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松峯 寿美 理事長の独自取材記事

東峯婦人クリニック

(江東区/木場駅)

最終更新日:2021/10/12

松峯寿美理事長 東峯婦人クリニック main

東京メトロ東西線木場駅の1番出口を出て、目の前の永代通りを渡るとすぐ「東峯婦人クリニック」の建物が現れる。開業してから41年、ここで多くの女性たちを妊娠、出産まで導いたのは松峯寿美理事長だ。「自分がここで出産したいと思える医院をつくりたい」という思いから開業に踏み切り、今では親子2代で来院する人も増えてきた。「いつの間にか女性をトータルで診るようになりました」と話す松峯先生に、妊娠・出産に関する環境の変化、そして女性たちの暮らしや意識の変化についてたっぷりと聞いた。

(取材日2014年3月5日)

「自分がここで産みたいと思う医院を」との思いで開業

どのような経緯で開業されたのですか?

松峯寿美理事長 東峯婦人クリニック1

1970年に東京女子医科大学を卒業して、10年間女子医大で働きました。その間、診療を続けながら結婚して子どもを産み、1980年10月に開業しました。この場所は私が女子医大に勤めていた時に「勤めていると子育ても大変だから、そろそろ開業しなさい」と父が探してくれた場所です。開業時は不妊専門の外来だけを行っていて、妊娠すると、産むための医院をそれぞれ紹介していました。ところが、ある時患者さんに「出産まで先生に診てもらいたい」と言われたのがきっかけで、分娩施設もつくることになりました。帝王切開での分娩も行えるよう手術室もつくり、どんどんと大きな施設になってきましたね。

不妊治療から分娩まで対応する医院はあまり多くないですよね。

開業当時に当院で出産した人たちが、大きくなった子どもを連れて診察に来られるほか、娘が妊娠したのでここでぜひ取り上げてくださいとか、親子2代にわたって来てくださる人が最近は多いですね。医師冥利に尽きるなという思いで、喜んで診させていただいています。そうこうしているうちに、お母さんたちは更年期障害になったり、お舅さんやお姑さんが尿漏れで困るというご相談もあったりして、いつの間にか不妊症から、妊娠、出産、思春期、更年期、老年期と全部を診るようになりました。当院は併設で、私の妹が診ている皮膚科と、息子が診ている形成外科があります。そして私の背中を見て育った娘が産婦人科医、姪が小児科医となり、婦人なら何でも診ますということで、東峯婦人クリニックとしました。

院内の特徴を教えてください。

大部屋ももちろんあるのですが、ほとんどの方が個室を希望されますので19床中16床は個室です。しかもエクストラベッドつきだから家族も泊まれるし、お部屋によっては里帰りをしなくてもよいように、上のお子さんと一緒に子連れ入院もできるようになっています。2階には畳の分娩台もあります。また外国の方で宗教上の理由で、女性医師にしか手を触れられたくないという人もいます。当院の産婦人科医は、非常勤を含めた8人中5人が女性医師ですから、そういった方々にも対応できます。もう50ヵ国くらいの人たちが当院で分娩をしていますね。それぞれに合った分娩の方法がここでは選べます。

先生が医師になろうと思ったきっかけは何ですか?

松峯寿美理事長 東峯婦人クリニック2

両親から、どこの国で生きていくにしても困らないように手に職をつけなさいと、医師になることを勧められました。父は繊維問屋をやっていたので、浮き沈みや世の中のことが、いろいろと見えていたのでしょうね。そして消化器外科医の夫からも、産婦人科医なら、国境を越えて言葉の通じない場所へ行っても自立できるだろうからと勧められたのです。

心身に負担のある妊娠・出産。産後は周囲のケアが重要

先生が女子医大の不妊の外来を創設したそうですね。

松峯寿美理事長 東峯婦人クリニック3

当時は不妊の外来がほとんどなく、私が大学を卒業した頃は、産婦人科も含めて医師の大半は男性でしたし、不妊を専門にしている医師もほぼいませんでした。不妊は男と女の、両方の問題を解決しないと妊娠しないのですが、女性側の負担が大きく、女性医師が不妊症を診る外来は絶対に必要だと考えて創設しました。

先生ご自身も、不妊治療のご経験があると伺いました。

大学卒業と同時に結婚して、すぐ子どもをつくろうと思ったのですが、なかなかできませんでした。通院を経て妊娠し、女子医大で2人子どもを産みました。6週間の産休が明けて、保育園に子どもを預けて職場復帰したら、突然明日からがん研病院に行ってくださいと言われて、そちらの産婦人科へ。部長をはじめ医師8人が全員男性で、女性医師は私1人だけという環境で、バリバリ働いたのですが、保育園に迎えに行く時間に間に合わない時もあり、実家の母や義母がカバーしてくれて、なんとかやってこられた感じです。さらに2人目が産まれたらもっと大変で、子育てというのは絶対に母親一人じゃできないということが身にしみてわかりました。

こちらで行っている産後ケアについて教えてください。

松峯寿美理事長 東峯婦人クリニック4

今の女性は仕事のキャリアを積んで、ある程度年齢を重ねてから、さあ妊娠、出産という人が多いので、産後すぐ仕事に戻りたがる人が増えています。また、出産年齢が上がったために、親御さんも60代後半から70代になるので、体力的にも赤ちゃんの面倒を見てもらえないことが多いのです。そこで、特に必要だと感じているのが産後ケア。デイケアとショートステイの2種類があり、お風呂に入れてあげたり、おむつを取り替えたり、お母さんが疲れているなら少し休んでもらったりと、子どもと一緒に来られる場所をつくりました。赤ちゃんの夜泣きで眠れないというお母さんには、夜中ちょっと預かってあげるから、一晩グッスリ寝てそれから帰りなさいという24時間ステイもできます。子どもが産まれた直後から、母と子に生活のリズムをつくってあげないと、子どもがかわいく思えなくなってしまいますから。

育児を一人で抱え込まずに、周りの助けを借りてほしい

先生の目に、現代の母親たちはどう映っていますか?

松峯寿美理事長 東峯婦人クリニック5

とてもたくましいと思います。出産を一つのゴールのように思いがちですが、そこから育児がスタートするのです。子どもは社会の宝なので、皆で助け合って育てなければなりません。妊娠、出産は動物の本能ですが、育児は学習だと私は考えます。多くのお母さんが育児書を参考にされますが、実は教科書どおりにいかないことのほうが多いのです。それを母親が独りぼっちで、育児書とにらめっこして、つらい思いをして育児をしていると、子どもは偏って育ってしまうのではないでしょうか。それぞれが孤立した環境で育って、助け合うということがなくなり、結果、母親もしつけに手を焼いて、せっかんをしたりすることにつながるのです。子どもはそうされても、お母さんのそばがいいと言っているのを見ると、胸が痛くなります。家族や周りの人が関わってこそ子どもは育つのです。

これまで多くの女性を診てこられましたが、昔と比べて増えてきた症状などはありますか?

開業当時から比べて出産年齢が10歳ほど上がり、今は35~38歳くらいの方が多いですね。妊娠出産が減って、代わりに不妊症が多くなり、その基礎に子宮内膜症が増えました。出産が高齢になったことが原因の一つといえます。子宮内膜症は、月経を重ねるたびに悪くなっていく病気で、少しの間でも月経が止まれば治る期待が高まります。例えば、20代の前半で妊娠して10ヵ月月経が止まれば、その間に改善に向かいます。ところが、35歳まで妊娠せずに毎月月経が来ていた場合、子宮内膜症になる確率が高くなり、体が妊娠しにくくなる方向に向いてしまうわけです。

先生ご自身のことも教えてください。

東京都浅草橋で生まれ育ちました。小さい頃は本が友達で、ありとあらゆるジャンルの本を読みましたね。特に小学5年生の頃に読んだ、世界の逸話が載った本が心に残っています。いろいろな偉人の偉業が書かれていて、女性で唯一医療者として入っていたナイチンゲールが印象的でした。趣味は日本舞踊で、藤間流日本舞踊を15年ほどやっています。日本舞踊は健康にもとても良いと思います。体を動かして振りを覚えなきゃならないし、日本の音楽は西洋音楽に比べてファジーなので、ワンテンポ遅れても間に合います(笑)。

読者へのメッセージをお願いします。

松峯寿美理事長 東峯婦人クリニック6

妊娠できる体は産める体だし、産める体は子どもを育てることができる体です。妊娠できた時は産むこと。望まない妊娠は絶対にしないことです。若いうちに子どもを産めば、実家の親も面倒を見てくれるし、産んでしまえば何とかなるものです。現代の女性たちはとても忙しい。しかし、子どもを生むこと・育てることはとても素晴らしいことです。これからも忙しい女性たちの支えになっていける存在でありたいと思います。

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