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木村 繁 院長、木村 康子 副院長の独自取材記事

木村耳鼻咽喉科小児科医院

(足立区/西新井大師西駅)

最終更新日:2019/08/28

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西新井大師西駅から10分。懐かしい雰囲気が漂う地において「木村耳鼻咽喉科小児科医院」は、長らく、地域密着型の一般診療を提供し続けてきた。「開院した時は、近くにはまだ何もなかったんです」と木村繁院長は言うが、今や周辺はにぎやかな住宅地だ。小学校、保育園も近くにあるため、特に夕方には親子連れで混みあうほど、地域住民にとっては「何かあったら相談」の場になっている。院長の長女である木村康子副院長は、何とかして患者のためになろうと治療を続ける父親の背中を見続け、敬意を抱いて医療の道に進んだという。実直な診療方針を聞いた。
(取材日2017年6月14日)

患者と医師が協力し合う「啐啄同時」の診療を心がけて

この地に開院した経緯を、お聞かせください。

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【院長】私は1959年に東京慈恵会医科大学を卒業し、友人の紹介で、今の日本赤十字社医療センター(当時は日本赤十字社中央病院)に勤めはじめました。私は体力がさほどないため外科はだめだろうと感じ、「小外科」と言われた耳鼻科を選んだんです。日赤での経験は、興味深かったですね。日本で最初に耳鼻科診療を行った病院のようで、歴史的な医療器具がありました。多くを教わった中では「耳鼻科は、実際に目で見たものがすべて」という考え方が印象に残っています。ここの場所に開院した経緯は、人の縁ですね。開業したいと思ったものの、資金はなかったという中で、親戚のおじさんが「土地はあるから、使ったら良い」と言ってくれました。ありがたかったですね。当時のこの辺りは、田畑の広がるのどかな地域だったんです。

副院長は、そんな院長の背中を見て育ったのですね。

【副院長】当時は「木村耳鼻咽喉科」で、父は、地域で何でも相談される家庭医でした。新しい療法もかなり積極的に採り入れ、患者さんの苦しみが減らせるのなら方法はこだわらない、というスタイルは良いな、と思っていました。子どもの頃から、父の診療している姿はずっと見てきているんです。のんびりしていた時代ならではのエピソードではあるけれど、中耳炎で鼓膜切開が必要な子どもに対して、治療の際に動かないでいてもらうための「おさえ要員」になったこともありますよ(笑)。わんわん泣いていた子どもが笑顔になって帰っていく光景などをいくつも見かけていたものですから、私も、できれば父と共にこの地域の人たちの役に立てたら、と医者になったんです。東京女子医科大学を卒業し、医局では小児科を選びました。ゆくゆくはここで診療するなら、子どもの診療が多いこの地域の要望に応えていきたいと思いました。

どのような診療をしたい、と心がけておられますか?

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【院長】よくお話を聞く診療です。患者さんが扉を開けて入って来られた時から、その歩く姿や呼吸の様子で、いろんなことを感じるんです。診察室で座っていただけば、だいたい見当がつく面もあります。しかし、それで終わりにはしません。漢方的に診れば、顔色から得られる情報も多いので「こんなものを食べたのではないですか?」とお聞きしたりもする。当たるものだから、患者さんもだんだん話の呼吸が合ってきます。私が表面でわかった症状のみならず、生活や健康にまつわるいろんなことをたくさん話されるのですね。思いがけず、婦人科的な相談が出たりもします。そこまで患者さんの思いをお聞きした後に、私からも詳しい所見を説明します。そうして両者が協力して病気と闘うという、「啐啄同時(そったくどうじ:雛と親鳥が協力し、内側と外側から同時に卵の殻を破る)」とでもいうようなタイミングの良い治療を心がけています。

耳鼻科の視点でわかる、原因のわかりづらい病気もある

副院長は、院長の方針を優しく頷きながら聞いておられましたね。

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【副院長】院長は、たくさん勉強した特定の範囲に集中して、それしかやりません、という医師ではないんです。困っている患者さんに対してならば、真剣に向き合う。もちろん、必要ならば大きな病院にも紹介するのですが、処置を尽くし、簡単には送らないんです。逆に、よその医療機関では何でもないと言われるなどしてなかなか解決が難しかったという症状も、院長が一生懸命に診て、当院で治したりする姿を、私は見てきました。だから、私も患者さんには何はともあれ何かをプラスして帰っていただきたいという気持ちが強いですね。

よそで治りづらかったけれど、院長の診療で解決した病気とはどういうものでしたか?

【院長】よそで内科の先生に診てもらっても原因がわかりづらい咳で、耳鼻科の範囲では解決し得るという病態もあるのですね。例えば、鼻咽腔(上咽頭)炎。いわゆる口蓋垂(のどちんこ)の裏の上側で鼻の奥につながる部分の炎症ですが、ここに薬剤を塗布して炎症を治す療法は、かつては特に、一部の耳鼻科医師の間でしか行われていませんでした。つまり、他科では解決できなかった不定愁訴としての咳やのどの痛みなどが、この鼻咽腔炎の治療で治ることもあるということです。

副院長は、小児科、アレルギーを学んだ後、耳鼻科での研修も積んでおられます。

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【副院長】小児科をメインにはしていますが、小児耳鼻科の医師としての自負もあります。鼻汁吸引や耳の処置、鼓膜切開など行っております。小児科と耳鼻科との両方から診療ができることで助けられる場面は多いですね。他にも例えば、子どもの扁桃腺を切除する手術をするかどうかという局面にしても、一般的に、耳鼻科は「切除するべき」と言い、小児科は「切除せずとも良い」と言い、親御さんは何を選んだら良いのかわからない中で迷う際も出てくるものです。そんな時に、両方を診療科目としてよく知る私が、もちろん個別の状況に即してですが、どちらの面から診たとしても妥当な選択肢を提案し、親御さんが客観的に考えられる視点をお伝えできることもあります。

地域に恩返しをし、予防医療などでさらに住民に貢献を

当院では、漢方など東洋医学に関わる相談もできるのですね。

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【院長】東洋医学的に全身を診るということ重視してきました。じつは実家が漢方薬局で、勉強したいと思ったらアクセスできる下地があったのです。
【副院長】よそでの修業を終えてここで働き始めた初日、患者さんに「よそでは無理でも、院長は一発で治してくれるから」と言われました。「お父さん、どんな薬を出しているの?」と心配もしたのですが(笑)、それが漢方だったのです。西洋薬で治らない範囲も勉強しているのだな、と尊敬の念が増しました。実家の漢方薬局を通していろんな講習会などに出席し、東洋医学についてもかなり勉強を重ねました。当院では、鍼灸師である私の弟による鍼灸治療も紹介しております。

診療の合間に息抜きでされていることは何ですか?

【院長】明治・大正期に軍医を務めながら精力的に文筆活動を行っていた小説家の研究です。やはり悩める青年を描いたところが素晴らしい。医師でもあった彼の父親がやっていた診療所の足立区の跡地に文学碑を造る運動を20年ほど続け、実現させたこともあります(現在は別の地に移設されている)。
【副院長】私はフラダンスですね。やると、体調も良くなるんです。あとは、当院の院内を毎年秋頃に1週間開放する「江北美術展・ふれあいコンサート」というのもやっているのですが、地域の皆さんの美術や演奏を発表する良い場になっていると思います。これらは私の趣味の一つでもありますが、それ以上に地域の方々と医療以外で関わりたいと思ったことが発端でもあります。地域の方々がいつまでも楽しく生活ができるよう、私たちができることを医療という枠にとらわれず、今後も還元していきたいです。

地域に愛されたこの院の診療を、将来にどのようにつなげていこうと思われますか?

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【院長】変わらず、恩返しをしていきたいです。親戚、地域の方をはじめ、多くの方に助けられて今があります。世話になった皆さんのお子さんやお孫さんが、信じられないほど多く来てくださる。それを大事にし続けたいです。子どもはみんな、お世話になった人たちの子どもだと思って接しています(笑)。
【副院長】私は、80代に入っても元気な院長と一緒に力を合わせて診療をし続けられる時間そのものを、とても贅沢で幸せなことだと思っています。まだまだ心理的に院長に頼ってしまっていますが、院長の「とにかく患者さんのために1つでも良いことをしたい」という気持ちを継いで、しっかり地域のために貢献していきたいですね。現在、地域の小児医師会で予防接種の担当をしていたりするのも、そのような思いに重なっています。

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