのではないかと思い至り、小児科医師になることを決意したのです。



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