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八杉 誠 院長の独自取材記事

八杉クリニック

(大阪市北区/天満駅)

最終更新日:2019/08/28

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天満駅・天神筋橋六丁目駅・扇町駅より徒歩10分の「八杉クリニック」。この地に看板を掲げて34年、街の総合クリニックとして地域の人々の健康を支え続けている。「子どもが好きで、小さな子どもの患者の扱いは得意中の得意」と語るのは、院長の八杉誠先生。一方で、さまざまな悩みを抱えた高齢者の患者にも丁寧に接し、感染症の検査からケガの処置まで難なくこなす。そんな院長には、空手の師範という別の顔があるから驚きだ。クリニックを訪れると、60代後半とは思えない若々しく引き締まった体でドアを開け、優しい笑顔で出迎えてくれた。医療を志した少年時代から現在にいたるまで、その歩みや医療に対するポリシー、健康維持のコツなど、ベテラン医師ならではの貴重な話をじっくり聞いてみた。
(取材日2017年4月19日)

地域の総合医療こそが開業医の役割

施設名を「○○小児科」としなかったのはなぜですか?

私の出身医局は小児科ですし、子どもを診るのが一番好きなんですが、開業医というのはその地域のドクターですから、乳児から高齢者まで、いろんな層の患者さんを相手にするのが基本です。高血圧や糖尿病の診療からレントゲン撮影やバリウム検査まで内科的なことはもちろん、そして、外科的なことも、整形外科的なことも、全部一人でこなせます。もちろん、できないこともありますが、その場合は適切な専門科の医師を紹介できますからね。何でも相談にのって、どんなことにも対処する、そんな総合医療こそが、開業医の役割ではないでしょうか。小児科出身の私が、あえて「八杉小児科」という看板を掲げなかったのは、そこなんです。医者というのは本来、そうあるべきなんですね。

子どもを診療する上で、コツのようなものはありますか?

当クリニックの特徴の一つは、注射で子どもを泣かさないこと。これには自信がありますね。診察室まで泣かずに入ってくれさえすれば、間違いなく泣かずに帰ってもらえます。泣く子というのは、診る前からずっと泣いているものです。たぶん、他の病院で痛い思い、怖い思いをした経験があるんですね。どうしても泣き止まない場合は、注射の前に麻酔クリームを塗ってあげます。注射しても痛くないことを覚えるので、次回からはもう泣きません。でも、本当の必勝法は、子どもとどれだけ仲良くできるかなんです。診察室にぬいぐるみやあめを用意したり、楽しい雰囲気を演出したり、これはもうスタッフ全員の努力にかかっていますね。

こちらのクリニックでは院内処方で薬を出していますね。

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院内処方なら患者さんはすぐに質問ができるし、私も即答できますから。たとえば解熱鎮痛薬。熱があるから処方したのに、院外薬局の薬剤師から「頭が痛かったら飲んでください」などと言われれば、患者さんが混乱しますよね。院内処方なら「これは熱のためですからね」と、その場で説明ができます。それに、「ついでにうがい薬も欲しい」「湿布も欲しい」といった、後から言ってくる患者さんの要望に応えることもできますから。Patient first(患者さん第一)ですからね。とはいえ、私、そう簡単には薬を出しませんよ(笑)。「医者や薬ばかりに頼るな」と、医者の私が言うのはおかしいかもしれませんが、体を良くするには、まず患者さん自身にも努力をしていただく。これが私の医療の基本です。

自分の体は自分で治す。それが医療への第一歩だった

クリニック開業にあたり、この地を選んだ理由は?

実に単純な話でして、私、すぐ隣のマンションに住んでいたんです。ちょうど勤務医を辞めようという時にこのクリニックの場所が空いたので、これは通勤に便利だと思いまして(笑)。自宅のあったマンションが実に巨大で、2棟で約5000人が暮らす、これだけで一つの立派な街だったんです。入居者はヤングファミリーばかりでしたから、そのお子さんたちを診てあげたかったというのが、もう一つの動機ですね。患者はみんな、うちの子の同級生や同じ学校の生徒、その家族だったりするわけで、地域の皆さんの健康をなんとかしてあげたいという思いは、ごくごく自然なことでした。あれから30数年、当時の子どもたちは仕事や結婚で散らばっていき、お父さん、お母さん方が高齢になって残っておられる。この地域の年齢構成も、すっかり変わりましたね。

院長が医療の道をめざした、そのきっかけは何でしたか?

うちは決して医者の家系ではなく、父は単なるサラリーマンで貧しい家庭でした。私を含めて4人兄弟だったんですが、そのうち2人が幼くして亡くなっているんです。終戦後すぐで、今のように医療が普及していませんからね。私自身も病弱な子どもでした。すると母が、「誠、できればお医者さんになって、自分の体は自分で治しなさいね。そして私の体も診てちょうだいね」なんて言うんです。家族の不幸、そして病気がちだった私をおもんぱかって出た言葉だったのでしょう。そのとき私は小学生でしたが、その後、中学2年の頃に腎炎にかかって入院し、治すのに5年もかかりました。得意だったスポーツができなくなり、「これは自分のためにも絶対に医者になるべきだ」と、強く心に誓ったわけです。

勤務医時代のことを教えてください。

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大阪の北野高校から神戸大学医学部へと進み、所属医局は小児科でした。そのあと勤務医として警察病院に勤めたのですが、早朝から担当病棟を回り、9時からは外来の診察。午後からは人手の足りない手術室に呼ばれ、患者さんに麻酔をかけるという日々でした。そのうち上司が「小児科だけではダメ。内科も勉強しなさい」と、夜の内科のアルバイト先を紹介してくれました。そういうわけで、午前中は小児科、昼から外科、夕方から内科と、気付いたら全部できるようになっていたんです。このあと救急病院にも勤め、医療現場のノウハウや大変さをみっちりと体で覚えました。こうした経験は、今でも大いに助けになっています。

健康に欠かせないのは、チャレンジ精神と家族の支え

院長は空手の師範だと聞きましたが。

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皆さんもよくご存知の空手道場です。開業とほぼ同時期に始めたのですが、館長の激励もあって昇段試験を受け続け、そのうち指導員になって、とうとう師範にまでなって(笑)。そのおかげもあり、今、ものすごく規則正しい生活を送っています。夜10時に就寝して朝5時に起床。そして毎日、朝夕の診察の前に筋トレをやっています。まずはダンベルを片手に持って左右で1000回、さらにブンブン振り回すのを20〜30回。次は真冬でもパンツ一丁になって、スクワット100回、腹筋100回、拳立て100回。最後は診療ベッドの上でストレッチして終了です。毎日2回、欠かさずですよ。これは私にとっての薬みたいなものなんです。医療をやる身として、まず自分自身が健康でなければならないですし、患者さんに対して範を示すという意味もありますね。

休日など、プライベートな時間の過ごし方を教えてください。

私の場合は実に多趣味でして、なかでも特に好きなのが音楽なんです。ドラムやギターを演奏しますし、コンサートには月に2、3回、足を運びます。歌劇鑑賞も大好きですね。おかしいでしょ、空手の師範が歌劇ファンなんて(笑)。あと、最近ハマっているのはスティール・パンという、ドラム缶を利用したような楽器です。音楽は私をいろんな世界に連れて行ってくれます。好きなジャンルもハワイアンを始め、ロック、ジャズ、多方面にわたります。院内でも常にBGMをかけていますよ。世界旅行に行くことも大好きで、おもちゃ集めをしています。お子さんからも好評です。自分なりのストレス解消法で頭と体を鍛えること。これが私のお勧めする健康維持の秘訣です。

院長の人生の支えになっているものは何ですか?

家族の支えに勝るものはありません。私の何よりの自慢は、3人の子どもたちが、みんな医者になってくれたことです。私の口から「医者になれ」と言った覚えは一度もないのに、黙って後ろをついて来てくれる。長男がクリニックの副院長になってくれて、私も今はずいぶんペースダウンできていますし、いろんな意味でラッキーな人生だと思っています。空手道場と出会って貧弱な体を鍛えることができました。貧乏もなんとか克服できました。時代がちょうど私にマッチしていたのかもしれないですね。でも、一番のラッキーは家内との出会いです。家内がいなかったら、とてもじゃないけれど、ここまでやってこれなかったと思います。今、自分の人生を最高の人生だと思うことができる、そのことにつくづく感謝するばかりです。

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