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待木 信和 院長の独自取材記事

待木医院

(足立区/竹ノ塚駅)

最終更新日:2020/05/12

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竹ノ塚駅から徒歩7分、60年以上地域に根差し、数多くの母親と新生児、その家族を支えてきた「待木医院」。ナチュラルモダンな待合室から望める手入れの行き届いた中庭には、四季折々の植物が花を咲かせる。2代目院長の待木信和先生は、産婦人科の医師として大学病院でさまざまな研鑽を積んできた誇り高きスペシャリストだ。初代院長である父から大きな影響を受けたといい、「一人ひとりの立場になる」「どんな状況でもベストを尽くす」という診療姿勢をしっかりと受け継いでいる。そんな待木院長に、診療への思いや亡き父から教わったことなど、余すところなく語ってもらった。
(取材日2018年8月22日)

安心のため、24時間2人体制に。自家発電装置も完備

とても歴史のある医院だそうですね。

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父が1958年に開業してから60年以上、地域の方々とともに時間を過ごしてきました。増築のほか、竹の塚周辺での移転リニューアルを3回ほど行い、現在に至ります。この建物は9年前に改装しました。私は生まれも育ちも足立区竹の塚で、小さい頃から町の変化を見てきましたが、足立区は出生数が都内でも多く、比較的、若年者の出産が多いことが特徴ですね。私自身は獨協医科大学を卒業後、長く東京慈恵会医科大学におりました。もともと当院を継ぐつもりでしたので、1998年に大学をやめて、当院での診療をスタート。2005年に父が亡くなるまで、父と一緒に診療を重ねてきました。

診療において大事にされていることは何ですか?

一人ひとりの立場になってお産を考えることです。一人の妊婦さんが私を頼って来てくださっているわけですから、その方に対して何をして差し上げられるかを念頭に置いています。医師にとっては多数の患者さんのうちの一人ですが、その方にとって主治医は一人。だからこそ、いかに患者さんの悩みや苦しみを分かち合えるかが大切だと思うのです。妊娠・出産という人生の大事な部分を素晴らしいものにするための手助けをするのが、産婦人科の医師の仕事。当院では自然分娩を基本にしながら、安心して安全に出産していただけるようサポートするため、24時間、医師2人体制を敷いています。また、これまでの多くの経験を生かして、個々人に合ったアドバイスができるのも当院の強みだと自負しています。

「安心・安全」のために、ほかに行っていることはありますか?

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中庭の裏に、自家発電装置を備えています。東日本大震災が起きた時、この地域も計画停電などがあって、医療機関で電気が止まってしまうことの怖さを感じたので。災害時、電力会社からの供給が止まって数秒以内に動くようになっており、院長室など一部電気が通らない部分もありますが、院内はすべて、この自家発電で動かすことができます。停電が怖いのは、医療機器が動かなくなることに加え、電話が通じなくなる、一部給水ポンプを使っているため水も出なくなるといったことで、医院としては大きなダメージになります。特に産婦人科は24時間対応が必須なので、「患者さんにとってプラスになることを」と考えたときに欠かせないものだと思い、設置しました。幸い、実際に使うケースはほとんどありませんけれどね。

父から教わった「医師としてのあるべき姿」

先生は子どもの頃から医師をめざしていたのですか?

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実を言うと、子どもの頃は医師になりたいとは思っていませんでした。父はもともと海軍兵学校におり、終戦で復員して医師になったのですが、父から軍隊の話を聞いていましたから、一番なりたかったのは戦闘機のパイロットなんです。2番目になりたかったのは、カメラマン。写真が好きで、小さい頃からカメラに凝っていたんですね。でも才能がないとわかっていたので諦めました(笑)。3番目になりたかったのは、気象予報士。気象が好きで、天気図を自分で描いたりしていました。でも私は勉強があまり好きではなかったし、実現できるようなレベルでもなかったので……。4番目になりたかったのが医師です。

そうだったのですね。お父さまからはどんな影響を受けましたか?

ずっと父の背中を見て生きてきたので、父から学んだことは多いですね。父が開業した当時、足立区には医療機関が少なかったので、町の医院としてさまざまな診療科を診ていました。また子どもの頃、海へ遊びに行った時など、父は溺れている人を率先して助けるようなタイプで、何人かの命を救ったことも。そうした姿を目の当たりにする中で、父から教わったのは、“医師であるならば、どんな状況でも人の命を助けるべき”ということ。私が医学部に入った後、父から言われたある言葉が、今でも私の信条となっています。

それはどんな言葉ですか?

父の具合が悪くベッドで寝ていたとき、「もし俺が山道でこうやって倒れていたとしたら、お前はまずどうする?」と。その時、私は何も持っていなかったので、まず心臓が動いているかを確認しようと、心臓に耳を当てました。すると父は「お前に医師になろうとする気持ちがあって安心した。『聴診器がないから心臓の音が聞けない』なんて言ったら怒るところだった」と言ったんです。つまり、たとえ道具がなくても、医師であるなら自分の目や耳、手を使って、どんなときでも困っている人を診て差し上げるべき、ということ。私は医師になって以来、この気持ちをずっと持ち続けています。ですから当院は、妊婦検診やお産、婦人科疾患の診療などがメインではありますが、内科や外科も標榜していますから、特に父と一緒に診療していた頃は、「困っている人がいたら助ける」という信条のもと、高血圧の治療や盲腸の外科手術、巻き爪の治療などにも対応していました。

先生は、医院で使う食材や備品などを、地域の業者に依頼なさっているとも伺いました。

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長い間この場所にいるので、地元の方々に対して医療で還元したいという思いが強いんです。患者さんはもちろん、業者の方に対しても同じ気持ちですね。また、私は「家族から愛される医院」になりたいと、いつも思っています。私が考える「愛される医院」とは、一人の女性がここで出産し、その娘さんもここで産み、またその娘さんも……と、代々来ていただけるような医院。それが町の医院としての一番の喜びだと思っています。

分娩中は「目を開けて」

月1回、母親学級や両親学級を開催されていますが、どんなことを伝えているのでしょう?

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母親学級では、お産の方法などを私から説明することはありません。なぜなら、さまざまな知識を得ても陣痛の痛みですべて吹き飛んでしまうからです。私が話すのは2つだけ。一つは「お母さんが苦しい時は赤ちゃんも苦しい。自分だけが苦しんでいると思わないでほしい」ということ。もう一つは「分娩中は目を開けていてほしい」ということ。人間はおなかが痛いと目を閉じて背中を丸めがちですが、目を閉じていると陣痛の痛みにどんどん追い込まれてしまう。こちらが何か話しかけても、聞く耳を持たなくなってしまうんですね。目を開けてさえいてくれれば、周りの人の顔が見えて、意思の疎通が取れるので、呼吸の仕方などをその場で教えられます。一方、両親学級のときは、主にお父さんに向けてお産の詳細を話します。出産の“主役”であるお母さんは痛みで吹き飛んでしまうから、“名脇役”であるお父さんがしっかり勉強してくださいと伝えていますね。

今後の展望についてお聞かせいただけますか?

現在、産後のお母さんを対象に、入院中に1回エステのサービスを行っているのですが、プラスアルファとして産後のケアに取り組んでいきたいです。それから、赤ちゃんがお母さんのおなかの中から生まれて、ある程度大きくなるまでトータルで診られればと考えており、将来的には例えば保育施設をつくるなど、女性が安心して出産できるような環境を整えたいと思っています。

最後に、読者へメッセージをお願いします。

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妊婦さんは、「妊娠したら体重が増えてもいい」と考えるのではなく、きちんとコントロールして、ぜひ“すてきな自分”を保ってもらいたいですね。また、小さな赤ちゃんがいる方に伝えたいのは、赤ちゃんは大人と違うことがたくさんあるけれど、基本的には同じ人間ということ。それを忘れないでほしいです。例えば赤ちゃんの顔に湿疹ができて、すぐに薬をもらいに来る方がいらっしゃるけれど、「赤ちゃんだから」ときちんと洗顔していない場合があります。大人だったらまずはしっかり洗顔しますよね? 自分に当てはめて、自分だったらと考えて赤ちゃんのお世話をしてあげてほしいです。同じ人間なのですから。

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