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上野 美智代 院長の独自取材記事

宮永医院

(名古屋市北区/名城公園駅)

最終更新日:2020/09/14

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名城公園駅から徒歩5分の場所に「宮永医院」はある。先代の頃より「かかりつけ医」として街の人々から親しまれている医院だ。上野美智代院長は大学病院で呼吸器内科疾患の治療に携わった後、1988年に父の後を継いだ。同院には、喘息や肺気腫などの呼吸器の病気のほか慢性疾患の患者も多く通う。「患者さんの家庭内の『交通整理』も一緒にすることが多いんですよ」と語る笑顔の上野院長。親しみやすく、気取らない下町の雰囲気も同院の魅力だ。現在は、娘の篠塚怜衣先生が週2回外来に加わり母子で診療にあたる。上野院長の医療や患者に対する思いから、今後の展望までたっぷりと語ってもらった。
(取材日2020年8月4日)

「かかりつけ医」として患者とはフラットな関係が信条

まず、先生のご経歴について教えてください。

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大学卒業後、呼吸器内科にそのまま3年残り、長女を産んだ頃に医師である夫の留学で一緒に渡米しました。3年後、次女が産まれて帰国、本格的な復職は難しかったのでパートタイムで医師を続けていました。1987年に父が亡くなり、その後当院を継承した次第です。呼吸器内科を専門にしたのは、私自身が喘息持ちだったことが大きいですね。私は4人姉妹の長女で、私と末の妹が喘息でした。昔は在宅酸素療法がなかったため、父に無理やり酸素を入れてもらって無事に生きてこられたんです。喘息がどれだけ大変かは身をもって体験しました。ちなみにその妹も医師になっていますよ。

医師をめざされたのはお父さまの影響なのですね。

父の影響もありますが、当時、男性と同等に仕事ができるのは医師か弁護士、教師だろうと思ったんです。最初は法学部を考えたのですが、私は意見を主張することが得意ではなく、とりあえず受け入れるタイプでしたので、弁護士は向いていないかなと土壇場で方向転換しました。実際、今は患者さんの話をひたすら最後まで聞いています(笑)。

「0歳から100歳まで 心を込めて、良き隣人であれ」という貴院の理念が印象的です。

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患者さんは誰に何を相談していいかわからず困っていらっしゃるので、体調以外にもご家族の心配事などいろいろお話しいただいています。そうすると安心されるのか、次に来られたときには「医者と患者」というより「言いたいことが言える隣人」というラフな感覚になっていただけるような気がします。ご家庭でのトラブルが体の不調の原因になっている場合もあるので、家庭内の「交通整理」も一緒にしていく感じですね。患者さんから「おせっかいおばさん」と呼ばれることもあります(笑)。

何でも話せる「かかりつけ医」として心強い存在です。

そう思っていただけるとうれしいです。昔は周りに小児科が少なくて赤ちゃんも診ていたのですが、今はその子たちが親になって子どもを連れてきてくれます。4世代にわたって診ているご家族もいらっしゃるんですよ。ここは下町の雰囲気そのままの昔ながらのかかりつけ医ですね。大きな病院への紹介状もよく書くのですが、患者さんは病院では「借りてきた猫」になるみたいで、話をあまり理解していないことがあるのです。今は病診連携でインターネットでいろいろな情報を見られるのでそれを確認してかみ砕いて「こう言われたでしょ?」と言うと、「あら、そういうことだったのね!」と。当院は架け橋のような存在でもありますね。

患者の話を「聞く・受け入れる」ことを第一に

患者の話を「聞く・受け入れる」ことが先生の医師としてのスタイルなのですね。

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話すことで患者さん自身も納得されるので昔からそうしてきました。現代主流の「とりあえず問診票に印をつけてもらってコンピューターで打ち込む」というのは向いていないみたいです。こう見えて私は、大学に入るまであまり自信がなくて口数も少なく、聞かれたことしか答えない子でした。だから患者さんも若い頃の私のように言いたくても言えないんだろうなと感じてしまうのです。また、渡米していた3年間、さまざまな人たちと、国や職業の関係なく同じ目線で話をしていた経験が身についているのかもしれません。

ほかに、心がけていらっしゃることはありますか?

診察室に入ってこられるときの歩き方や姿を拝見した上で、「どうされました?」と伺い、どのような言葉が返ってくるかで対応や言葉遣いをある程度決めています。たとえ一つ病気が見つかっても、必ず一つじゃないだろうと思っているので、どなたもおなかまで診るようにしています。目で診て、聴診器を当てて聴いて、おなかを触って、血圧を測る。それらで得られる情報は本当に多いのですよ。聴診器を当てれば不整脈にも気がつけるし、血圧を測れば、その際もう一度脈が取れます。胸の音も前からと後ろからと聞けば2回確認できますよね。診断のための機会は多いほうがいいのです。

こちらでは希望者に「終末期の医療・ケアについての意思表明書」を渡していらっしゃるそうですね。

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高齢の患者さんも多いので、治療において何をしてほしいかしてほしくないか確認できるようにしています。人生の最期に管を入れるか入れたくないかなど必要事項を記入していただいて、ご家族にも内容を把握してもらいます。例えばがんの末期だと、手術をすることで寝たきりになってしまうかもしれません。だったら最後まで食べられる状態でいられるほうを選びたいという方もいらっしゃいますし、長引かずに死にたいという方もいらっしゃいます。ご自身の尊厳を守るために最低限これは用意しておいたほうがいいということでお渡ししています。意識不明のまま救急車で病院に運ばれたら医師は救命が仕事ですのでいろいろ管をつけることになりますが、この証明書を持っていることで患者さんご本人の意思表明ができるのです。

信頼関係があるからこそ終末期のお話もできるのですね。

父を自宅で看取ったのですが、最後まで点滴を拒否したんです。自分が食べられる間だけでいい、それ以上何もするなと。それで本当に水も飲めなくなって3日目に亡くなりました。私はそれで人生観が変わったのです。以前は人間最後まで心臓マッサージを頑張ろうという考えでしたが、もしかしたらしなくてもいいのではないかと感じてしまうほどでした。個々の人生観によりますが、最後くらい自分のポリシーに従ってもいいようにも思います。

高齢になっても患者を支える安心できる医院として

現在は、先生の次女である篠塚怜衣先生が診療に加わっていらっしゃいます。

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はい、長女も次女も医師となりました。怜衣先生は名古屋第一赤十字病院はじめ北海道や岐阜のへき地の病院で2ヵ月ずつ診療し、2人目の子どもの出産を機に名古屋に戻ってきました。小さい頃から喘息があって病気も多く心配でしたが、患者さんのことは親身になれても自分の子にはどうしても「寝ていなさい」となってしまいます。それでも私が診療や薬を処方していたこともあって私と同様に呼吸器内科を専門にしています。大きな病院とは違う開業医の良さを感じてくれているようで、私と患者さんとの近しい関係を「見習いたい」と言ってくれており、うれしいですね。私のほうも病院の先進的な医療を教えてもらうなど助かっています。

今後のことについてお聞かせください。

怜衣先生の夫が耳鼻咽喉科の医師ですので、いずれは隣地に医院を建て替え、3人体制で診療を行いたいと考えています。高齢になるとどなたでも難聴を患うものですが、耳鼻咽喉科と呼吸器内科が一つの医院にあることで、移動の手間なく、鼻から肺まで気道をすべて診て治療できるので患者さんには便利に感じていただけると思います。めまいも、耳鼻咽喉科の領域になるものと内科の領域になるものとがありますが、両方の科があれば診断が早いですね。診療面の幅が広がることで、より「0歳から100歳まで」の理念に近づけます。父がしてきたように、地域の皆さんの健康をずっと支え続けていきたいと考えているので、今の患者さんたちを若い娘夫婦に引き継ぐことができて安心です。

最後に読者に向けてのメッセージをお願いします。

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たとえ病気が良くなっても不幸せな人もいるし、逆に病気が悪くても幸せな人だっています。だから病気だけにとらわれないで、全体像を見て精一杯楽しく人生を送ろうよというのがスタンスです。みんな等しく人生にはゴールがありますので、精いっぱい楽しんで、自分が満足できれば心残りにならないのかなと。医師というよりお坊さんの台詞ですかね(笑)。

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