さがみ外科胃腸科クリニック

さがみ外科胃腸科クリニック

佐上俊和 院長
頼れるドクター掲載中

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都営新宿線の東大島から歩くこと、3〜4分。コアシティ東大島の一角にある「さがみ外科胃腸科クリニック」。周辺はニューファミリーが住まう巨大な団地が連立する一方で、昔ながらの下町も残る。そんな両者のエリアニーズに合わせ「明るくやさしい診療所」という方針を掲げ丁寧な問診を心がけている佐上俊和院長。おおらかで話好きの先生だが、東京女子医大の消化器センターではハードなトレーニングを積んだ持ち主でもある。そんな佐上先生にそのトレーニングでのエピソードや医師を志そうと強く心に刻んだ青年時代の衝撃的な経験、また、診療で一番大切にしていることなどを伺った。過酷な経験やつらかった思いもユーモア交えて語る佐上先生の明るい人柄が溢れるインタビューとなった。
(取材日2013年12月20日)

父親の死でおおらかな少年時代に終止符、過酷な修業でメンタル面も鍛える

―医師を志そうと思ったのはいつごろからでしょう。

父が内科医で、私が小学校3年生のときには開業していましたから、ずっとその背中は見ていました。自宅続きの診療所にはいつも患者さんが大勢待たれていて、そんな頼られている父を子どもながらに尊敬していたものです。父からは一度も「医者になりなさい」とは言われたことはありませんでしたが、「なんとなく、そうなるのかな?」という気持ちはありました。高校は進学校だったので、頑張れば何とかなったのでしょうけれど、のほほんとしていたのと勉強以外の趣味もたくさんありまして、医学部を受けたものの不合格。当然ですよね(笑)。それで予備校へ通っていました。

―先生が一浪されている時にお父様の胃がんが発覚したとか。

そうなんですよ。入院したときには、すでに末期の胃がんで既に肝臓にも転移していました。たぶん、そうなる前から気付いていたとは思いますが、父は診療以外にも医師会の理事もしていましたので、自分の体のことより任務を優先してしまっていたのでしょう。そして、ちょうど大学入試試験の直前に、父は危篤になり息を引き取ったのです。その時、父の主治医の先生が「君も医者を志しているなら、ついてきなさい」、と病室から離れた狭くて暗い廊下へ連れ出したのです。しばらくして、その解剖室の外で「これが君のお父さんの肝臓だよ」、と菊の花のように大きくなった亡き父の一部を見せられたのです。悲しみと寂しさと驚きと……、全てのマイナス感情が一緒くたになって、無意識に泣きじゃくっていましたね。それから、はたと「このままじゃまずい」、これまでに味わったことのない焦燥感に襲われて、勉強に力が入りました。それまでの自分の人生のなかで、あれほど必死になったことはありません(笑)。父の死や、主治医の先生の想いや行動、それらすべてが、のほほんとしていた青年時代に発破を掛け、次の年は無事に合格。当初は父と同じ内科医をめざしていましたが、父の胃がんを目の当たりにして、症例との勝負が早く決まるような外科の方がいいかなと思い消化器外科を専門にしようと決めました。

―それで、東京女子医科大学消化器癌センターに入られたのですね。

どうせやるなら、一番症例が多く、ちゃんとトレーニングのできる環境がいいと思って。ただ、その修行時代はめちゃくちゃハードでしたよ。毎朝、5時半から患者さんの採血、点滴、レントゲン撮影などをして、7時半から始まる回診前までにデータをまとめて教授陣へ提出しなければならなりません。また、オペの後に徹夜で処置が必要な場合は、もちろん1年生の役目。一晩中起きていて何時間かおきに処置を行います。その合間にナースセンターでうたた寝をしていると、「1年目の先生は先生と思わなくていいから、起こしちゃっていいんだからね」と婦長さんの怖い指示が聞こえたりして……(笑)。それよりもっとしんどかったのは、毎日5時半から夜中0時近くまでの勤務が終わると、先輩からの飲みのお誘いがかかること。絶対に断われないですから、結局、朝までになりレントゲン室のベッドに寝ていたこともありました(笑)。おかげで、借りていたアパートに帰ったのが1年生の時は、たったの1回。それでも、オペは週3回、1日15回ありますから、教授陣の一挙手一投足を見逃すわけにはいきません。症例も多く勉強になりましたし、精神的にも鍛えられましたね。外科のオペはチームで行っていくものですし一刻を争うものですから、勤務外の先輩との交流は課外授業のようなもの。ある意味修行の一つだったと思っています。



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