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医療法人静晴会 金子内科

医療法人静晴会 金子内科

金子 晴生 院長

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たゆまぬ努力と情熱、そしてグループの一員としての誇りを胸に診療に臨むのは、「金子内科」で院長を務める金子晴生先生だ。大規模な総合医療グループに名を連ね、名古屋市の繁華街である「栄」の中心に院を構える。明るくユーモラスな性格と柔和な相貌は、診療となると熱情あるまなざしに早変わりする。努力と勉強による精進を心がけ、患者の心を包み込む温かな診療をモットーとする金子先生に、診療の心構えやエスエルグループの特徴を聞いた。
(取材日2016年6月27日)

若くして院を継ぎ、努力を持って結果を出す

―33歳の若さで医院を継がれていますね。その理由や、医師を志したきっかけなどを教えてください。

医師である父親の姿に憧れ、小学校の頃から医療の道を志していました。また、幼くして喘息を患い、弱い自分が嫌だったからというのも、医師をめざした理由にあると思います。私は東京の御茶ノ水に生まれ、当時は勤務医だった父の転勤に合わせて三重県四日市市に移り住みました。そこで、四日市ぜんそくにかかってしまいました。四日市高校から日本医科大学に進み、同大学の大学院を卒業しました。循環器の学位を取得し、日本医科大学や茨城県鹿島市の病院などに勤務。先端の医療に触れ、病棟長を任せられるなど医師としての経験を積んでいた頃に、母親から連絡がありました。父が心筋梗塞で亡くなったと。何の前兆もなく、あまりに突然でした。父が残した当院を継ごうと決めたのは、その3日後です。決めたのは、「金子内科」は私にしかできない。そう思ったからです。

―技術的にも精神的にも苦労されたのでは?

本当に大変でした。まず、院の継承についてです。当院が所属している「エスエル医療グループ」内では、血縁での院の継承という前例がありませんでした。グループに所属するにはいくつもの審査を通る必要があり、簡単ではありません。幸い、グループにおられる先生が後押ししてくださり、入会が認められて院を継承できました。また、父は消化器科として開院したため、私もその勉強をする必要がありました。難関となるのが内視鏡の操作や診断技術です。そんなとき、声をかけてくれたのが鹿島市の病院の先生でした。内視鏡の技術を教えてくれると言うのです。月曜日から水曜日までは名古屋で診療をし、水曜日の夜に新幹線と高速バスで鹿島市へ直行。木曜日から土曜日まで内視鏡技術を学び名古屋に戻る。そんな生活を半年間続け、内視鏡の技術を身につけたんです。

―医師の家系とお聞きしました、やはり両親から医師になれと言われていたのですか?

さかのぼれば江戸時代で、先祖は御典医だったそうです。私で7代目ですね。そんな家系でも、父親から医師になれとは一言も言われませんでした。ただ一つ、「金もうけのために医者になると辱めを受けることになるぞ」と言われたことは、はっきり覚えています。医師は激務なため、言われてなるようでは続けられないと考えていたのかもしれません。父は、本当に厳しい人でしたから。ただ、父の葬儀の際、患者さんからあんなに優しい先生はいないと言われたのには面喰らいましたね。家族に見せる顔と患者さんに対する顔は変える必要があったのでしょう。私も親になり、その時の父の気持ちや考えがやっとわかったように思います。なぜなら、私の態度や行動が、当時の父とそっくりだからです。同じにしているつもりはまったくないのに、血というのは怖いですね(笑)。



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