木村耳鼻咽喉科小児科医院

木村耳鼻咽喉科小児科医院

木村 繁院長、木村 康子副院長

頼れるドクター

35430

西新井大師西駅から10分。懐かしい雰囲気が漂う地において「木村耳鼻咽喉科小児科医院」は、長らく、地域密着型の一般診療を提供し続けてきた。「開院した時は、近くにはまだ何もなかったんです」と木村繁院長は言うが、今や周辺はにぎやかな住宅地だ。小学校、保育園も近くにあるため、特に夕方には親子連れで混みあうほど、地域住民にとっては「何かあったら相談」の場になっている。院長の長女である木村康子副院長は、何とかして患者のためになろうと治療を続ける父親の背中を見続け、敬意を抱いて医療の道に進んだという。実直な診療方針を聞いた。
(取材日2017年6月14日)

患者と医師が協力し合う「啐啄同時」の診療を心がけて

―この地に開院した経緯を、お聞かせください。

【院長】私は1959年に東京慈恵会医科大学を卒業し、友人の紹介で、今の日本赤十字社医療センター(当時は日本赤十字社中央病院)に勤めはじめました。私は体力がさほどないため外科はだめだろうと感じ、「小外科」と言われた耳鼻科を選んだんです。日赤での経験は、興味深かったですね。日本で最初に耳鼻科診療を行った病院のようで、歴史的な医療器具がありました。多くを教わった中では「耳鼻科は、実際に目で見たものがすべて」という考え方が印象に残っています。ここの場所に開院した経緯は、人の縁ですね。開業したいと思ったものの、資金はなかったという中で、親戚のおじさんが「土地はあるから、使ったら良い」と言ってくれました。ありがたかったですね。当時のこの辺りは、田畑の広がるのどかな地域だったんです。

―副院長は、そんな院長の背中を見て育ったのですね。

【副院長】当時は「木村耳鼻咽喉科」で、父は、地域で何でも相談される家庭医でした。新しい療法もかなり積極的に採り入れ、患者さんの苦しみが減らせるのなら方法はこだわらない、というスタイルは良いな、と思っていました。子どもの頃から、父の診療している姿はずっと見てきているんです。のんびりしていた時代ならではのエピソードではあるけれど、中耳炎で鼓膜切開が必要な子どもに対して、治療の際に動かないでいてもらうための「おさえ要員」になったこともありますよ(笑)。わんわん泣いていた子どもが笑顔になって帰っていく光景などをいくつも見かけていたものですから、私も、できれば父と共にこの地域の人たちの役に立てたら、と医者になったんです。東京女子医科大学を卒業し、医局では小児科を選びました。ゆくゆくはここで診療するなら、子どもの診療が多いこの地域の要望に応えていきたいと思いました。

―どのような診療をしたい、と心がけておられますか?

【院長】よくお話を聞く診療です。患者さんが扉を開けて入って来られた時から、その歩く姿や呼吸の様子で、いろんなことを感じるんです。診察室で座っていただけば、だいたい見当がつく面もあります。しかし、それで終わりにはしません。漢方的に診れば、顔色から得られる情報も多いので「こんなものを食べたのではないですか?」とお聞きしたりもする。当たるものだから、患者さんもだんだん話の呼吸が合ってきます。私が表面でわかった症状のみならず、生活や健康にまつわるいろんなことをたくさん話されるのですね。思いがけず、婦人科的な相談が出たりもします。そこまで患者さんの思いをお聞きした後に、私からも詳しい所見を説明します。そうして両者が協力して病気と闘うという、「啐啄同時(そったくどうじ:雛と親鳥が協力し、内側と外側から同時に卵の殻を破る)」とでもいうようなタイミングの良い治療を心がけています。

記事更新日:2017/06/29


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