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飯原 啓介 院長の独自取材記事

飯原医院

(大阪市東淀川区/上新庄駅)

最終更新日:2024/04/24

飯原啓介院長 飯原医院 main

阪急京都本線上新庄駅、大阪メトロ今里筋線の瑞光四丁目駅からともに徒歩10分。静かな住宅街の中に「飯原医院」はある。1966年の開業以来、地域の診療所として、今も近隣に住む人々から厚い信頼を集めているという。先代の飯原啓吾氏がこの地に同院を構え、現在は息子である飯原啓介院長が後を継いで、日々、診療と治療や日帰り手術にあたっている。飯原院長は、1997年4月~2024年4月までに、1万5000件以上の内視鏡検査、5000例以上の肛門手術を手がけてきた大腸・肛門外科のエキスパート。同院には山陰や九州から足を運ぶ患者もいるという。そんな飯原院長が同院の特徴や治療へのこだわり、「今でもかなわないと思う」という父との思い出を話してくれた。

(取材日2017年11月9日/情報更新日2024年4月15日)

1966年開院、地域に根差して診療を続ける

歴史を感じさせる建物ですが、医院の成り立ちから教えてください。

飯原啓介院長 飯原医院1

ここは外科の医師だった私の父が、1966年に開院した医院です。私は大阪大学の医学部を1985年に卒業した後、大学に残って研鑽を積み、それから箕面市立病院で勤務し、その後大学に戻り4年ほど研究。その後は市立豊中病院に4年勤務し、1997年に当院に帰ってきました。だからここに戻ってからは、もう27年になります。父は2001年に大病をしまして、その頃から私がメインでやるようになりました。大学生までこの辺りに住んでいましたし、医師になってすぐの頃からここの外来の手伝いもしていたんです。この街を離れていた時期が長くはなかったので、戻ってきたときは実家に帰ってきたような気持ちでした。

医師であるお父さんから受けた影響も、大きかったのではないですか?

自分ではなかなか実感しないものですが、大きかったでしょうね。息子の立場から妙な言い方ですけど(笑)、父はよくできた男で、今思い出しても、かなわないなと思うことは多いです。人付き合いが良くて、物事を俯瞰的に見られるし、目先の利益で動かない。「これは、こうするべきだ」という芯をしっかりと持っていました。開業していると、経営のことも考えないといけないので、ついつい易きに流れてしまいそうになることもあります。でも父は、自分の芯がぶれない人でした。「医師は食わねど高楊枝」とでも言いますか。そんな父の姿勢は、私の医師としての礎にもなっています。

先生のご専門の分野は何でしょう?

飯原啓介院長 飯原医院2

父もそうでしたが、私も専門は消化器外科です。大学では食道の研究室にいて、のちに近畿大学で学長も務められた塩崎均先生のもとで、勉強をしています。その後、市立豊中病院にいたときに、たまたま大腸の先生が入れ替わる時期に重なり、その頃から医長として大腸、肛門の疾患を中心に診るようになりました。従来より父も、肛門の病気の診療に力を入れていて、ここにはそういう疾患を抱えた患者さんが多く来られていました。当院に戻ってきてからは、それを引き継ぐという形をとっています。

肛門疾患の手術に日帰りで対応

力を入れている肛門、大腸の治療について教えてください。

飯原啓介院長 飯原医院3

肛門疾患の手術は、父の代から力を入れています。最近の肛門の手術は、日帰りが主流になってきており、当院でも日帰り手術で対応しています。肛門の診療に関しては、紹介やクチコミだけでなく、インターネットで検索された方が、結構遠方からも来院されます。遠い方では島根県の出雲や、熊本から来られた方もいらっしゃいました。手術自体は日帰りで行いますが、その後に通院していただく必要があるため、遠方からお越しいただいても、通院が不可能であれば、手術をお受けするのは難しいと思います。

どういった症状や状態で来られる患者がさんが多いのですか?

当院にはお尻が痛い、出血しているのに診断がついていないという状態で来られるケースが多いです。そういう場合は早く診断をつけて、次の治療に移るということを意識してやっています。急に出血したからと受診しても、大きい病院だと内視鏡検査の予約が取れるのは1ヵ月先ということもあります。明らかに不調であるのに、1ヵ月も今のままの状態でいるのは、患者さんにはきっと大きな不安ですよね。当院でしたら急を要する場合は、その日のうちに検査するということもできます。そのスピード感は、こうした地域に根差した町の医院ならではの特徴だと思います。

肛門、胃腸分野のほかにも整形外科、内科など診療内容は多岐にわたっていますね。

飯原啓介院長 飯原医院4

内科は、神経内科、循環器内科の専門の先生に、外科では整形外科と消化器外科の先生に手伝いに来てもらっています。私とほかに5人の医師がいますので、だいたいのことはここで対応できています。近隣の医院との連携も図っていまして、近くの開業医さんからご紹介されて、内視鏡の検査や手術が必要な患者さんが来られることもあります。患者さんにとってベターであるなら、当院から近隣の医院をご紹介することもできますし、より高度な手術や治療が必要であれば、大きな病院をご紹介します。当院は町の診療所ですから、「よろず屋」みたいなものです(笑)。何か体に不調を感じたら、まずはお越しいただければと思います。

4世代にわたって一家を診ているのは医院の財産

街の診療所の医師として、どんなことにやりがいを感じていますか?

飯原啓介院長 飯原医院5

地域で50年以上診療してきましたから、親からひ孫まで4世代にわたって来院されるご家族もいらっしゃいます。昔からの患者さんと、そのご一家を診させていただけるのは、この医院の一つの財産かなと思います。一人の患者さんと長い付き合いができるのは、ありがたいことですね。でもその一方で、日帰り手術をしているので、手術をして通院治療が終わったらそこまでという患者さんもいます。長く来院されている患者さんがいながら、そういう一期一会の患者さんもいる。私としては患者さんとのご縁を続けていきたい気持ちがあるので、自分のなかで意識の切り替えをしないといけないのは、難しいところです。

医師として患者さんと関わってきた中で、印象深いエピソードはありますか?

一般の患者さんではなく父のことになりますが、父は最後の10年に5つのがんのほか、胃の悪性リンパ腫、不整脈といくつも大病を患いました。咽頭がんと食道がんは昔に食道を勉強していた私が、そして胃の悪性リンパ腫は塩崎先生に相談して、先生のところで一緒に勉強していた医師に診断をつけてもらいました。どういった治療をするかを、人のつながりでその2人と僕、父も入れて相談しながら治療を進めていたんです。心臓に関しては現在、国立循環器病研究センターで院長をしている弟も一緒になって、父と息子2人で治療の方針を決めながら進めました。ですが最後の最後は、肺がんを見つけるのが遅くなってしまって……。父は病気と闘っている間も、つらいなど弱音は一切口にしませんでした。周りに対しての、気遣いだったんだと思います。父にかなわないのは、そういったところもあります。

プライベートのお時間は、どんなことでリフレッシュしていますか?

飯原啓介院長 飯原医院6

最近は大阪市東淀川区医師会の理事の仕事も多忙でなかなか時間を割けていないですが……。そのときそのときでマイブームがあるので、リフレッシュしています。最近までは落語にハマっていて、多いときは年に50回くらい聞きに行きました。落語って旅の話がよく出てくるんです。昔の東海道とか、お伊勢さんの話も多いです。それで昔の街道筋ってどんなだろうと思って、街道歩きに凝っていた時期もありました。東海道は暗峠(くらがりとうげ)を越えて名張の辺りを通ってお伊勢さんを経て、四日市くらいまで。山陽道は姫路の向こうくらいまで行って、中山道は伊吹山の辺りまで。南は高野山まで歩きました。大阪の近辺の街道は結構歩きましたね。特に何も考えずに歩くのがいいリフレッシュになりました。一時期より回数は減りましたが、今でも落語は聞きに行っています。

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