医療法人社団誠船會 船戸耳鼻咽喉科医院

医療法人社団誠船會 船戸耳鼻咽喉科医院

船戸昭利理事長、船戸宣利院長

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大通りから路地を少し入ったところにある「医療法人社団誠船會 船戸耳鼻咽喉科医院」は、4代続く昔ながらの耳鼻咽喉科だ。船戸昭利理事長とその息子の船戸宣利院長が診療を行い、近隣住民にはそれぞれ「おお先生」、「わか先生」と呼ばれて親しまれている。アレルギーを専門とする理事長は、スギ花粉症の舌下免疫療法の治験に力を入れ、院長は、大学病院で権威に学んだ経験から、めまい治療に積極的だ。診療の際の心がけについて、理事長は「自分の身内のつもりで患者さんを診ること」と言い、その思いをしっかりと引き継いだ院長は「これまでの地域医療の良さを生かしつつ、新しいことも行っていけたら」と話す。親子ならではの息のあった様子で取材に答えてくれたお二人。医院の診療内容や、舌下免疫療法、プライベートなどについて、たっぷりと伺った。
(取材日2013年12月12日)

4代続く耳鼻咽喉科の医院

―医院の歴史についてお教えください。

【昭利理事長】先祖代々医者の家系でして、耳鼻咽喉科医としては、私で3代目、息子で4代目になります。江戸時代は接骨医をしていたという話もあるようです。私は青梅街道沿いにあった医院で生まれ育ち、1957年にこの場所に移りました。建物の地下に待合室と診察室があり、落ち着いた空間になっています。現在は医療法人社団となり、ここ中野区で耳鼻咽喉科の「船戸医院」、目黒区で通所介護などを行う「ふなとリハビリセンター」を営んでいます。2013年4月に、それまで東京医科大学病院に勤めていた息子が戻り、「船戸医院」の院長となったので、私と息子でそれぞれ担当する曜日を決め、診療しています。

―子どもの頃から医者になろうと思っていたのでしょうか?

【昭利理事長】私が子どもの頃は、戦後の混乱期でとにかく医者が忙しかったのです。私の父親も、日曜日も休まず診療していましたから、私は父親と一緒にどこかへ遊びに行った記憶がありません。なので、子どもの頃は医者なんか、耳鼻科なんかやりたくないと思っていました。機械ものが好きだったので、将来はそっちの仕事に就ければと思っていましたね。ですが、なんでしょうね。成り行きとしか言えませんが、東京医科大学に入学し、卒業間近に父親が体調を悪くしたことで、家業を継ぐことになったのです。
【宣利院長】子どもの頃から漠然とですが、自分のまわりに「医者になるのが当たり前」という雰囲気を感じていました。医者になろうと思ったきっかけは、高校3年生の時に、父親の患者さんから「早く先生の跡を継いでね」と言われたことです。何気ない言葉でしたが「この道でいいのだな」という気持ちになりました。そして、父親と同じ東京医科大学に進み、耳鼻咽喉科を選んだのは、やはり、一人息子なので、いずれ跡を継ぐことを考えたからです。

―医院の診療内容について教えてください。

【昭利理事長】ごく普通の耳鼻咽喉科ですよ。昔なじみの患者さんは、体に何か気になることがあると来る方も多いので、何でも診察するジェネラルドクターのようでもありますね。診察をしてみて、うちで治療できればしますし、できなければ他の病院を紹介することもあります。それから、やはり耳鼻咽喉科なので、シーズン物の病気、春の花粉症や冬の風邪の診療が多いですね。特にスギ花粉が飛散する時期は、患者さんでごった返しています。私自身、アレルギーが専門なので、アレルギー性鼻炎のレーザー治療も行いますし、また、スギ花粉症の舌下免疫療法の治験にも力をいれています。
【宣利院長】私も父の診療方針に倣いつつ、大学病院で学んだ経験を生かし、診療にあたっています。私の専門は嚥下で、今も週1回、大学病院の外来に勤めています。嚥下とは、食べ物の飲み込み動作のことです。こちらの医院に嚥下障害の患者さん少ないですが、近年急増している高齢化社会を背景に嚥下のニーズは増加しています。今後は大学と連携し、そういった患者さんのお役に立てればと思っています。

記事更新日:2016/01/24

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