高島・山田クリニック

山田 眞 院長

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東急世田谷線の「松陰神社前」駅から商店街を徒歩3分。住宅街の入り口にクリニックはある。エントランスの脇には山田眞院長お手製のポストが設置され、アットホームな雰囲気だ。院長の得意は心臓血管外科で、昭和大学の助教授を務めていたこともある。珍しい「ペースメーカー外来」を開設しており、電池交換の日帰り手術を受けることが可能。患者の根気とやる気を引き出す、小まめな対応が必要な高血圧の治療には、20分以上もかける丁寧な説明で挑む。そんな姿勢が支持され、大学病院の勤務医時代から通算30年以上受け持っている患者もいるという。「学生時代はジャズ・オーケストラでトランペットを吹いていた」というから洒落ている。
(取材日2013年10月22日)

学生時代はジャズトランペットに熱中

―ご出身はどちらですか?

新潟県の豊栄市(現在は新潟市北区)です。といっても2〜3歳ぐらいまでいただけなので、当時の記憶はまったくありません。父が勤務医で、各地の大学病院や診療所を転々としていたため、転居が多かったのです。その後、父は府中市で産婦人科と内科のクリニックを開業しましたので、6歳からは府中市で育ちました。もしかしたら、私の小学校入学を機に開業したのかもしれませんね。父は私が中学1年生の時に亡くなりました。なので、医師がどういう仕事だとか、将来何になりたいかとかいった話は、一切したことがありません。話せていたらよかったですね。

―医師を志したのはお父様の影響だと思いますか?

それが、そうでもないんですよ。私は小さい頃から日曜大工が大好きで、友達とキャッチボールや野球をして遊ぶ以外は、暇さえあれば、本棚やイスなどをせっせと作る木工少年でした。べつにめずらしくないと思いますよ。当時はものがない時代ですからね、何でも自分で作るのはあたりまえ。ただ、私はそういうことが本当に好きでした。特別に手先が器用というわけではないけれど、切ったり削ったり、デザインしたりするのが楽しかったのです。そこで中学生の時、医学は日曜大工に通じるものがあるなと感じて、医師になろうと思いました。なかでも解剖に興味がありました。あとは、母も歯科医師でしたから、医師になったのは、ごく自然な成り行きとも言えます。

―どのような学生でしたか?

勉強熱心ではなかったかもしれませんね。代わりと言っては何ですが、ジャズ・オーケストラのクラブに入って、トランペットを吹いていました。覚えている限り、学生時代にやっていたのはそれだけです。(笑)。リサイタルをやったり、学生バンド対象のコンクールに出たりね。未だに夢を見ることがあります。自分は舞台に立っていて、これから全然知らない曲とか、練習したことがない曲をやらなくてはならないとパニックになっている夢です。実際には、そんな経験は一度もないんですけどね。それだけ緊張感を持って取り組んでいたのでしょう。バディ・リッチ楽団とかカウント・ベイシーとかね、大好きでしたよ。それで練習の後は毎晩のように、大学がある旗の台でお酒を飲んで。若かったから、お酒も強かったですよ。充実した学生生活でした。トランペットはどこかに失くしてしまいましたが、当時の友人とは今も付き合いがあります。

記事更新日:2016/01/24


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