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木村 繁 院長の独自取材記事

木村耳鼻咽喉科医院

(足立区/西新井大師西駅)

最終更新日:2024/08/29

木村繁院長 木村耳鼻咽喉科医院 main

1972年の開業以来、足立区・江北地域で頼りにされてきた「木村耳鼻咽喉科医院」。1934年生まれの木村繁院長は、対話を診療の柱に据え、患者の背景まで理解して病気と向き合うことを心がけてきた。よりどころとするのは、母校の教えである「病気を診ずして病人を診よ」の精神だ。2022年に開業50周年を数え、2024年にはすぐ隣の建物に移りリニューアルを行った。90歳を迎えた木村院長の原点回帰でもあり、新たな第一歩でもある。患者のために労を惜しまない姿勢を貫き、親しみやすい人柄で愛される木村院長に、診療で大切にしていることや地域への想いなどについて話を聞いた。

(取材日2024年7月31日)

地元を愛し、住民の健康を見守って半世紀

先生はなぜ耳鼻咽喉科の医師になろうと思われたのですか?

木村繁院長 木村耳鼻咽喉科医院1

実は、最初は外科に進むつもりだったのです。東京慈恵会医科大学を出て、当時は医師国家試験の前にインターン生として日本赤十字社中央病院(現・日本赤十字社医療センター)の各診療科を回ったのですが、体力の問題などから小外科処置のある耳鼻咽喉科を選びました。日本赤十字社中央病院の耳鼻咽喉科は1890年から診療が始まった伝統ある科でしたし、部長の人柄と優れた診療にも感銘し、母校には戻らず、あえてそこで医師としての第一歩を踏み出そうと考えたのです。師事した先生からは、耳鼻咽喉科では「診た人間が一番正しい」ということを教わりました。見たことがすべてであり、周りが何と言おうとそれが偉い教授の意見であっても、自分の見立てを信じなさい、と。裏返せば、そう言って胸を張れるぐらい、患者さんのことを漏れなく観察しなさいということなのだと思います。

開業された時はどんな様子だったのでしょう?

当院を開いたのは1972年の夏のことです。親戚の助けや開業するなら地元に貢献したいという郷土愛から、この隣の場所に平屋のプレハブを建て、狭いながらもエックス線装置など一通りの設備を入れて始めたのです。耳鼻咽喉科ではありますが、診療分野の枠は気にしないとばかりに多くの方が訪れたのを覚えています。建物の老朽化などいくつかのタイミングが重なり、今年、隣に建設したこの建物に診療の場を移しました。院内は少しコンパクトになりましたが、開業当時のプレハブを思い出すような気持ちです。私にとって原点回帰であり、新たな第一歩でもありますね。

50周年と卒寿を迎えられ、あらためて今の思いをお聞かせください。

木村繁院長 木村耳鼻咽喉科医院2

これまでがんなどいろいろな病気をしたのに90歳まで生きて、診ることができている。生かされているのかなと感じますね。たくさんの出会いに恵まれてきたことも大きいかもしれません。ありがたいことです。患者さんの話を聞いていると、皆さん悩みがありますが、話すことで少しずつ安らいでいくようです。例えば趣味の話でもいいのです。お話を通じて人柄がわかり、治療につなげていくこともできますから。やりがいがあると元気になれるので、地域の方々の趣味を広げたいと、移転前から院内で美術展を開催してきました。初めて絵を描く小さなお子さんからご高齢の方まで誰でも参加できるもので、30年ほど続けており、今年からはこの建物の2階で開催する予定です。みんなでつくる美術展を通して、地域への愛着を持ってもらえたらうれしいです。

病気より患者自身を診ることから診療は始まる

先生はご自身の診療について、どんな特徴があるとお考えですか?

木村繁院長 木村耳鼻咽喉科医院3

母校である東京慈恵会医科大学には「病気を診ずして病人を診よ」という理念があり、私も深く共感しています。後に漢方から学んだことも手伝って、その人の顔を見れば、だいたいのことはわかることもあると思っています。例えば患者さんは、耳が痛いからすぐに状態を調べて治療してほしいと言われます。でも私はその訴えを聞いてから、いったん普段の生活の話に移します。今の時代、プライバシーに深く立ち入ることはできません。けれど、患者さんのバックボーンを知っておかないと、満足な治療はできないというのが私の考えです。風邪をひいた患者さんから、なかなか病院に行けなくて遅くなったと聞けば、「そうか、仕事が忙しかったのだな」とわかってくる。そんな小さな情報が病気と向き合う出発点となるのです。

患者の背景がわかると、治療にどう役立つのでしょうか?

病気を根源から治すためのヒントが見つかります。表の病気だけを診て、「あなたは副鼻腔炎ですね、ではこの薬を飲んでください」とおしまいにすれば、副鼻腔炎にかかった原因がわからず、本当に治療したことにはならないと思うのです。副鼻腔炎の場合は、それ以前の風邪に起因することが多いので、患者さんと話す中から何が風邪のもとになったのかを探り出し、治療に結びつけることが大切です。また、当院のように長くやっていると、家族ぐるみで訪れる人たちがたくさんいます。家族の一人ひとりとよく話すことで、子どもの病気が誰から感染したものか、誰と誰が同じ薬を飲んでいるかなど、一家に今起きているストーリーを想像でき、こうした情報も治療の進め方を考えるのに大いに役立ちます。

診療中に生活のことまで話していると、時間がどんどん延びてしまうのでは?

木村繁院長 木村耳鼻咽喉科医院4

ついあれこれ質問してしまうと、どうしても長くなることはありますね。でも決して無駄話ではなく、これも診療の大切な一部。病気の原因を見極めるほか、話すことには患者さんを安心させる意味もあります。これも漢方の考えに近いのですが、人間には内側に対する癒やしも必要ということでしょう。医療はどんどん進化しますが、町の開業医として大事なことは患者さんに会うこと、そしてよく診ることです。よく診るというのは、本当は時間がかかるもの。副鼻腔炎の話でもふれましたが、ただ診ておしまいにするのではなく、もう一歩入って質問することが大切なのです。

患者の信頼に応え、これからも地域に貢献したい

注力している治療はありますか?

木村繁院長 木村耳鼻咽喉科医院5

私が長年関心を寄せて取り組んでいるのが、鼻咽腔(びいんくう)の炎症を抑えるための治療です。鼻咽腔は、鼻の奥にある粘膜に覆われた場所。この粘膜に鼻から吸い込んだ空気中の細菌などが付着し、しばしば炎症を起こすのですが、耳鼻咽喉科以外ではあまり注目されません。例えば、花粉症の患者さんが、いつものくしゃみや鼻詰まりではなく、喉が痛いと訴えて来院された場合、私は経験から鼻咽腔炎を予測して、ファイバー検査で鼻咽腔の粘膜が赤くなっていることを確認したら、そこに細長い綿棒で消炎のための薬液を塗っておきます。鼻咽腔炎は風邪の根源とも考えられているので、耳鼻咽喉科にできる治療の一つとして、この先も提供していきたいと思います。

漢方治療も長くやっていらっしゃるそうですね。

もともと父と兄が薬剤師で、漢方治療を始めたのも兄から教えてもらったことがきっかけです。当時、足立区内に日本東洋医学会漢方専門医の資格を持つ医師はとても少なかったのですが、勉強して漢方専門医の資格を取りました。漢方の治療では、顔を見て、脈を取って。耳鼻咽喉科ですから腹診はやりませんが、それでもだいたい体質はわかってきます。口の中や舌も診ますし、顔色や声の感じも大切です。例えば、西洋医学では「冷え性」そのものを病気とは捉えないように、病気として定義しづらい症状を診ることは漢方の得意分野です。病気になったら西洋医学の出番ですが、そうなる前の「未病」や体質改善に働きかけるのに、漢方は有用ですね。また、私の息子が鍼灸師で、当院に在籍しています。当院では西洋医学に加えて、漢方などさまざまなアプローチを取り入れながら、患者さん一人ひとりに合わせた対応を行っています。

最後に、患者や読者に向けてメッセージをお願いします。

木村繁院長 木村耳鼻咽喉科医院6

小学校時代の恩師に教えてもらった、「寿而康(じゅじこう)」という言葉をお伝えしたいですね。唐の漢詩に由来する言葉で、「健康で長生きが大事」という意味になります。ただ長生きするのではなく、健康で元気でいていただくのが一番です。そのためにはご本人の努力も必要で、体力を支える食事や趣味を持つことも大切でしょう。私の診療は、お話をじっくり聞いて進めるので長くお待ちいただくことが多く、診療時間も長くなりがちです。それでもこのやり方を信頼し、「病気ではなく私を診てくれている」と思ってくださる方には、ここは良い医院であるはずです。ここまで続けてこられたのも、ご先祖さまが「頑張ってやってくれ」と言ってくれているのかもしれません。これからも大好きなこの江北地域で皆さんの健康を支えていきたいですね。

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