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木村 繁 院長の独自取材記事

木村耳鼻咽喉科医院

(足立区/西新井大師西駅)

最終更新日:2022/11/04

木村繁院長 木村耳鼻咽喉科医院 main

1972年の開業以来、足立区・江北地域で頼りにされてきた「木村耳鼻咽喉科医院」。1934年生まれの木村繁院長は、対話を診療の柱に据え、患者の背景まで理解して病気と向き合うことを心がけてきた。よりどころとするのは、母校の教えである「病気を診ずして病人を診よ」の精神だ。2022年には開業50周年を数え、院長も米寿を迎えることから、待合室に記念写真が飾られたギャラリーが登場。どのカットにも患者たちの笑顔があふれ、長きにわたる信頼関係が伝わってくるようだ。患者のために労を惜しまない姿勢を貫き、親しみやすい人柄で愛される木村院長に、診療で大切にしていることや地域への想いなどについて話を聞いた。

(取材日2022年8月31日)

地元を愛し、住民の健康を見守って半世紀

先生はなぜ耳鼻咽喉科の医師になろうと思われたのですか?

木村繁院長 木村耳鼻咽喉科医院1

実は、最初は外科に進むつもりだったのです。東京慈恵会医科大学を出て、当時は医師国家試験の前にインターン生として日本赤十字社中央病院(現・日本赤十字社医療センター)の各診療科を回ったのですが、体力の問題などから小外科処置のある耳鼻科を選びました。日赤の耳鼻科は1890年から診療が始まった伝統ある科でしたし、部長の人柄と優れた診療にも感銘し、母校には戻らず、あえてそこで医師としての第一歩を踏み出そうと考えたのです。師事した先生からは、耳鼻科では「見た人間が一番正しい」ということを教わりました。見たことがすべてであり、周りが何と言おうとそれが偉い教授の意見であっても、自分の見立てを信じなさい、と。裏返せば、そう言って胸を張れるぐらい、患者さんのことをもれなく観察しなさいということなのだと思います。

ここで開業された時はどんな様子だったのでしょう?

当院を開いたのは1972年の夏のことです。親戚の助けや開業するなら地元に貢献したいという郷土愛から、ここに平屋のプレハブを建て、狭いながらもエックス線装置など一通りの設備を入れて始めたのです。耳鼻科ではありますが、診療分野の枠は気にしないとばかりに多くの方が訪れたのを覚えています。

そうした時代を経て、50周年と米寿を迎えられたのですね。

木村繁院長 木村耳鼻咽喉科医院2

これまでがんなどいろいろな病気をしたのに88歳まで生きて、診ることができている。生かされているのかなと感じますね。たくさんの出会いに恵まれてきたことも大きいかもしれません。ありがたいことです。患者さんの話を聞いていると、皆さん悩みがありますが、話すことで少しずつ安らいでいくようです。例えば趣味の話でもいいのです。お話を通じて人柄がわかり、治療につなげていくこともできますから。やりがいがあると元気になれるので、地域の方々の趣味を広げたいと、毎年当院の5階で美術展も開催してきました。初めて絵を描く小さなお子さんからご高齢の方まで誰でも参加できるもので、30年ほど続けています。コロナ禍でお休みしていましたが、50周年を機に改めて開催を決めたところです。みんなで作る美術展を通して、地域への愛着を持ってもらえたらうれしいですね。

病気より患者自身を診ることから診療は始まる

先生はご自身の診療について、どんな特徴があるとお考えですか?

木村繁院長 木村耳鼻咽喉科医院3

母校である慈恵医大には「病気を診ずして病人を診よ」という理念があり、私も深く共感しています。後に漢方から学んだことも手伝って、その人の顔を見れば、だいたいのことはわかることもあると思っています。例えば患者さんは、耳が痛いからすぐに状態を調べて治療してほしいと言われます。でも私はその訴えを聞いてから、いったん普段の生活の話に移します。今の時代、プライバシーに深く立ち入ることはできません。けれど、患者さんのバックボーンを知っておかないと、満足な治療はできないというのが私の考えです。風邪をひいた患者さんから、なかなか医者に行けなくて遅くなったと聞けば、そうか、仕事が忙しかったのだなとわかってくる。そんな小さな情報が病気と向き合う出発点となるのです。

患者の背景がわかると、治療にどう役立つのでしょうか?

病気を根源から治すためのヒントが見つかります。表の病気だけを診て、「あなたは副鼻腔炎ですね、ではこの薬を飲んでください」とおしまいにすれば、副鼻腔炎にかかった原因がわからず、本当に治療したことにはならないと思うのです。副鼻腔炎の場合は、それ以前の風邪に起因することが多いので、患者さんと話す中から何が風邪のもとになったのかを探り出し、治療に結びつけることが大切です。また、当院のように長くやっていると、家族ぐるみで訪れる人たちがたくさんいます。家族の一人ひとりとよく話すことで、子どもの病気が誰から感染したものか、誰と誰が同じ薬を飲んでいるかなど、一家に今起きているストーリーを想像でき、こうした情報も治療の進め方を考えるのに大いに役立ちます。

診療中に生活のことまで話していると、時間がどんどん延びてしまうのでは?

木村繁院長 木村耳鼻咽喉科医院4

そこを指摘されると耳が痛いですね(笑)。もともと仕事が早くない自覚がある上、ついあれこれ質問してしまうから、どうしても長くなります。通い慣れた患者さんの間では、あそこは待たせると有名なぐらいです(笑)。でも決して無駄話ではなく、これも診療の大切な一部。病気の原因を見極めるほか、話すことには患者さんを安心させる意味もあります。めまいの症状が特にそうで、心を開いて会話すると気が紛れるのか、一時的に症状が落ち着いたと感じられる方もいるようです。これも漢方の考えに近いのですが、人間には内側に対する癒やしも必要ということでしょう。医療はどんどん進化しますが、町医者として大事なことは患者さんに会うこと、そしてよく診ることです。よく診るというのは、本当は時間がかかるもの。副鼻腔炎の話でも触れましたが、ただ診ておしまいにするのではなく、もう一歩入って質問することが大切なのです。

患者の信頼に応え、これからも地域に貢献したい

注力している治療はありますか?

木村繁院長 木村耳鼻咽喉科医院5

私が長年関心を寄せて取り組んでいるのが、鼻咽腔(びいんくう)の炎症を抑えるための治療です。鼻咽腔は、鼻の奥にある粘膜に覆われた場所。この粘膜に鼻から吸い込んだ空気中の細菌などが付着し、しばしば炎症を起こすのですが、耳鼻科以外ではあまり注目されません。例えば、花粉症の患者さんが、いつものくしゃみや鼻詰まりではなく、喉が痛いと訴えて来院された場合。私は経験から鼻咽腔炎を予測して、ファイバー検査で鼻咽腔の粘膜が赤くなっていることを確認したら、そこに細長い綿棒で消炎のための薬液を塗っておきます。鼻咽腔炎は風邪の根源とも考えられているので、耳鼻科にできる治療の一つとして、この先も提供していきたいと思います。

漢方治療も長くやっていらっしゃるそうですね。

もともと父と兄が薬剤師で、漢方治療を始めたのも兄から教えてもらったことがきっかけです。その後、日本東洋医学会漢方専門医をめざして自分でも勉強しました。当時、足立区内の漢方専門医はとても少なかったのです。漢方の治療では、顔を見て、脈を取って。耳鼻科ですから腹診はやりませんが、それでもだいたい体質はわかってきますね。口の中や舌も診ますし、顔色や声の感じも大切です。例えば、西洋医学では「冷え性」そのものを病気とは捉えないように、病気として定義しづらい症状を診ることは漢方の得意分野です。病気になったら西洋医学の出番ですが、そうなる前の「未病」や体質改善に働きかけるのに、漢方は有用ですね。

最後に、患者や読者に向けてメッセージをお願いします。

木村繁院長 木村耳鼻咽喉科医院6

小学校時代の恩師に教えてもらった、「寿而康(じゅじこう)」という言葉をお伝えしたいですね。唐の漢詩に由来する言葉で、「健康で長生きが大事」という意味になります。ただ長生きするのではなく、健康で元気でいていただくのが一番です。そのためにはご本人の努力も必要で、体力を支える食事や趣味を持つことも大切でしょう。私の診療は、お話をじっくり聞いて進めるので長くお待ちいただくことが多く、診療時間も長くなりがちです。それでもこのやり方を信頼し、「病気ではなく私を診てくれている」と思ってくださる方には、ここは良い医院であるはずです。ここまで続けてこられたのも、ご先祖さまが「頑張ってやってくれ」と言ってくれているのかもしれません。これからも大好きなこの江北地域で皆さんの健康を支えることに精魂を傾ける所存ですので、どうぞよろしくお願いします。

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