東山 信彦 院長の独自取材記事
東山産婦人科・小児科
(高槻市/高槻市駅)
最終更新日:2025/01/14

高槻市駅から淀川へ向かって車で約10分。幹線道路から道を隔てた高槻市辻子に3棟の立派な建物を有する「東山産婦人科・小児科」。前院長の東山敏子先生が1969年に開業した、産科・婦人科・小児科で地域住民を支えるクリニックだ。2代目院長の東山信彦医師は、自治医科大学附属病院の産婦人科、同大学総合周産期母子医療センターに勤務した後、さらに研鑽を積みたいと思い兵庫県立西宮病院救命救急センターへ。「自分が医師として納得できるよう、やるべきことは必ずやる」という熱いハートと信念を持つ信彦院長。自身がめざす医療についてたっぷりと聞いた。
(取材日2018年4月9日/更新日2024年11月26日)
産婦人科から小児科まで、子どもを育む安心の環境に
とても大きなクリニックですね。施設をご紹介いただけますか。

当院は産婦人科のある本館と、小児科の別館、軽い運動が行えるスタジオの3つの建物からなります。看護部長以下10人の看護師、13人の助産師、超音波検査に精通する臨床検査技師4人も常勤し、必要な検査を迅速に行えるよう体制を整えています。キッズルームには保育士も常勤しています。非常勤スタッフも合わせたら60人以上で、この規模のクリニックにしては人員が多いと思いますが、それは万一に備えておきたいと考えているからです。スタッフの数が多いと、提供できる医療の質も上げていくことができると思います。数が質を生み、それが力となり、さらに質を上げていける。さらに余力ができるので、スタッフにはさまざまな学習に対し、積極的に取り組んでもらっています。
お母さまが開業された産婦人科を引き継ぎ、さらに小児科を開設された経緯を教えてください。
私がこちらに戻ってきた頃、近隣の方に「良い小児科はありませんか?」と尋ねられたことがきっかけです。私はここ高槻市で産まれ育ったので、小児科のクリニックはたくさんあったように記憶していたのですが、いざ調べてみると、多くが閉院している状態だったんです。小児科の医師に来てもらい、使っていなかった別館に小児科を開設し、現在に至ります。産婦人科で産まれた赤ちゃんを小児科で診られますし、1ヵ月健診やワクチンの開始時期についてもアドバイスできます。医師同士での情報共有も可能で、いつも顔を合わせて相談していますので、お母さんにも安心してもらえると思います。母乳相談や育児相談も、看護師や助産師の協力を得て、積極的に行っています。
大勢のスタッフと高いチーム力で結ばれているのですね。チーム力維持の秘訣は何でしょうか?

スタッフの様子をよく見て、常に声をかけるようにしています。疲れているなと感じたときはねぎらいの言葉をかけますし、失敗した時は叱咤激励し、積極的にコミュニケーションを取ります。時にはみんなで一緒に食事に行くなど、スタッフが働きやすい環境づくりを意識しています。
医師を志したのはいつ頃からですか?
子どもの頃から、母に「医師になれ」と言われ続け、高校時代には「医学部を受験してほしい」と言われましたね。兄も医師でしたし、こういう環境でしたから、自分でも医師になるしかないだろうな、とは思っていました。あまり乗り気ではなかったのですが、一念発起して猛勉強して金沢医科大学へ進学し、そこで医師となるための心構えを教わりました。
産婦人科のプロフェッショナルとして努力を惜しまない
医師としての心構えとは、どのようなことでしょうか?

大学1年生の、退官間際の先生の医学史の授業で教わったことが胸に刻まれています。ご自身が山岳部の顧問をされていて、ある大雪の日に山小屋で急病人が多数出て、有志を募って助けに行くことになったそうです。その有志に学生2人が果敢にも名乗りをあげ、必要な機材を背負って救援に向かう最中、事故に遭い不幸なことに亡くなってしまったそうです。その時の責任と無念な思いを、先生はずっと背負いながら医師を続けているのだという話を聞きました。言葉も出ませんでした。医師とは命の重さを知る人物でなければならないのだと教えられましたね。
ご卒業後、自治医科大学附属病院では、どのようなご経験を積まれたのでしょうか。
自治医科大学附属病院は、高度かつ先進的な医療を安全に提供することをめざし、広域からたくさんの患者さんを受け入れている総合病院です。重症の患者さんが毎日搬送されてくる、といった状況でした。同病院では、私は婦人科、そして総合周産期母子医療センターで勤務しましたので、妊娠中の患者さんがかかる病気に対しての知識や、管理の基本をはじめ、さまざまな技術・技能を習得できました。また、重症度の高い患者さんが多く、多数の症例に対応する自信と、今につながるたくさんのことが学べたように思います。
その後、救急医療に携わったのは、どのような思いからでしょうか。

医師の大命題は人の命を救うことだと思っています。自分が手を差し伸べなければ、人が亡くなってしまうかもしれないという状況で、自分も患者さんも納得し、お互いに理解ができるような医療を提供したい・学びたい、と思ったからです。つてを探して、兵庫県立西宮病院の救命救急センターで勤務しました。外傷や窒息、薬物中毒、心臓が止まってしまった患者さんなど、産婦人科では出くわすことがないようなケースに取り組んできました。救急医療に携わる医師はどんな環境下でも、その時出せる最大の結果を出そうと努力します。この経験で「どんな状況でもやれることを納得できるまで携わる」という信念が生まれました。その場でできる最大限の選択肢を選んで実行する判断力や医療技術、医師としても使命感のようなものが身についたと思います。
相談しやすい雰囲気と、いくつもの選択肢を用意する
妊婦さんはいろいろな不安を抱えていると思いますが、どのような対応を心がけていますか?

来院される妊婦さんを見ていると、些細なことは我慢して言わない、あるいは言うのが恥ずかしい、こんなことを聞いたら悪いかな、と遠慮してしまう方がいらっしゃるように感じます。例えば、入院の際に気がかりなことは、ご家族のことだと思います。当院では上のお子さんも一緒に入院できるようにするなど、柔軟な対応を行い、さまざまな面から妊婦さんのサポートに努めています。常に患者さんの目線に立ち、「こんなことはありませんか?」とこちらが先に声をかけ、相談しやすい雰囲気をつくり、多様な提案を行うようにしています。深刻な状況を抱えているのに、対応が遅れることがあってはいけませんからね。
常勤医師が2人体制になったと聞きました。
2024年4月から常勤医師が2人になりました。それによって、夜間や休日の緊急コールも2人体制としています。特に、近年は無痛分娩のニーズが高まっています。当院の場合、日時をあらかじめ決めて行う計画無痛分娩ではなく、自然な陣痛を迎えてから無痛分娩を行うスタイルを主流にしています。体制が強化されたことで、今まで以上に安心して、赤ちゃんのペースに添って、出産を迎えていただけると思います。また当院に勤める医師は常勤・非常勤に関わらず、全員が麻酔下での分娩についてしっかり勉強しています。無痛分娩にはいくつか方法がありますが、当院では陣痛の痛みを感じ取る神経の近くに麻酔用カテーテルを入れ麻酔します。手間や技術は必要ですが、当院では麻薬を使わず、局部麻酔剤のみで痛みの遮断を図ります。赤ちゃんにもお母さんにも負担の少ない分娩をめざしています。
産婦人科のクリニックを探している読者へメッセージをいただけますか。

何か「こうしてほしい」と投げかけた時に、「その希望をかなえるためには、こういうことは守ってください」とはっきりとアドバイスをしてくれる医師が、良い産婦人科の医師だと考えています。できない理由ばかりを挙げる医師や、なんでも「いいですよ」とのんでしまう医師は、妊婦さんやおなかの赤ちゃんに本当の意味で寄り添えてはいないのではないかと感じるのです。また、アドバイスをする際にいくつかの選択肢を提示してくれると、より安心できますよね。医師は医療技術を提供する技術者であり科学者でもありますが、その前に人と向き合う人間であるべきだと私は考えます。妊婦さんと赤ちゃんにとって、一番望ましい方法を考える人間であるべきだと、私はこれまで経験を積んできて、そう思うようになりました。前に進むために困難なリスクがあっても私は前に進みます。そんな心づもりで患者さんと向き合っています。