魚住 義明 院長、魚住 君枝子 副院長の独自取材記事
表山クリニック
(名古屋市天白区/総合リハビリセンター駅)
最終更新日:2026/10/16
八事駅から南へ下る坂道を15分ほど歩いた先には桜ヶ丘交差点があり、その一角に立つのが「表山クリニック」だ。れんが色の建物の入り口にはさまざまな花が咲き乱れている。この地域に古くからある同院では、消化器内科が専門の魚住義明院長と小児科が専門の魚住君枝子副院長が、地域のかかりつけ医として幅広い世代を診療。開業以来43年という長い歴史の中では、子どもだった患者が成長し、自らの子どもを連れて親子で受診することもあるという。今回は、そんな歴史あるクリニックが、長年地域で愛されてきた理由をひもとくため、義明院長と君枝子副院長にクリニックの歴史や開業の経緯、院外活動などについて話を聞いた。
(取材日2026年9月16日)
野口英世に憧れて東北で医師をめざした
まずは、医師をめざしたきっかけについて教えてください。

【義明院長】私は秋田県、副院長は青森県の出身で、東北生まれの東北育ちです。私たちは二人とも、東北の星である「野口英世医師」にあこがれて医師をめざしました。
【君枝子副院長】私は子どもの頃に足にやけどを負い、足が不自由になったことをからかわれた経験があります。そんな時、野口英世も1歳の時に私と似た経験をしたと知り、親近感を抱いたのです。野口英世が困難を乗り越え医師になったのだから、「私もそうなれるのでは」と子どもながらに考えたのですね。その後、父が戦争に行くことになり、父から「お前に家業の農家は無理だから、自活できる仕事に就きなさい。そのためなら何でも協力する」と言われました。そんな家族の思いもあり、弘前大学へ進学させてもらい、そこで後に伴侶となる院長にも出会いました。
お二人は学生時代からのお付き合いなのですね。先生方が名古屋に移住することになったのはどうしてですか?
【義明院長】私は副院長より3学年上だったので先に就職したのですが、奨学金をもらっていた関係で、必然的に就職先の病院が決まっていました。それが、名古屋鉄道病院、現在の名古屋セントラル病院ですね。その後、副院長も名古屋大学医学部付属病院に入局し、名古屋第一日赤病院に勤務することになり、結婚をして二人で中村区にある鉄道病院の社宅に住んでいました。
【君枝子副院長】子どもも2人生まれたので、子育てしながらの勤務は大変でした。現在のように働く女性に手厚い政策ではなかったので、青森から来た親類の女性に子守りを頼んでいましたね。
この場所に開業することになった経緯についても教えてください。

【義明院長】最初は、私が一人で昭和区に内科クリニックを開業したのですが、八事に自宅を新築することになり、1983年にこの地で新たに夫婦で開業することにしたんです。現在は、駅周辺に商業ビルが立ち並んでいてこの辺りもマンションが多いですが、当時のクリニック周辺は畑だらけでした。それでもお子さんからご高齢の方まで幅広い患者さんが来院し、予防接種や一般的な内科疾患、生活習慣病などに対応する、地域のかかりつけ医となりました。
自身の経験を踏まえ、心の相談やカウンセリングも
どんな患者さんが多いですか?

【義明院長】内科も小児科も、かかりつけ医として長いお付き合いの患者さんが中心ですね。最近は身の上話などをされることもあります。私は長年、消化器を専門に、内視鏡技術にも自信を持って検査・治療をしてきました。これまで培ってきた経験をもとに的確な診断と治療の提供を心がけています。
【君枝子副院長】神経発達症や拒食症、不登校など、お子さんの心の相談にも対応しています。発達障害という言葉が一般的に浸透していますが、今は障害という言葉は使いません。実は私も子育てに苦労した経験があります。特に長男は、電車に乗るとつり革で遊んだり、他の乗客の顔をのぞき込んだりと、ヒヤヒヤする思いをたくさんしましたね。でも今では社会人になって、医師として立派に仕事をしています。お子さんの発達に悩むお母さんは、心配かもしれないけれど成長を楽しみに子育てをしていただきたいですね。
ご自身の子育て経験も踏まえて、心の発達相談をされているのですね。
【君枝子副院長】中には拒食症に悩んで来院されるお子さんもいますが、適切な支援を続ければ、病気の克服もめざすことができます。長く診療を続けていると、いろんな患者さんと出会うことができます。特に小児科は、赤ちゃんの頃から通っていたお子さんが、大人になって出産して、また自分のお子さんを連れて親子で来院してくださることも何度かあったんですよ。心の発達相談にしっかりと取り組みたいと考え、「ゆうこうの家」の開設にも至りました。
「ゆうこうの家」を開設した思いについて、詳しく教えてください。

【君枝子副院長】一般的に、学校に行けなくなるお子さんの知能検査をしてみると、数値が低いことも多いのです。それでは行けなくなるのは当然だと思います。他のみんなと同じようにできなくて当たり前なんです。そこで、無理をして学校へ行かなくても安心できる居場所をつくってあげたいと思いました。それが「ゆうこうの家」を開設したきっかけです。当院から100mほど離れた場所にビルを建て、2階を利用して開設しました。お子さんと親御さんのサポートをするだけでなく、ご家族同士の交流の場にもできればと考えて、今日まで続けてきました。
医療だけでなく社会的な活動を通じて地域に貢献
ゆうこうの家での活動をはじめ、お二人とも院外活動を精力的にこなされているようですね。

【義明院長】私は警察嘱託医や講演などの他、長年続けてきた合唱団の活動や「認知症カフェ」を定期的に開いて楽しんでいます。近所のクラブでは趣味のテニスも楽しんでいますよ。
【君枝子副院長】私は、「子どもをタバコから守る会」や「核戦争に反対する医師の会」などの活動も行っていますので、禁煙治療なども積極的に行っています。院長は外での趣味が多いですが、私はガーデニングを楽しんでいます。この夏は、玄関先のノウゼンカズラやサルスベリが見事な花を咲かせてくれました。
スタッフさんもベテランの方が多いのですか?
【君枝子副院長】スタッフも長く勤務している人がほとんどです。患者さんのことを第一に考え、コミュニケーションを大切にしながら診療をサポートしてくれています。思い返せば、コロナ禍前は5年に一度くらいのペースで職員旅行に出かけるなど、スタッフ同士の交流も大切にしてきました。仕事以外でも親睦を深めながら、今の良い関係性が築かれているのだと思います。みんなで和気あいあいと和やかに診療しています。
患者さんや地域の方々へメッセージをお願いします。

【君枝子副院長】神経発達症のお子さんは、学校で「不注意だ」とか「よく話を聞きなさい」と言われて、不登校になってしまうこともあります。学校が社会のすべてではありませんし、心が病んでしまっては元も子もありません。学校のシステムや先生と合わない時には、当院に気軽にご相談ください。
【義明院長】私も副院長もいつ引退してもおかしくない年齢になってきました。クリニックの承継を考える時期かなとも思っていますが、今は二人とも元気なのでできる限りは診療を続けていきたいと考えています。患者さんたちの笑顔をエネルギーに変えて、今後も地域に貢献していきたいですね。

