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山中 賢治 院長の独自取材記事

笹川内科胃腸科クリニック

(四日市市/内部駅)

最終更新日:2021/10/12

山中賢治院長 笹川内科胃腸科クリニック main

住み慣れた地域で最期まで暮らしたい。そんな思いに寄り添い、在宅医療に力を入れているのが、開業して20年以上になる「笹川内科胃腸科クリニック」。穏やかな雰囲気の山中賢治院長と妻の山中珠美副院長、そしてスタッフたちが患者や家族のニーズをくみとり、親身になって患者に向き合っている。「患者さんの笑顔がやりがいにつながります」と山中院長も優しい笑顔。在宅医療のノウハウがない時代からこつこつ経験を積み上げ、情報共有やレベルアップ、病院や介護分野との連携などに仲間の医師らと取り組んできた。次第に病診連携も進み、四日市市内の在宅での看取り率は高まった。副院長とともに「患者中心の医療」を心がける山中院長に、その思いをじっくり聞いた。

(取材日2019年6月11日)

アメリカ留学から帰国し、開業医に

先生のご経歴や開業の経緯について教えてください。

山中賢治院長 笹川内科胃腸科クリニック1

私は四日市の出身で三重大学卒業後、第一外科に入局し、肝臓、胆道、膵臓を中心とした診療と研究を行っていました。その後、アメリカのハーバード大学に留学し、主に急性膵炎の臨床、研究に携わりました。アメリカはとても居心地が良かったのですが、病院を定年退職して地元で開業準備をしていた父が1995年に突然、脳出血で倒れたのです。開業がその2週間後に迫っていましたが、当時私はアメリカにいたため、翌1996年私が院長になり、妻が副院長となって、当院が開業しました。

突然のことで開業医となられたのですね。

父は体に麻痺が残り、気管切開をして胃ろうもつけて寝たきりの状態になりましたので、夜は家族が交代で介護をしました。4年後、父が他界したのですが、その翌年、この近くに引っ越してこられたALS(筋萎縮性側索硬化症)の方から、在宅で診てほしいというご依頼がありました。もし父が生きていたら、介護生活の中で在宅医療を行うことは難しくお断りしていたかもしれませんが、父を見送った後でしたので引き受けることにしました。在宅医療については大学でも学んでいないし、神経内科は私の専門でもないのですが、その方はすでに診断がついており、治療というより日々のケアが必要でした。私は外科が専門ですので、気管切開も胃ろうも、さらに人工呼吸器の扱いもできる、それで全身管理は可能だと考えました。

その後在宅の依頼が増えていったのでしょうか?

山中賢治院長 笹川内科胃腸科クリニック2

そうです。最初は依頼を受けて、お困りなら行きましょうという程度でした。それがだんだん昼休みの時間だけでは足りなくなり、数年前に週2日、午後の外来をやめて訪問診療に専念することにしました。あわせて在宅療養支援診療所になり、このエリアで在宅医療に取り組んでいる6つの医療機関と協力しあうようにもなりました。その後さらに希望される患者さんが増えましたので、この5月から、午後の時間帯すべてを訪問診療の時間にしたわけです。私と妻がそれぞれ看護師を同行して別々に出かけます。外来の患者さんは午前にシフトしてくださり、感謝しています。お勤め帰りの方には申し訳ないのですが、地域の高いニーズに応える形になりました。

在宅医療と病診連携の土台をつくり看取りを行っていく

市全体の在宅医療の充実に取り組まれたと伺っていますが、その内容について教えてください。

山中賢治院長 笹川内科胃腸科クリニック3

2006年に四日市医師会の当時の会長から「在宅医療の整備と病診連携を進めてほしい」と言われたことがきっかけになります。在宅医療をする医師が少ないのはやり方がわからないことも原因と思われたので、少しでも経験がある医師がノウハウを提供し、裾野を広げたいと勉強会を立ち上げました。呼びかけは5人で、最初のテーマは「私の往診かばん」です。以降、胃ろう管理や褥瘡(じょくそう)ケアなどをテーマにこれまで71回開催し、今では参加者は毎回30人を超えています。また病診連携のために、各開業医が対応可能な医療措置のアンケートを行い、病院はそれに合わせて入院患者さんを早期に、適確に、開業医に送り出せるようになりました。さらに市内の3つの急性期病院と医師会が協働して共通の病診連携クリティカルパスを13疾患で作成しました。パス作成のために双方で話し合いを重ねる中で、どの先生が何が得意か、顔の見える関係ができました。

「在宅医療の整備」と「病診連携」という課題が達成されたのですね。

そうですね。住み慣れた場所で最期を迎えたいと望む人が多い中、四日市市の在宅での看取り率は、全国平均を大きく上回りました。ただ、看取りとは医師だけではできません。看護師、薬剤師、歯科医師に加え、ヘルパーさん、ケアマネジャーさんなど介護分野の方々との連携が非常に重要なのです。医師が訪問するのは月に1~2回、多くて週に1回ですが、生活は毎日続いているわけで、それを支える介護分野の方々の力が大きいです。そこで多職種のメンバーのつながりを作ろうと、2008年に医療介護ネットワーク会議を立ち上げました。これも第50回を数え、毎回120人ほどの人たちが集まります。医療面からも介護面からも意見を出し合って、意思疎通ができるようになりました。

在宅医療のやりがいは、どんなところにあるのでしょうか?

山中賢治院長 笹川内科胃腸科クリニック4

外来でも患者さん一人ひとりとじっくりお話しするようにしていますが、在宅では雑談も大事なこと。その方の人ととなり、価値観、人生観、ご家族の気持ち、それらすべてに向き合うことになります。自然とお話をする時間も長くなり、その中で、たくさんの笑顔が見られるのがやりがいにつながります。たまに「お花を見に行きたい」などと言われて一緒にお出かけすることもあります。人工呼吸器をつけたある患者さんとはプロ野球観戦に行ったのですが、その方のファンのチームの監督が「会いましょう」と言ってくださり、ベンチ裏で監督や選手の方々とお会いしたときはとても感激しました。

住み慣れた場所で安心して暮らせるように力を尽くす

これまでを振り返り、お感じになることはありますか?

山中賢治院長 笹川内科胃腸科クリニック5

開業して23年になり、当初60~70代の患者さんが80~90代になられました。皆さんを最期まできちんと診て差し上げたいと思っています。通院できる若い方は、私でなくても他の医師を選んで行くことができますが、通院できない方はそうではないので、より責任を強く感じます。在宅医療の場合、患者さんは療養だけでなく生活をされているわけで、そこには当然ご家族の生活もあります。患者さんの病気のケアのみならず、ご家族の体と心の健康も同時に支えていくことが大切であり、それを心がけています。これは自分も父の介護をした経験があるからこそ思うことかもしれません。

開業以来、変わらぬ理念について教えてください。

20年以上前、私が留学していたアメリカでは、患者さん中心の医療が行われていました。当時の日本は、今では考えられませんが医療者中心の医療でした。それで開業のときに妻と、「アメリカのように患者さん中心の医療をしたいね」と話したものです。患者さんのために何ができるかと考えたとき、その頃は在宅医療がこれほど必要になるとは想像できず、予防医学に力を入れたいと思いました。未病という言葉がありますが、病気になる前の予防が大事だと考えて、当初から糖尿病教室を開催したり、食事や運動の指導をしたりしてきました。その後、在宅医療を始めたら徐々にニーズが増えてきたわけで、「患者さん中心」という理念は変わらないままに、そのときどきでニーズにこたえてきたように思います。スタッフもそれに合わせて、いつでも患者さんに心地良く過ごしていただけるよう気配りし、仕事もしっかりしてくれています。

今後の展望についてお聞かせください。

山中賢治院長 笹川内科胃腸科クリニック6

もう10年以上、人工呼吸器をつけた方の避難訓練を毎年行っています。避難所へ行くのにご家族のサポートだけでは難しいので、近隣の方々に協力していただき、停電の際に手動で動かす呼吸器の操作やベッドからの移動などを練習してもらっています。そうしたことも含め、患者さんたちが住み慣れた地域で安心して暮らせるように、当院だけでなく地域の医療機関と連携して尽力したいと思っています。現在、在宅医療を行う医師は増えてきたとはいえ、市の開業医の半分以下です。これから10年、20年先も在宅を希望される患者さんは増えるでしょうから、さらに同志を増やしていきたいです。今後、自分も年を重ねていきますので、次の世代の先生方に引き継いでいくという役割もありますが、さらに在宅医療のノウハウを積み上げ、レベルアップし、まだまだ頑張っていきたいと思います。

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