吉野医院

吉野医院

吉野 雅武院長、吉野 雅則副院長

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浦和駅から徒歩7分。「吉野医院」は1940年に開院して以来、浦和駅周辺における地域住民の良き「かかりつけ医」であり続けてきた。80歳を越えてからも現役で昔ながらの温かいコミュニケーションによるいわば「無形の治療」を施す2代目の吉野雅武院長。院長の息子で、最近まで大学附属病院に所属しており、特に、がんや消化器内科分野の豊富な医療知識が頼れる吉野雅則副院長。新旧の良さを生かした体制を持ち、地域に根付いているからこそ、自分たちを良く見せたり、必要とされる以上に患者を呼び込んだりしようとはしない。2017年の5月にリニューアルした院内はシックで清潔だ。長く歴史がある良心的な診療方針をゆっくりと聞かせてもらった。
(取材日2017年6月3日)

どんな人も受け入れ、地域全体から愛されてきた医院

―開院は1940年。歴史の積み重ねがあるクリニックですね。

【院長】創始者である父、吉野佐次は、貧しい人のために医療を施す人物でした。古くから通っていた近隣の患者さんたちはそんな父のことを「先生は、裕福ではないおれたちからお金を受けとらずに診てくれていた」と言っていましたね。これは父だけが慈善事業をしていたのではなく、医者というのは本来は地域にとってそういう存在であり、もうけは出ずとも、暮らしていければ良いものだった。「医は仁術」の時代だったのかもしれません。私のように大学で研究する道に進めば、40歳ぐらいまで無給で当たり前という時代でしたからね。ゆとりがない人はならない職でもあったんです。だからこそ、できることもあります。私や息子という2代目、3代目はそうして、当院を気に入ってもらえた患者さんを診て差し上げれば良い。そう思います。

―院長、副院長とも、継承されたこのクリニックを大事に思われている印象です。

【院長】私は東京医科歯科大学で、恩師と共に小児外科というジャンルを国内で立ち上げることに携わっていました。そんな中で父が急逝し、思ってもみないようなタイミングで継がねばならなくなったというのが正直なところです。町の診療については右も左もわからない私に、当時の医師会の会長の方が「親父が大事にしてきた病院なのだから、継いだらどうだ。サポートをしよう」と愛情をこめて声をかけてくださったのです。
【副院長】当時、私は10歳。直前まで元気だった祖父が突然に亡くなり、父は本当に大変そうでしたね。祖父は幼い私を碁会所などいろんなところに一緒に連れて行ってくれました。帰りは、商店街のあちこちに挨拶しながら来るものだから、10分ぐらいで歩ける距離を、1時間以上もかける。「おじいちゃんと歩くと長いんだよなあ(笑)」なんて思いながらも、町の人たちに広く愛されていた祖父のことを誇りに思っていました。

―創始者が市井の人たちに尽くし、町の人から愛されてきた医院。その歴史から、診療方針が見えてもきます。

【院長】恩師の方針でアルバイトもせずに小児外科に打ち込んだので、初めは風邪の診療にも慣れませんでした。医療に慣れはないため、いまだに慣れることはありませんが、気を抜かずに済むので、それで良いと考えています。留学もさせてもらい、勉強は積み重ねてきていますから、診療や他院との連携そのものはシンプルな方針でやってきました。専門的に他院で治療したほうが良い患者さんには、私と同等以上に勉強を重ねたと信頼する先生のいる病院に送って差し上げます。あとは、何気なく見える会話も診療の一端というつもりでいるんですよ。例えば、転ばないように気をつけなさいよ、そういった一言で、高齢者の場合には大変なことにもなりかねない転倒を防ぐことができればと思っています。病気は、悪くならないうちに防ぐのがいちばんですから。

記事更新日:2017/06/22


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