木村 繁 院長の独自取材記事
木村耳鼻咽喉科医院
(足立区/西新井大師西駅)
最終更新日:2025/06/13

1972年の開業以来、足立区・江北地域で頼りにされてきた「木村耳鼻咽喉科医院」。1934年生まれの木村繁院長は、対話を診療の柱に据え、患者の背景まで理解して病気と向き合うことを心がけてきた。よりどころとするのは、母校の教えである「病気を診ずして病人を診よ」の精神。2024年にはそれまでの隣地に建物を移してリニューアル。90歳を過ぎた木村院長の原動力は、足立区への郷土愛に他ならない。親しみやすい雰囲気でありながら、患者のために労を惜しまない姿勢を貫いてきた木村院長に、診療で大切にしていることや地域への思いなどについて話を聞いた。
(取材日2025年3月12日)
地元を愛し、住民の健康を見守って半世紀
先生はなぜ耳鼻咽喉科の医師になろうと思われたのですか?

実は、最初は外科に進むつもりだったのです。東京慈恵会医科大学を出て、当時は医師国家試験の前にインターン生として日本赤十字社中央病院(現・日本赤十字社医療センター)の各診療科を回ったのですが、体力の問題などから小外科処置のある耳鼻咽喉科を選びました。日本赤十字社中央病院の耳鼻咽喉科は1890年から診療が始まった伝統ある科でしたし、部長の人柄と優れた診療にも感銘し、母校には戻らず、あえてそこで医師としての第一歩を踏み出そうと考えたのです。師事した先生からは、耳鼻咽喉科では「診た人間が一番正しい」ということを教わりました。見たことがすべてであり、周りが何と言おうとそれが偉い教授の意見であっても、自分の見立てを信じなさい、と。裏返せば、そう言って胸を張れるぐらい、患者さんのことを漏れなく観察しなさいということなのだと思います。
開業された時はどんな様子だったのでしょう?
当院を開いたのは1972年の夏でした。親戚の助けを受けながら、開業するなら地元に貢献したいという郷土愛から、この隣の場所に平屋のプレハブ小屋を建て、狭いながらもエックス線装置など一通りの設備を入れて始めたのです。耳鼻咽喉科ではありますが、診療分野の枠は気にしないとばかりに多くの方が訪れたのを覚えています。建物の老朽化などいくつかのタイミングが重なり、2024年にこの建物に診療の場を移しました。院内は少しコンパクトになりましたが、開業当時のプレハブ小屋を思い出すような気持ちですね。
クリニックの50周年と卒寿を越えて、改めて今の思いをお聞かせください。

私は今年で91歳になります。これまでがんなどいろいろな病気をしたのにこの歳まで生きて、診ることができている。「生かされているのかな」と感じます。たくさんの出会いに恵まれてきたことも大きいかもしれません。ありがたいことです。患者さんの話を聞いていると、皆さん悩みがありますが、話すことで少しずつ安らいでいくようであればうれしいです。例えば趣味の話でも良いのです。お話を通じて人柄がわかり、治療につなげていくこともできますから。
建物の2階は地域の皆さんの憩いの場になっているそうですね。
この江北地域のためにできることはないかと考え、移転前から院内スペースの一部を開放しています。有志の作品を展示するギャラリーでもあり、古い文献に触れられる資料館でもあり、時にはウクレレやフラダンスなどのステージにもなるんですよ。アメリカと日本を結んだ五色桜の逸話など、現代では知らない方も多いようです。足立区の地域医療への貢献と、区の歴史を伝えていくこと。どちらも私のライフワークです。
病気より患者自身を診ることから診療は始まる
先生はご自身の診療について、どんな特徴があるとお考えですか?

母校である東京慈恵会医科大学には「病気を診ずして病人を診よ」という理念があり、私も深く共感しています。また後に漢方を学んだことも手伝って、その人の顔を見れば、だいたいのことはわかることもあると思っています。例えば患者さんは、「耳が痛いからすぐに状態を調べて治療してほしい」と言われます。でも私はその訴えを聞いてから、いったん普段の生活の話をします。今の時代、プライバシーに深く立ち入ることはできません。けれど、患者さんのバックボーンを知っておかないと、満足な治療はできないというのが私の考えです。風邪をひいた患者さんから、なかなか病院に行けなくて遅くなったと聞けば、「そうか、仕事が忙しかったのだな」とわかってくる。そんな小さな情報が病気と向き合う出発点となるのです。
患者の背景がわかると、治療にどう役立つのでしょうか?
病気を根源から治療するためのヒントが見つかります。表の病気だけを診て薬の処方だけでおしまいにすれば、そうなった根本的な原因がわからず、本当に治療したことにはならないと思うのです。例えば副鼻腔炎はそれ以前にかかった風邪に起因することが多く、患者さんの背景を知ることで「何が風邪のもとになったのか」を探ることができます。また家族ぐるみで訪れる患者さんも多いのですが、対話を通じて「お子さんの病気が誰から感染したものか」「誰と誰が同じ薬を飲んでいるか」など、一家に今起きているストーリーを想像できることも。こうした情報も治療の進め方を考えるのに大いに役立ちます。
診療中に生活のことまで話していると、時間がどんどん延びてしまうのでは?

ついあれこれ質問してしまうと、どうしても長くなることはありますね。でも決して無駄話ではなく、これも診療の大切な一部。病気の原因を見極めるほか、話すことには患者さんを安心させる意味もあります。これも漢方の考えに近いのですが、人間には内側に対する癒やしも必要ということでしょう。医療はどんどん進化しますが、町の開業医として大事なことは患者さんに会うこと、そしてよく診ることです。よく診るというのは、本当は時間がかかるもの。ただ診ておしまいにするのではなく、もう一歩入って質問することが大切なのです。
患者の信頼に応え、これからも地域に貢献したい
注力している治療はありますか?

私が長年関心を寄せて取り組んでいるのが、鼻咽腔の炎症を抑えるための治療です。鼻咽腔は、鼻の奥にある粘膜に覆われた場所。この粘膜に鼻から吸い込んだ空気中の細菌などが付着し、しばしば炎症を起こすのですが、耳鼻咽喉科以外ではあまり注目されません。例えば、花粉症の患者さんが、いつものくしゃみや鼻詰まりではなく、喉が痛いと訴えて来院された場合、私は経験から鼻咽腔炎を予測して、ファイバー検査で鼻咽腔の粘膜が赤くなっていることを確認したら、そこに細長い綿棒で消炎のための薬液を塗っておきます。鼻咽腔炎は風邪の根源とも考えられているので、耳鼻咽喉科にできる治療の一つとして、この先も提供していきたいと思います。
漢方治療にも長く対応されているそうですね。
もともと父と兄が薬剤師で、漢方治療を始めたのも兄から教えてもらったことがきっかけです。当時、足立区内に日本東洋医学会漢方専門医の資格を持つ医師はとても少なかったのですが、勉強して漢方専門医の資格を取りました。漢方の治療では、顔を見て、脈を取って……、耳鼻咽喉科ですから腹診はやりませんが、それでもだいたい体質はわかってきます。口の中や舌も診ますし、顔色や声の感じも大切です。例えば、西洋医学では「冷え性」そのものを病気とは捉えないように、病気として定義しづらい症状を診ることは漢方の得意分野です。病気になったら西洋医学の出番ですが、そうなる前の「未病」や体質改善に働きかけるのに、漢方は有用ですね。鍼灸師である私の息子とも連携して、多様なアプローチを取り入れながら、患者さん一人ひとりに合わせた対応を行っています。
最後に、患者や読者に向けてメッセージをお願いします。

小学校時代の恩師に教えてもらった、「寿而康(じゅじこう)」という言葉をお伝えしたいですね。「健康で長生きが大事」という意味の言葉です。ただ長生きするのではなく、健康で元気でいていただくのが一番です。そのためにはご本人の努力も必要で、体力を支える食事や趣味を持つことも大切でしょう。私の診療は、お話をじっくり聞いて進めるので長くお待ちいただくことが多く、診療時間も長くなりがちです。それでもこのやり方を信頼し、「病気ではなく私を診てくれている」と思ってくださる方には、ここは良い医院であるはずです。「創業は易く守成は難し」といいますが、ここまで続けてこられたのも、ご先祖さまが「頑張ってやってくれ」と言ってくれているのかもしれません。これからも大好きなこの江北地域で皆さんの健康を支えていきたいですね。