阿部 行宏 院長、古屋 秀和 先生の独自取材記事
山の下クリニック
(新潟市東区/新潟駅)
最終更新日:2025/06/24

地域では“山の下”と呼ばれるエリアにある「山の下クリニック」。その歴史は1949年開業の「阿部内科小児科医院」にさかのぼり、「阿部胃腸科内科医院」を経て2021年に現在の名称となった。場所や医院名を変えながらも、80年近くにわたって、この山の下地区のかかりつけ医として歩んできた。2010年に父から同院を継承し院長を務める阿部行宏(みちひろ)院長は、内科全般と訪問診療にも力を注ぐ。2025年4月からは、常勤医として古屋秀和先生が加わり、体制を強化。志をともにし、地域医療に尽力する2人の医師に、同院の診療内容や地域医療にかける思いについて話を聞いた。
(取材日2025年5月19日)
80年以上にわたり地域医療に貢献、在宅医療にも尽力
こちらは、3代にわたって80年近く診療を続けている歴史のある医院だそうですね。

【阿部院長】祖父の代も、父の代も往診や訪問診療にも熱心に取り組んでいました。きっと地域に根差して「最期まで診てあげたい」という気持ちで医療に従事してきたのかなと思います。患者さんの中には祖父の代から診てもらっているという方もいらっしゃって、地域に必要な医師だったんだなと感じることが多いんですよね。患者さんの年齢層は幅広く、家族ぐるみ、親族ぐるみという感じの方が結構いらっしゃいますが、長年診療を続けているので高齢化はしてきています。私自身は、2010年に父から院長職を継承しました。内科全般を診る「地域のなんでも相談所」をめざしています。
2021年に移転、改名されたのはなぜなのでしょうか?
【阿部院長】昔ながらの医院だったので、プライバシーの問題などもあってスペースをもう少し取りたかったことと、建物も不具合が出て、建て替えも考えなくてはいけなくなっていたので、移転することにしました。できれば近いところでと思っている時に、現在のこの場所が空いたので決めました。私が継承した時は「阿部胃腸科内科医院」という名称だったんですが、今は医院名に“胃腸科”が使えなくなってしまったのもあって名称変更することにしました。その時ちょうど、地域包括ケアシステムの“山の下ねっと”を立ち上げスタートさせていましたし、地域に寄り添った診療を心がけておりましたので地域の名前を入れたクリニック名にしました。
在宅診療に注力されているのも、こちらの特徴かと思いますが、どのような思いで取り組んでいますか?

【阿部院長】高齢者の多くは「最期はおうちで迎えたい」という想いがあるかと思いますが、最期だけでなく、そこに至る過程も重要と考えています。皆さん、病院ではなく、家族のいるおうちで過ごしたい方が多いんですよ。それを踏まえた上で、最期の時までどうサポートをしたら良いのかを考えることが大切だと思っています。がんの告知にしても、一昔前はそもそも告知をするのかどうかという時代でしたが、今は患者さん自身がしっかりと死と向き合いながら、どうしていきたいのかを考えられる時代になっていますよね。医療者もご家族も死に対する恐怖心というものは、当然ありますが、誰しもに必ずおとずれる死から目をそらさずに、患者さん一人ひとりの思いに寄り添って対応していくことが大事だと考えています。
志をともにする医師が加わり、より柔軟な体制に
2025年4月から古屋先生が常勤医師として加わられたそうですね。

【古屋先生】はい。私はもともと昭和大学病院(現・昭和医科大学病院)で勤務していたのですが、在宅診療をやりたいという想いがありました。地域の医療介護連携が重要ではないかと考えていて、当時の上司に阿部院長を紹介していただき、オンラインでお話しさせてもらったのが始まりです。その後、在宅医療に携わっていく中で、東京の品川区で医療と介護をつなげる会を自分で立ち上げました。2年ほどたって阿部先生に状況を報告しなくてはと思っている時、家庭の事情で新潟に移り住むことになり、「そういうことなら一緒にどうですか」とお声がけいただきました。
古屋先生がこちらで働くに至った決め手は何だったのでしょうか?
【古屋先生】新潟に来ても、在宅医療に携わりたかったんです。クリニックで勤務医をする道も考えて探してはみましたが、自分のめざしていることに近いところが全然なかったんですよね。そんな時に阿部先生にお声がけいただいたんです。自分のやりたかったことを先陣を切って取り組んでいる方なので、これはもう行くしかないと思いました。大学病院で勤務していた時、私は患者さんが何に困っているのかをひたすら考えながら診療していたのですが、患者さんの多くは、自宅での生活に不安を抱え、困っておられたんです。患者さんが幸せに安心して暮らしていくためには、病院での治療が終わった後も、在宅医療でサポートする体制が必要だと強く思っていたんです。阿部院長と何回かお会いして話していると、考えが共通しているところがとても多く、これなら自分がしたい医療に取り組めるのではないかと感じました。
お二人の専門分野について教えてください。

【阿部院長】私の専門は消化器内科です。昭和大学を卒業後、消化器内科医として長年研鑽してきました。ただ、消化器に絞っているわけではなく、骨粗しょう症や認知症の診療にも対応していますので、内科全般が専門と考えていただけたら良いのかなと思いますね。
【古屋先生】私は大学病院で長年リウマチ・膠原病内科医として診療にあたってきました。膠原病は全身いろんなところに症状が出てくる病気で、受診の契機として関節の痛みやこわばりがきっかけになる方が多いですね。あとは感染症ではない原因不明な熱が続く場合は膠原病が隠れている場合があるので、受診をしていただければと思います。当院のリウマチ・膠原病を専門に診る外来では、迅速に診断をつけ、必要に応じて専門の医療機関へ紹介させてもらいます。
地域の相談所として不調を幅広く診る
2013年に阿部院長が立ち上げた「山の下地域包括ケアネット」について教えてください。

【阿部院長】在宅診療をしていく上で、生活を支えるには、私たち医師だけでは成り立たないんですね。訪問看護の方やケアマネジャーさん、ヘルパーさんが日々のケアをサポートし、福祉用具の専門家が、ベッドや手すりの設置といった生活環境を整えています。私たち医師が医療を提供するその背景には、生活を見てくれている多くの人たちがいるわけです。患者さんが安心して暮らしていくためには、地域内の医療機関・介護・行政が密接した連携がとても重要です。そこで、医療・介護に従事する人たちがより円滑にスムーズな連携できるよう、互いの顔が見え、情報を共有し、信頼し合える場をつくろうという想いで、このネットワークを立ち上げました。
医師として大切にされている信条などがあればお聞かせください。
【阿部院長】治療法について、医師が「こういうことができますよ」というのは、あくまで医師側の提案ですから、患者さんへ押しつけるつもりはありません。特に在宅医療においては、患者さんご本人やご家族がどういう生活を送りたいかが一番大切。最期をどのように迎えたいのか、しっかり耳を傾け向き合っていきたいと考えています。
【古屋先生】治療の目的と手段を見誤らないようにすることですね。リウマチ治療では関節の腫れや痛みの軽減をめざしますが、患者さんが困っているのは、そのせいで料理ができなくなってしまっていることだったりします。治療は目的ではなく手段。それをもって患者さんの困り事をなくし、生活を守っていくことが大切です。あと、患者さんを何百人と診ていると、同じ程度力をかけられない時があります。しかしその人からしたら、私たちはたった一人の主治医ですから、同じように力をかけていかないといけないと思っています。
今後の展望と、読者へのメッセージがあればお願いします。

【阿部院長】地域に根差したクリニックであるということは変わりはありません。私一人だとどうしても限界があるので、在宅診療は限定したエリアだけの対応でしたが、古屋先生が来てくれたので今後はエリアを広げて、時間的にももう少し柔軟に対応していけたらと考えています。困った時はなんでも相談してください。できることは当院でしっかり対応し、できない時は必要な機関におつなぎいたしますので、地域の相談所、医療の窓口として頼りにしていただけたらと思います。