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千原 悦夫 院長の独自取材記事

千原眼科医院

(宇治市/伊勢田駅)

最終更新日:2020/06/29

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近鉄京都線伊勢田駅のすぐ目の前。入院施設を備え、眼科のクリニックとしては規模の大きい「千原眼科医院」。多数の医師やスタッフを擁し、難症例を含む白内障や緑内障など、手術を中心とした専門性の高い診療で地域への貢献を果たしてきた。院長を務めるのは京都大学医学部の助教授という経歴を持ち、現在も眼科手術のエキスパートとして執刀を担当する千原悦夫先生。総勢50人を超えるスタッフを率い、診療レベルのさらなる向上に力を注いでいる。そんなアグレッシブな千原院長に、開業の経緯や診療コンセプト、患者に対する思いなど、さまざまな話をじっくり聞いた。
(取材日2020年3月5日)

難治性緑内障手術など、専門性の高い手術を地域で実施

まずは、こちらに開業した経緯を教えてください。

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私は京都大学医学部に長く勤めていました。最初は学者をめざしていましたが、いろんな患者さんに接するにつれてその苦しみが理解できるようになり、なんとかしたいという思いから臨床に惹かれるようになりました。ところが大学にいれば研究や発表、会議や医局の行事などに追われ、患者さんに集中して時間をとるということがなかなかできません。自分で開業すれば、その時間がとれると考えたのが大きな理由の一つですね。また、大学にいて感じたのは病診連携の限界です。患者さんがお住まいの場所と病院が離れていると良い連携が取りにくく、かえって患者さんと医師の関係を分断してしまうことにもなりかねません。やはり地域密着で、なるべく高度な医療を提供できる中間的な医療機関が必要ではないかと考えたことも開業動機となりました。

クリニックの概要について簡単に教えてください。

最初はすぐ近くのビルのテナントとして1993年に開業し、こちらに移転したのが2001年のことです。外来診療や検査はもちろん3フロアにさまざまな施設を備えており、眼科で行う大抵のことはここで完結できます。現在は非常勤を入れると12人のドクターが四診制で診療を行い、スタッフ総勢で50人以上の大所帯となりました。手術は白内障手術が圧倒的に多く、他に緑内障、網膜剥離、黄斑円孔、眼瞼下垂などの手術にも対応し、2019年1月〜2019年12月に行った手術は1243件を数えます。特に緑内障は私の専門で、緑内障治療用インプラント挿入術をはじめ、さまざまな緑内障の手術に長く携わってきました。今も他院からの紹介で難しい症例の患者さんがよく来られます。また、当院は入院施設があるので、ご高齢の方は翌日改めて来院する必要もなく、安心して手術を受けていただけるかと思います。

緑内障治療用インプラント挿入術とは、どのような手術ですか?

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緑内障は、日本における失明原因の第1位といわれています。その緑内障の主な原因には眼圧の上昇があります。眼球の中では房水という液体がレンズや角膜などの組織に栄養を運び、循環後に排出されますが、その経路の通りが悪くなって房水がたまると眼圧が上昇し、視神経に障害が起こることがあるのです。従来の手術では組織の一部を切って房水の流出経路を作っていましたが、人の体というのは傷を治そうとするので再び詰まってしまいます。そこで考え出されたのが人工のチューブを眼内に挿入する、緑内障治療用インプラント挿入術です。初期の頃にはインプラントの脱出や炎症、眼圧の下がりすぎなどのトラブルがあり、その解決が京大時代の私の主要なテーマの一つでした。しかし、その後問題点に解決法ができて2012年には保険診療として認められるようになり、より多くの患者さんに提供できるようになりました。

手術は鬼の所業にみえても、仏の心を持つことが大切

院長先生の医療コンセプトを教えてください。

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治療に際しては情に流されることなく、医学という見地から最良な治療を探す努力をしています。ただ、私たちが良いと思っても患者さんが納得されず、同意が得られないこともしばしばあります。その場合は患者さんの希望に沿わなくてはなりませんが、時間が許す限り説明を重ねることは非常に重要なことだと考えています。医療は信頼関係がなければうまくいきません。私たちが病気を治そうと真摯に対応していることを、どうか信じていただきたいです。

患者さんに対して大切にしていることは?

私自身、小学3年生の時に中耳炎をこじらせて難聴になり、それ以来ずっと苦しんできました。学生時代、授業中に先生が冗談を言って教室を盛り上げることがありますよね。そういう時はだいたい早口でさっと言って、みんながどっと笑う。私一人だけがわからずに取り残されるわけです。それと同じように、目で不自由されている方の苦しみを私はよく理解できます。みんなが見えていることが自分は見えないというのは、すごくつらいはずです。単に機能として耳が聞こえづらい、目が見えづらいというだけではなく、その奥にあるつらさや寂しさは健常な人にはなかなかわかりません。そうした患者さんの気持ちをちゃんと理解しておくことが大切だと思います。

座右の銘にされている言葉などはありますか?

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ずいぶん前にある患者さんから「鬼手仏心(きしゅぶっしん)」という書を頂き、良い言葉だと思って院内に飾っています。手術を行う医師は生体を切り刻む、まさに鬼のような所業をしますが、その内心で患者さんに寄り添って、常に最良の医療をめざして努力する、仏のような心が必要だと思っています。また、手術を何度も繰り返すのではなく、できれば一度で治して差し上げるのが理想です。昔から「ためらい傷は、かえって傷を深くする」ともいわれているように、やるとなったら心を鬼にして切らねばならないこともあるわけです。その場合も患者さんの侵襲を最小に抑え、できる限り痛みや不安がないようにという優しい気持ちを決して忘れてはなりませんね。

現状維持ではなく常に前へ向かって進んでいきたい

院長先生のお父さまも医師だったそうですね。

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父は私と同じ京都大学医学部の出身で、内科の医師でした。頭がとても良く医師としては尊敬していましたが、家庭的なことは一切やらない人でしたね。仕事を終えて家に帰ってくるとドンと座って動かず、ほとんど遊んでもらった記憶はありません。唯一、ごくたまに将棋をしてもらうのですが、子ども相手に本気で打って絶対に負けようとしないんです。普通、大人ならちょっとぐらい手加減するじゃないですか(笑)。そんな父への反発もあり、大学は理学部へ行くと言ってずいぶんもめました。結局、母が「理学部で成功する人は一握り。医者のほうが安定している」と私を説得し、ほだされた結果、最終的に医学部に進むことになりました。

何か趣味にしていることはありますか?

趣味や遊びに割く時間はほとんどなく、たまにゴルフをするぐらいです。スポーツは好きで、大学時代はラグビーをやっていたんですよ。プロップの3番というポジションで、スクラムの最前列です。当時は今よりずっと体格は良かったのですが、相手のタックルを必死で止めねばなりませんから、ボールにはなかなか触れません。常に生傷は絶えないですし、あちこちで倒されたり実に泥臭い役割ですよ。フォワードの人間がトライすることは滅多にないので、私はラグビー人生で一度もトライを決めたことがありません。フォワードがトライを決めた話を聞くと、非常に興奮しますね(笑)。

今後に向けた展望などがあれば教えてください。

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後継者を育てて適当な時機に交代することですね。息子が大学病院に勤めており、ここへは週に3回アルバイトに来てくれています。加齢黄斑症や緑内障の治療でそれなりの存在感を示すようになってきましたから、将来的にはここを継いでくれたらうれしいですね。ただ、どうせなら現状維持を考えるのではなく、クリニックをさらに発展させてほしいと思います。ラグビーと同じく前へ攻める姿勢が必要で、守ろうとしていては駄目です。私が今もこうしてやっているのは、そういう思いがあるからです。

最後に、読者へ向けたメッセージをお願いします。

より良い医療を提供できるようにと、これまで精一杯に頑張ってきました。しかし病気とは残酷なもので、すべての病気が治るわけではありません。それでも、やれることはすべて全力でやります。それが医療人としての使命と心得ています。当院には大勢のドクターやスタッフがいて、それぞれに個性はあるものの全員が同じコンセプトで地域の皆さんの期待にお応えしようと努力しています。目のことでちょっと気になることがあれば、遠慮なくご相談いただければ幸いです。

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