釜萢内科小児科医院 

釜萢内科小児科医院 

中村 豊先生

頼れるドクター

60764

JR東海道本線藤沢駅北口から徒歩10分足らず。藤沢小学校へ向って繁華街を抜けたところにある「釜萢(かまやち)内科小児科医院」は、院長の代から50年以上地元の人々に親しまれてきた医院である。3代目にあたる中村豊先生は、“真面目”という言葉がそのまま人柄に現れたようなドクターだ。目の前の患者と真摯に向き合い、いつでも一生懸命。そんな中村先生を心から信頼して、「いざとなったらここしかない」と、遠くから訪れる患者も少なくない。「毎日が真剣勝負なので、なかなか笑顔になれなくて」 と言いつつも、時折とっておきの笑顔を交えながら、一心不乱に学んだ学生時代から今後の抱負まで、たっぷり熱い思いを語ってもらった。(取材日2016年2月16日)

父が死の間際に遺した一言が進むべき道を教えてくれた

―院長であるおばあさまの代から、地域に根ざした医療をされてきたそうですね。

はい。今年91歳になる院長の祖母が小児科を開院したのが、かれこれ50年ほど前のことでしょうか。同じく小児科医である母が副院長を務め、長年やってきた「釜萢小児科医院」を、2002年に私が引き継ぐ形で「釜萢内科小児科医院」として開業しました。今は私がメインで診療を担当していますが、診察室自体は2つあるので、時々副院長と2人で患者さんを診ることもあります。祖母の代から築いてきた信頼関係も引き継がせていただき、地域の皆さんに来ていただけるということは本当にありがたいですね。

―生い立ちをお聞かせください。

祖母も両親も医師をしていたので、生まれた時から「あなたも医師になるのよ」という雰囲気の中で育ったからか、物心ついた時には当然、自分も医師になるのだと思っていましたね。この仕事に就こうとはっきり決心したのは、小学校高学年の頃でしょうか。医学部に進学してからは、自分で言うのも変ですが、とにかく勉強一筋の毎日でした。なにしろ6年間の学生生活が終われば、研修医として命の現場に携わることになるので、今のうちに学べることはすべて学んでおかなければという気持ちで、毎日必死でしたね。この頃の努力の積み重ねが今の自分をつくっていると言っても過言ではないと思っています。

―なぜ、内科・小児科を選ばれたのでしょうか。

大学を卒業する直前に、それまで一番尊敬していた父が亡くなりました。その時に父が言い遺した「この家を頼む」という一言が運命を変えたというか……。学生時代はずっと内科と脳神経外科がいいなと思っていて、漠然と専門はそれでいくつもりでいたのですが、父のその一言で自分の進むべき道が決まったように思います。父のようにどのような患者さんでも診られるような医師になりたいと思い、大学を卒業後の2年間は、研修医として、内科や小児科だけでなく、外科、皮膚科、口腔外科、救急など、ありとあらゆる医療を学ばせていただきました。

記事更新日:2016/03/01

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